2026年1月29日

(院長の徒然コラム)
はじめに
私たちは日々の生活の中で、食事をしたり、会話をしたり、笑顔を見せたりと、様々な場面で「歯」を使っています。
しかし、その歯が一本、また一本と失われていくことは、私たちの生活の質(QOL)を大きく低下させるだけでなく、全身の健康にも深刻な影響を及ぼす可能性があります。
特に、多くの人が忘れがちな「歯の噛み合わせ」が、実は歯を失うリスクと深く関わっていることをご存知でしょうか。
今回のコラムでは、大阪大学から2024年発表された大規模な疫学研究データ(「Association between posterior occlusal support and tooth loss in a population-based cohort: The OHSAKA study」)も参考にしながら、「噛み合わせが悪いとなぜ歯を失うのか」というメカニズムを解き明かし、その予防策について詳しく解説していきます。
あなたの健康な歯を守り、豊かな人生を送るために、ぜひ最後までお読みください。
「噛み合わせが悪い」とはどういう状態か?
「噛み合わせが悪い」と聞くと、歯並びが悪いことや、上下の歯がうまく噛み合わない状態をイメージするかもしれません。
もちろんそれも噛み合わせの悪さの一部ですが、歯科医療において「噛み合わせ」は、歯がどのように接触し、食べ物を噛み砕くかという機能的な側面を重視します。
特に重要なのが、奥歯(臼歯部)の噛み合わせです。
臼歯は食べ物をすり潰す役割を担っており、強い咬合力を受け止めるために設計されています。この奥歯がしっかりと噛み合っている状態を「臼歯部咬合支持(Posterior Occlusal Support: POS)」と呼びます。
歯科分野では、この臼歯部咬合支持の状態を評価するために「Eichner分類」という指標が用いられることがあります。
まずはこの分類から解説していきましょう。

Eichner分類(アイヒナーの分類)は、大まかに以下の3つのグループに分けられます。
①A群
上下の臼歯が全て揃って噛み合っている、またはほとんど揃っている状態。
②B群
臼歯が一部失われているか、前歯部のみで噛み合っている状態。
③C群
上下の歯が全く噛み合わないか、全ての歯が失われている状態。
この分類からもわかるように、臼歯が失われていくにつれて、噛み合わせの安定性が失われ、「噛み合わせが悪い」状態へと進行していくと考えられます。
噛み合わせの悪さが歯の喪失を加速させるメカニズム
では、なぜ「噛み合わせが悪い」、特に臼歯部咬合支持が失われると、さらに歯を失うリスクが高まるのでしょうか。
そのメカニズムを探っていきましょう。
①残存歯への過剰な負担と「咬合性外傷」
食べ物を噛むとき、通常は上下の奥歯が広範囲で接触し、咬合力を分散させています。
しかし、奥歯が失われ、臼歯部咬合支持が低下すると、残された少数の歯で全ての咬合力を受け止めなければならなくなります。
これは例えるならば、数人で重い荷物を運んでいたのが、たった一人で運ぶようなものです。
特に、奥歯がなくなった場合、前歯で食べ物を噛み砕こうとすることが増えます。
前歯は本来、食べ物を「引きちぎる」ための歯であり、「すり潰す」ための構造にはなっていません。
そのため、過剰な咬合力が前歯にかかることで、問題が生じやすくなります。
過負荷が掛かった歯には以下のようなことが起きます。
⚫︎歯の揺れ(動揺)の増大
歯と歯槽骨の間にある歯根膜に過度な負担がかかり、歯がグラグラしやすくなります。
⚫︎歯根の吸収
歯の根が吸収されて短くなることがあります。
⚫︎歯の破折
歯に亀裂が入ったり、欠けたり、最悪の場合は根元から折れてしまうことがあります。
⚫︎歯周組織の破壊
歯を支える骨(歯槽骨)や歯茎(歯肉)への負担が増大し、歯周病の進行を加速させます。
このような過剰な咬合力による歯や歯周組織への損傷を「咬合性外傷」と呼びます。噛み合わせが悪い状態が続くと、特定の歯にばかり負担がかかり、咬合性外傷によって歯の寿命が著しく短くなってしまうのです。
②論文研究で考察されているリスク
今回の論文で紹介されている研究では、大阪府の75歳以上の高齢者94,422人を対象とした大規模な追跡調査であり、その結果は「臼歯部咬合支持の低下が歯の喪失のリスク因子である」ことを明確に示しています。
この研究では、Eichner分類を用いて参加者の噛み合わせの状態を9つのグループに分け、各グループにおける歯の喪失リスクを比較しました。
その結果、最も良好な噛み合わせ状態(A1)を基準とした場合、臼歯部咬合支持が失われるにつれて、歯の喪失リスクが顕著に上昇することが示されました。
例えば、
A1グループと比較して、臼歯が一部失われたA2グループでは歯の喪失リスクが1.74倍。
さらに進行して、臼歯の噛み合わせが大きく失われたBグループでは、B1で3.40倍、B2で4.74倍、B3で5.79倍、そして臼歯部咬合支持が全くないB4グループではなんと6.00倍ものリスク上昇が確認されました。
このデータは、単に「歯が少ない」だけでなく、「どのように歯が失われているか」、すなわち「臼歯部咬合支持がどの程度残っているか」が、将来の歯の喪失リスクを予測する上で極めて重要であることを示唆しています。
③特に前歯の喪失リスクが増大するメカニズム
さらに興味深いのは、今回の紹介論文研究では「前歯の喪失に対するオッズ比(リスク)が、臼歯の喪失に対するオッズ比よりも高く、特にB4グループで最も高い21.4倍ものリスクが観察された」という点です。
これは、臼歯部咬合支持が失われることで、本来奥歯が担うべき咬合力が前歯に集中し、前歯が過剰な負担に耐えきれずに失われやすくなることを裏付けています。
前歯は見た目の美しさや発音にも大きく関わるため、その喪失は患者さんのQOLに深刻な影響を与えます。
ただし、Eichner分類のCグループ(上下の歯が全く噛み合わない、あるいは全ての歯が失われている状態)では、Bグループほどのリスク上昇は見られませんでした。
これは、噛み合う歯がほとんどないため、残存歯への過剰な負担自体がかかりにくくなるためと考えられます。
しかし、これは「歯が失われても良い」という意味ではなく、その手前の段階でいかに歯を守るかが重要であることを示しています。
歯の喪失は単なる口腔内の問題ではない:全身への影響
歯の喪失は、単に「食べ物が噛みにくくなる」という問題に留まりません。複数の研究が、歯の喪失と全身の健康、ひいては寿命との関連を指摘しています。
①咀嚼機能の低下と栄養状態の悪化
歯が少なく、噛み合わせが悪いと、硬いものや繊維質の多い野菜などが食べにくくなります。
これにより、食事が偏り、栄養バランスが崩れて、全身の健康状態が悪化する可能性があります。
特に高齢者においては、フレイル(虚弱)やサルコペニア(筋肉量及び筋力減少)のリスクを高めることが知られています。
②認知機能への影響
咀嚼は脳への血流を促し、脳を活性化させると考えられています。歯の喪失による咀嚼機能の低下は、認知症のリスクを高める可能性が示唆されています。
③発音・会話への影響
特に前歯の喪失は、発音に影響を与え、コミュニケーションを阻害することがあります。
④見た目と精神的健康
歯の喪失は顔の印象を変え、自信を失わせることがあります。これが引き金となり、社交活動が減ったり、うつ病のリスクが高まったりすることもあります。
⑤全身疾患との関連
歯周病などの口腔疾患は、糖尿病、心臓病、脳卒中などの全身疾患と関連があることがわかっています。
噛み合わせの悪さが歯周病の進行を加速させることを考えると、間接的に全身疾患のリスクを高める可能性も否定できません。
歯周ポケットの深さやプラークの蓄積量、糖尿病や高血圧の既往、喫煙、肥満などが歯の喪失のリスク因子として挙げられています。
このように、歯の喪失は単なる口腔内の問題ではなく、全身の健康と密接に関わる重要なテーマなのです。
噛み合わせを守り、歯を失わないための具体的な予防策
これまでの解説で臼歯部咬合支持の維持が追加の歯の喪失を防ぐ上で重要であるということを示して参りました。
では、私たちはどのようにして噛み合わせを守り、歯の喪失を防ぐことができるのでしょうか。
①定期的な歯科検診と早期発見・早期治療
最も重要なのは、定期的に歯科医院を受診することです。少なくとも年に3から4回は歯科検診を受け、ご自身の歯と噛み合わせの状態を専門家に見てもらいましょう。
チェック1:噛み合わせチェック
歯科医師は、歯の接触状態や咬合力を評価し、特定の歯に過剰な負担がかかっていないかを確認します。
必要に応じて、咬合調整やナイトガード(マウスピース)の処方などを提案します。
チェック2:虫歯・歯周病の早期発見・治療
歯の喪失の主な原因は、虫歯と歯周病です。早期に発見し治療することで、歯を失うリスクを大幅に減らすことができます。
チェック3:失われた歯の早期補綴
もし歯を失ってしまった場合は、放置せずに早めに補綴(ほてつ)治療を検討しましょう。
特に奥歯を失った場合、隣の歯が傾いたり、噛み合う歯が伸び出してきたりして、さらに噛み合わせが悪化する可能性があります。
②失われた歯の補綴治療による咬合支持の回復
失われた歯を補う方法には、大きく分けて以下の3つがあります。
⚫︎義歯(入れ歯)
多数の歯が失われた場合に、比較的広範囲の咬合支持を回復できます。
保険適用内で作製できるものから、精密な自費診療の義歯まで様々な種類があります。作成後は定期的な調整が必要です。
⚫︎ブリッジ
失われた歯の両隣の歯を削り、橋渡しするように人工の歯を装着する方法です。
固定式で安定感がありますが、支えとなる歯に負担がかかる可能性があります。
⚫︎インプラント
顎の骨に人工歯根を埋め込み、その上に人工の歯を取り付ける方法です。
天然歯に近い機能と見た目を回復でき、残りの歯に負担をかけにくいというメリットがあります。
臼歯部の咬合支持を強力に回復する上で非常に有効な選択肢です。
ただし自費診療のため患者さんの経済的な負担が大きいです。
どの治療法を選択するかは、残っている歯の状態、顎の骨の状態、全身疾患の有無、費用などを考慮し、歯科医師とよく相談して決定することが重要です。
特に臼歯部咬合支持の回復は、残りの歯を守る上で極めて重要であるため、積極的に検討すべきです。
③日常の口腔ケアと生活習慣の改善
日々のセルフケアも、歯の健康を守る上で欠かせません。
⚫︎丁寧な歯磨き
歯ブラシだけでなく、デンタルフロスや歯間ブラシを併用し、歯垢(プラーク)を徹底的に除去しましょう。プラークの蓄積は歯周病の最大の原因です。
⚫︎食生活の改善
バランスの取れた食事を心がけ、糖分の摂取を控えましょう。よく噛んで食べることも重要です。
⚫︎禁煙
喫煙は歯周病の最大のリスク因子の一つです。禁煙は歯の健康だけでなく、全身の健康にも大きく貢献します。
⚫︎全身疾患の管理
糖尿病や高血圧などの持病がある場合は、かかりつけ医と連携し、しっかりと病状を管理することが重要です。
これらの疾患は歯周病と相互に影響し合うことが知られています。
⚫︎歯ぎしり・食いしばり対策
無意識の歯ぎしりや食いしばりは、歯や顎に大きな負担をかけます。
ナイトガードを使用するなどの対策を検討しましょう。
終わりに:未来の健康のために、今できること
「歯の噛み合わせが悪いと歯を失う」という事実は、今回の論文研究のような大規模な科学的エビデンスによって裏付けられています。
特に、食べ物を噛み砕く主要な役割を担う奥歯の咬合支持が失われると、残された歯、特に前歯に過剰な負担がかかり、歯の喪失リスクが飛躍的に高まることが明らかになっています。
そして、歯の喪失は単に口腔内の問題に留まらず、全身の健康、栄養状態、認知機能、そして生活の質にまで多大な影響を及ぼします。
あなたの口腔の健康は、全身の健康と密接に結びついています。
一本一本の歯が持つ役割と、それらが連なっている「噛み合わせ」の重要性を理解し、適切なケアを継続することが、生涯にわたる豊かな生活を送るための鍵となります。
「まだ大丈夫」「少しぐらい歯がなくても平気」と安易に考えず、今日から行動開始です!
①定期的な歯科検診を習慣にする!
②毎日、丁寧な口腔ケアを徹底する!
③失われた歯があれば、放置せずに早めに歯科医師に相談し、適切な補綴治療を検討する!
④喫煙や不規則な生活習慣を見直す!
以上の4つの点を守って未来のあなたの笑顔と健康を守ってください。
ご自身の歯と噛み合わせに意識を向け、歯科医院と共に、より良い口腔の健康を目指していきましょう。
