2025年12月02日

(院長の徒然コラム)

はじめに
皆さんは酸蝕症という言葉をお聞きになったことはございますか?
「酸蝕症」(dental erosion)とは口腔内の酸性環境によって歯質が化学的に溶解する疾患であり、咬耗や摩耗、アブフラクションと共に「Tooth Wear」として位置づけられています。
歯が侵食されてしまう疾病としては虫歯(カリエス)を皆さんは思い浮かべるかもしれませんが、実はそれ以外の疾病でも、歯は侵食されてしまうことがあるのです。
その一つが酸蝕症であり、世界的に見ても増加傾向にあると報告されています。
今回はそんな酸蝕症について、解説していきたいと思います。
酸蝕症の定義と背景
酸蝕症は、内因性因子および外因性因子によって引き起こされます。
内因性因子は主に胃酸が逆流することによるもので、逆流性食道炎や摂食障害、アルコール多飲がその原因です。
体内内部からの酸によって、歯が化学的に溶解することが知られています。(要するに吐いちゃって胃酸で歯が溶ける。)
胃酸のpHは通常1.0~2.0と非常に低く、口腔に逆流した場合にはエナメル質に直接影響を与えます。
外因性因子には、食生活が直接関与しています。特に、酸性飲食物(例:炭酸飲料、果物、酢など)の摂取が大きなリスクファクターとされています。
過去の研究では、一般的な市販飲料の73%がエナメル質の臨界pH(約5.5)を下回ることが確認されています。
酸蝕症の臨床像と罹患状況
疫学的調査によると、成人における酸蝕症の有病率は約26%に達します。
酸蝕症は、通常エナメル質が溶けていることがほとんどですが、重度になると象牙質へと侵食が進行することもあります。
初期段階では、冷水痛や顕著な症状を伴わない場合が多く、見逃されやすいのが実情です。
(本人も自覚症状がない場合も多い)
初期の兆候には、透明感の増加や表層の白濁が含まれますが、こうした変化は通常見逃されがちです。
進行すると、象牙質の露出や破折を引き起こすことがあります。
わが国においては、酸蝕症の認知度が低いにも関わらず、疫学調査によると、成人における酸蝕症の罹患率は約26.1%(エナメル質段階:19.3%、象牙質段階:6.8%)に達します。
さらに、酸蝕症は咬耗や摩耗と混在し、これらは同時に進行することで、歯の侵食を加速させることが知られています。
Huysmansらは「erosive tooth wear」という概念を提唱しており、酸による化学的溶解が咬合に伴う摩耗を悪化させることを警告しています。
生活習慣が酸蝕症に与える影響
生活習慣に関しては、患者の食生活や嗜好品が酸蝕症の原因となっているケースが多いです。
特に、酸性飲食物の摂取方法が酸蝕の進行に影響を与えます。
長時間口腔内に危険な飲食品を留める「holding」や、少しずつ飲む「sipping」などの習慣が、歯に酸の影響を与えてしまうことが知られています。
酸蝕症の原因の詳細
酸蝕症の原因は主に以下の2つに分類されます。
①内因性因子
⚫︎胃酸逆流
逆流性食道炎や摂食障害によって、胃酸が口腔内へ逆流し、歯を直接溶解します。
⚫︎嘔吐
嘔吐を伴う疾患(例:摂食障害)も、エナメル質に影響を及ぼします。
当然お酒を飲み過ぎて嘔吐するのも同じです。
②外因性因子
①酸性飲食物
炭酸飲料や柑橘類、酢など、食事の内容が直接的な原因となります。
②酸性薬剤
一部の薬剤、特に酸性のシロップやドリンクも酸蝕のリスクを高める要因とされています。
特に、慢性疾患を持つ患者は注意が必要です。
酸蝕症の予防法
酸蝕症の予防には、以下の手法が考えられます。
①生活習慣の見直し
⚫︎酸性飲食物の摂取制限
炭酸飲料や果物を頻繁に摂取しないよう心掛けることが重要です。
また、酸性物質を含む飲食物は、食後直ちに食べるのではなく、他の食物と一緒に摂取することが推奨されます。
⚫︎飲み方の工夫
ストローを使用することで、飲み物が前歯に直接接触しないようにします。
さらに、長時間にわたって口腔内に飲料を留めないようにすることが助けになります。
②口腔衛生の徹底
⚫︎ブラッシングのタイミング
酸暴露後30分程度待ってから歯磨きをすることが推奨されます。
これは、酸によりエナメル質が一時的に柔らかくなっているため、それによって物理的な損傷を防ぐためです。
⚫︎フッ化物製品の使用
フッ化物を含む歯磨き粉や洗口液を使用することで、エナメル質の強化が期待できます。
フッ化物は再石灰化を促進し、酸性環境に対して抵抗力を高めることができます。
③定期的な歯科検診
定期的に歯科医師による検診を受けることで、酸蝕症の初期症状を早期に発見できます。
早期の段階で介入が行えれば、進行を防ぐことが可能です。
酸蝕症の治療法
すでに酸蝕症が進行している場合、以下の治療法が考慮されます。
①知覚過敏の治療
軽度の症状には、知覚過敏に特化した歯磨剤や知覚過敏用の塗布材の使用を行います。これにより、症状を緩和することができます。
②補綴治療
象牙質が露出して痛みが顕著になったり、咬合面の破損がある場合には、MI(最小限の侵襲)を考慮したコンポジットレジンの修復が推奨されます。
また、重度の酸蝕症の場合、クラウン修復が必要になることもあります。
③重症度の高い酸蝕症への治療
進行した酸蝕症では、歯科医師が定期的に経過を観察しながら、適宜処置を行うことが重要です。治療と予防策を併用することで、より良い結果が期待できます。
重度の酸蝕症の場合、クラウン修復が必要になることもあります。
他の疾患との関連
酸蝕症は、う蝕や摩耗と併存することが多く、病態は非常に複雑です。
酸蝕症がう蝕を悪化させる可能性もあるため、これらの疾患の相互作用を理解し、適切な治療戦略を立てることが求められます。
終わりに
酸蝕症は、生活習慣の影響を強く受ける疾患であり、予防と治療には多角的なアプローチが必要となります。
酸蝕症は初期の段階では自覚症状が少ないことから、早期発見と早期介入が特に重要です。今後、歯科医療界全体で酸蝕症に関する知識を深め、患者に適切な情報を提供できる体制を整えることも必要です。
また、私たちの役割は、単に治療を行うだけでなく、患者が日常生活の中で酸蝕症を未然に防ぐための行動を取れるよう支援することです。
生活習慣の見直しや食生活の改善に加え、定期的な検診を通じて口腔の健康を維持する方法についても、医療従事者が丁寧に指導していくことが求められます。
まだ研究が進行中の分野であるため、新たなエビデンスが日々蓄積されていくとともに、酸蝕症に関する最新の知識を持ち続けたり、新たな治療法の確立に、常に目を向ける必要があります。
これにより、患者に対してより効果的な予防策と治療法を提供できるよう努めることが私たち歯科医料従事者の使命です。
最終的には、患者が自らの口腔健康の維持に関与し、酸蝕症のリスクを理解した上で適切な選択を行えるよう支援することで、全体の健康状態を改善し、生活の質を向上させることに繋がると考えます。
酸蝕症は確かに深刻な問題ですが、適切な理解と有効な対策によって、予防可能な疾患でもあります。
今後とも、患者と共に健康な口腔環境を守るための努力を続けていきます。
