2026年2月07日

(院長の徒然コラム)

はじめに
皆さんは、熱い食べ物や飲み物を口にして、思わず「あちっ!」と叫んでしまった経験はありませんか?
炊き立てのほかほかのご飯、アツアツのグラタンやピザ、淹れたてのコーヒーや紅茶、熱々のスープなど、私たちの食卓には、口腔内を火傷しやすい誘惑がたくさん潜んでいます。
一瞬の不快感で済むことも多いこの「口の中の火傷」ですが、実はその影響は想像以上に深く、短期的な痛みや不便だけでなく、長期的な口腔健康、ひいては全身の健康にも関わる可能性が、最新の研究で明らかになりつつあります。
今回は、そんな身近でありながら見過ごされがちな口の中の火傷について、その原因から正しい対処法、そして将来的なリスクまで、歯科医師の視点から掘り下げて解説いたします。
口の中の火傷、その時何が起きているのか?
口腔内の粘膜は、皮膚と比較して薄くデリケートな構造をしています。
一般的に、口の中の粘膜は約60℃までは耐えられると言われていますが、70℃以上の熱に触れると、わずかな時間であっても火傷を引き起こすリスクが格段に高まります。
特に、舌や上顎の軟口蓋、頬の内側などは熱に敏感で、火傷が起こりやすい部位です。
火傷の程度は、皮膚の火傷と同様にI度、II度、III度に分類されますが、口腔内では通常、I度またはII度の比較的浅い火傷が多く見られます。
①I度熱傷
表面の粘膜(表皮)のみの損傷。赤みやヒリヒリとした痛みが主な症状で、熱感も伴います。数日で治癒します。
②II度熱傷
表皮と真皮の一部が損傷。強い痛みが生じ、水ぶくれ(水疱)ができることがあります。
皮が剥がれてしまうこともあり、治癒には1〜4週間程度かかります。
③III度熱傷
粘膜の全層(真皮の深層や皮下組織まで)が損傷。感覚がなくなるほどの重度ですが、口腔内では非常に稀です。
もし発生した場合は、専門的な治療が不可欠です。
火傷をすると、患部は温かい物を含むとより一層痛みを感じ、ヒリヒリとした不快感が続きます。
見た目には赤く腫れ、水ぶくれや粘膜の剥離が見られることもあります。
さらに、一時的に舌の表面がザラザラしたり、味覚が鈍くなったりするなど、食事が不便になる感覚的な変化も生じることがあります。
もしも口の中を火傷してしまったら?冷静な応急処置と賢いセルフケア
万が一、口の中を火傷してしまった場合、適切な応急処置を素早く行うことが、その後の回復に大きく影響します。
【応急処置の鉄則】
①まずは「とにかく冷やす」こと!
体の他の部位の火傷と同じく、口の中の火傷も、とにかく熱を取り除くことが最優先です。
すぐに冷たい水を口に含み、火傷した患部に当てるようにして、優しくブクブクとゆすぎましょう。
これを数分間、繰り返し行います。
冷水で継続的に冷やすことで、細胞への熱によるダメージの進行を食い止め、炎症を抑え、痛みを和らげる効果が期待できます。
②氷の活用法
直接氷を口に入れると、粘膜に張り付いてさらに損傷を与える可能性があるため、避けてください。
氷を使用する際は、清潔なガーゼや布に包んでから、火傷した部位に当てるようにして冷やすのが安全です。
これも数分間継続し、患部が十分に冷えるまで繰り返しましょう。
③食べかすの除去と清潔の維持
もし火傷した部位に食べ物の残りかすが付着しているようであれば、冷水でのうがいによってやさしく取り除きましょう。
口腔内を清潔に保つことは、細菌感染のリスクを減らし、治癒を促進するために非常に重要です。
④痛みの管理
痛みが強く、日常生活に支障をきたす場合は、市販の口腔用鎮痛剤(内服薬や外用薬)の使用も検討できます。
ただし、歯科医師や薬剤師に相談の上、適切なものを選びましょう。
火傷した時に「やってはいけないこと」
以下の行動は、治癒を遅らせたり、症状を悪化させたりする可能性があるため、特に注意が必要です。
①剥けた皮や水ぶくれを無理に剥がす
患部の粘膜は非常にデリケートです。
無理に剥がすと、下にある新しい粘膜を傷つけ、治癒が大幅に遅れるだけでなく、細菌感染のリスクを高めてしまいます。
自然に剥がれ落ちるのを待ちましょう。
②刺激の強い食品を摂る
柑橘類などの酸味が強いもの、キムチや唐辛子などの辛いもの、そして熱すぎるものは、火傷した粘膜をさらに刺激し、痛みや炎症を悪化させます。
治癒するまでは、これらの刺激物は避けるべきです。
③硬いものや鋭利なものを食べる
硬いせんべいや揚げ物、フランスパンの硬い部分などは、火傷した粘膜を物理的に傷つけやすいです。
同様に、患部に舌や指で触るのも、細菌を持ち込んだり、刺激を与えたりする原因になるため避けましょう。
④粗い歯磨きや刺激の強いうがい薬の使用
歯磨きは、柔らかい歯ブラシで優しく行い、うがい薬も刺激の少ないものを選ぶか、水で希釈して使用するなど工夫が必要です。
治癒を助ける食事のヒントと注意点
火傷の治癒期間中は、食事の内容にも工夫が必要です。
①推奨される食事
プリン、ゼリー、ヨーグルト、冷ましたおかゆ、雑炊、うどん、そうめん、やわらかく煮た野菜、すりおろした果物など、冷たくて柔らかく、刺激が少ないものがおすすめです。
これらは咀嚼や嚥下の負担が少なく、粘膜への刺激も最小限に抑えられます。
②避けるべき食事
熱いもの、硬いもの、香辛料が効いたもの、酸味の強いもの、塩辛いもの、揚げ物などは、治癒を妨げるだけでなく、強い痛みを引き起こす可能性があります。
口の中の火傷は、その高い再生能力のおかげで、比較的早く治癒すると言われています。
一般的には数日から2週間程度で、ほとんどの症状は改善します。
しかし、痛みが非常に強く、食事が全くできない、症状が2週間以上長引く、水ぶくれが大きくなったり増えたりする、発熱などの全身症状があるといった場合は、速やかに歯科医院を受診してください。
口腔外科医や歯科医師が、適切な診断と処置を行います。
口腔内の火傷と「口腔がん」の意外な関連性?〜最新の研究論文から〜
ここからが、皆さんにぜひ知っていただきたい最新の知見です。
口の中の火傷は、単なる一時的なトラブルとして片付けられない可能性があります。
最近の科学的な研究、特に複数の論文を統合したシステマティックレビューによって、慢性的な口腔内の火傷が、口腔がん(口腔扁平上皮癌:OSCC)の発生リスクと関連する可能性が指摘されています。
これはどういうことでしょうか?
繰り返し口腔内で熱傷が起こると、その部位では細胞が傷つき、修復されるというサイクルが頻繁に繰り返されます。
この慢性的な炎症反応や細胞の過剰な修復プロセスが、長期間にわたって続くと、正常な細胞の遺伝子に異常が生じやすくなり、がん化につながるリスクを高める可能性があると考えられています。
また、熱傷の種類によっては、熱傷と同時に細胞に直接的なダメージを与える可能性(例:化学物質による火傷)も指摘されています。
「マイクロRNA(miRNA)」が鍵を握る
この関連性を解明する上で、近年注目されているのが「マイクロRNA(miRNA)」という小さなRNA分子です。
miRNAは、私たちの体の中で遺伝子の働きを細かく調節する役割を担っており、細胞の増殖、分化、アポトーシス(細胞の自殺)、炎症反応など、様々な生命現象に関与しています。
研究により、口腔内の火傷が発生した際と、口腔がんが発生した際の両方で、特定のmiRNAの働き(発現量)に共通の変化が見られることが明らかになってきました。
例えば、hsa-miR-205、hsa-miR-18a、hsa-mir-23b、hsa-mir-203、hsa-mir-150といったmiRNAが、細胞のがん化プロセスにおける上皮間葉転換(EMT)、血管新生、免疫抑制といった重要なメカニズムに関与していることが示唆されています。
具体的には、あるmiRNAは火傷後に発現が低下し、それが口腔がんの発生にも関与している、あるいは逆に火傷後に発現が上昇し、それががんの進行を促進するというような複雑な関連性が浮かび上がっています。
これらのmiRNAは、火傷後の組織修復とがん化という、異なる状態において、同じ分子メカニズムを介して口腔粘膜に影響を与えていると考えられるのです。
この発見は、miRNAが将来的に口腔がんの早期診断マーカーや、治療標的となる可能性を示唆しています。
つまり、口の中の火傷を繰り返す方は、これらのmiRNAの動向を観察することで、将来的なリスクを評価できるようになるかもしれません。
終わりに:安全な食生活と定期的な歯科検診で、口腔の未来を守る
口の中の火傷は、誰にとっても身近な出来事です。
しかし、熱すぎるものを急いで食べる習慣や、頻繁に火傷を繰り返すことは、単に痛いだけでなく、将来的な口腔の健康に影響を与える可能性があります。
美味しく、そして安全に食事を楽しむために、以下の点を心がけましょう。
①熱いものは冷ましてから!
急がず、一口ごとに温度を確認する習慣をつけましょう。
②食事はゆっくりと!
急いで食べると、不注意から火傷しやすいだけでなく、粘膜を傷つけるリスクも高まります。
③口腔内の清潔を保つ!
日常的な丁寧な歯磨きと、定期的な歯科検診は、口腔内の健康維持の基本です。
もし頻繁に口の中を火傷してしまう、治りが遅い、痛みが強いといったお悩みがある場合は、ぜひ一度、かかりつけの歯科医院にご相談ください。
私たちは、皆様が安心して、そして健康に食生活を送れるよう、口腔全体の健康をサポートする専門家です。
早期の相談が、将来の大きな健康問題を防ぐ第一歩となることを、心より願っております。
