2026年1月24日

(院長の徒然コラム)

はじめに
人生100年時代に近づこうかとしている昨今、私たちは日々の生活の質を高めながら、より長く健康に生きることを願っています。
この「健康寿命」を延伸するためには、全身の健康維持が不可欠であることは言うまでもありません。
しかし、その全身の健康と密接に結びついている「口腔の健康」が、私たちの寿命にまで深く関わっていることをご存知でしょうか?
これまで、残存歯数(残っている歯の本数)が少ないほど、様々な全身疾患のリスクが高まり、ひいては死亡率にも影響を与えるという研究結果が報告されてきました。
しかし、残存歯数という大まかな指標だけでなく、それぞれの歯が「どのような状態にあるか」まで考慮した場合、その予測を細かく分析したデータはなかなかありませんでした。
この疑問に科学的な光を当てたのが、今回のコラムのネタとなった論文、「Assessing the effectivity of counting the number of teeth with their conditions to predict mortality: the OHSAKA study」です。
この論文は、大阪公立大学と大阪大学共同の研究で、かなりのデータを用いた大規模なコホート研究です。
本コラムでは、最新のこの研究の知見と、これまでの豊富なエビデンスを融合させながら、歯の健康が長寿に果たす役割、そして私たちが今日から実践できる口腔ケアの重要性について、深く掘り下げていきます。
高齢者の口腔健康と全死因死亡率:論文研究の背景
世界保健機関(WHO)は、高齢者の口腔健康を極めて重要な懸念事項として位置付けています。
歯の本数が少ないことは、体重減少、糖尿病、高血圧、心血管疾患、末期腎疾患、認知症、さらにはがんや全死因死亡率の上昇と関連することが、数々の研究で示されてきました。
しかし、従来の多くの研究では、自己申告による歯の本数カウントや、単純な残存歯数のみに焦点を当てていました。
歯が「健全」なのか、「治療済み(処置歯)」なのか、「う蝕(虫歯)がある(う蝕歯)」なのかといった詳細な「歯の状態」を考慮した上で、全死因死亡率との関連性を包括的に分析した研究は稀でした。
特に、研究に効果的な歯のカウント方法が何かについては、十分に検討されていなかったのです。
そこで、今回の研究はこの問題点を埋めるべく、大規模な日本人高齢者コホートを対象に、歯の状態(齲蝕など)を考慮した様々な歯のカウント方法が、全死因死亡率の予測にどの程度有効であるかを検証しました。
この研究の画期的な点は、単に歯の本数を数えるだけでなく、個々の歯がどのような治療状況にあるかという質的な側面まで踏み込んだ点にあります。
論文研究の発見:健全歯と処置歯の合計が長寿の指標に
論文の研究は、2018年から2020年にかけて日本の大阪府で実施された公的歯科健診のデータと、国民健康保険データベースを連結した大規模なコホート研究です。
75歳以上の高齢者約19万人に及ぶ膨大なデータを平均3.4年間追跡し、歯の状態と全死因死亡率との関連を詳細に分析しました。
その結果、下記のような知見が得られたのです。
①う蝕歯(虫歯)の存在は死亡リスクと関連!
対象者の全死因死亡率を分析したところ、う蝕歯がある人ほど、全死因死亡率が高くなる傾向が見られました。
これは、う蝕が口腔内の慢性的な炎症を引き起こし、それが全身の健康に悪影響を及ぼす可能性を示唆しています。
実際、2022年のLiu氏の先行研究では、未治療のう蝕が全死因死亡率や心血管死亡率のリスク増加と有意に関連することが報告されています。
う蝕は単なる歯の病気ではなく、全身の健康を脅かす潜在的なリスクファクターであることが、改めて浮き彫りになりました。
②処置歯(治療済みの歯)は死亡リスク低下と関連!!
驚くべきことに、今回の研究では、適切に修復治療された歯(処置歯)が多いほど、全死因死亡率が低下するという結果が示されました。
これは、フィンランドの先行研究(2017年のMeurman氏の研究)が、充填治療された歯を持つ患者の方が心血管死亡リスクが低いことを示した結果とも一致します。
この結果は、「失われた自然歯の構造を補完し、機能回復を図る歯科治療が、全身の健康維持に貢献する可能性」を示唆しています。
つまり、虫歯になっても適切に治療し、その機能を取り戻すことが、長寿に繋がる重要な行動であると言えるでしょう。
③長寿予測の最も正確な予測因子は「健全歯+処置歯」の合計数!!!
今回の研究の最も画期的な発見は、全死因死亡率を予測する上で、単に「健全歯」の数を数えるよりも、あるいは「健全歯+処置歯+う蝕歯」のすべてを合計するよりも、「健全歯と処置歯の合計数」が最も正確な予測因子であったことです。
これは、治療によって機能が回復した歯(処置歯)が、天然の健全歯と同様に、全身の健康維持に寄与する可能性が高いことを明確に示しています。
この結果は、歯を失うこと自体を避けられない場合でも、適切な歯科治療によって歯の機能を取り戻すことが、全身の健康と寿命の延伸に繋がるという、非常に歯科医療界に希望に満ちたメッセージを投げかけてくれています。
歯の健康が全身の健康と長寿に繋がるメカニズム
では、なぜ歯の状態がこれほどまでに全身の健康や寿命と密接に関連するのでしょうか。そのメカニズムは多岐にわたります。
①咀嚼機能と栄養摂取
歯の本数が少なかったり、う蝕や欠損歯が放置されていたりすると、食べ物を十分に咀嚼できなくなります。
咀嚼機能の低下は、やわらかいものばかりを選んで食べることにつながり、栄養バランスの偏りや低栄養状態を引き起こしやすくなります。
特に高齢者においては、低栄養が免疫力の低下、サルコペニア(筋肉量減少)、フレイル(虚弱)へと繋がり、全身の健康状態を著しく悪化させ、死亡リスクを高めることが知られています。
今回の論文研究で「健全歯+処置歯」が重要な指標となったのは、治療済みの歯も咀嚼機能を維持する上で重要な役割を果たすためと考えられます。
②口腔内の炎症と全身疾患
う蝕や歯周病などの口腔疾患は、口腔内に慢性的な炎症を引き起こします。
この炎症が持続すると、炎症性物質や細菌が血管を通じて全身に広がり、様々な全身疾患のリスクを高めることが多くの研究で示されています。
⚫︎心血管疾患
口腔内の炎症は、動脈硬化の進行を促進し、心筋梗塞や脳卒中のリスクを高めるとされています。
⚫︎糖尿病
歯周病は糖尿病の合併症として知られ、相互に悪化させ合う関係にあります。
口腔内の炎症が血糖コントロールを悪化させ、糖尿病患者の予後を悪化させる可能性があります。
⚫︎認知症
歯の喪失と認知症のリスク上昇の関連性が報告されており、咀嚼機能の低下による脳への刺激減少や、口腔内の炎症が脳に影響を与える可能性が指摘されています。
⚫︎がん
一部の研究では、歯の喪失や歯周病と特定のがんリスクとの関連も示唆されています。
③社会経済的要因と健康行動
研究論文にも記述されているように、口腔の健康状態は社会経済的要因と密接に関連しています。
教育水準や収入が低いほど、う蝕の有病率が高いこと、また適切な歯科治療へのアクセスが限られることが示されています。
これにより、口腔の健康格差が全身の健康格差に繋がる可能性があります。
また、口腔衛生習慣や食生活などの健康行動も重要な要素です。
定期的な口腔ケアを実践している人は、そうでない人に比べて歯の健康が維持されやすく、全身の健康にも良い影響を与えます。
うつ病や社会的な孤立なども口腔健康や死亡率と関連することが報告されており、これらの要因も歯の状態と死亡率の関係を複雑にしています。
今回の研究では、これらの未測定の交絡因子が結果に影響を与えた可能性も指摘されていますが、今回の研究結果は、そうした複雑な背景を考慮してもなお、「歯の状態」が重要な長寿の指標であることを示唆しています。
長寿社会を健康に生きるために研究結果を踏まえた提言
今回の研究と多くの先行研究は、私たちが健康寿命を全うするために、口腔ケアに一層力を入れるべきであることを示しています。
そのために我々は一体どうすればいいのでしょうか。
①定期的な歯科健診と早期治療の習慣化
「歯が痛くなってから歯医者に行く」という受動的な姿勢では不十分です。
定期的な歯科健診は、う蝕や歯周病の早期発見・早期治療に繋がり、歯の喪失を防ぐ上で極めて重要です。
痛みがないうちから、年に数回は歯科医院を受診し、プロフェッショナルによるクリーニングやチェックを受ける習慣をつけましょう。
②う蝕(虫歯)の放置は厳禁
今回の研究は、う蝕歯が死亡リスクと関連することを示唆しました。
虫歯を放置することは、口腔内の細菌バランスを崩し、慢性炎症を引き起こし、全身の健康に悪影響を及ぼす可能性があります。
小さな虫歯のうちに治療を終え、健全な口腔環境を維持することが、長寿への第一歩です。
③失われた歯の機能回復を重視する
もし、残念ながら歯を失ってしまった場合でも、希望はあります。
治療によって機能が回復した歯(処置歯)が、健全歯と同様に長寿に貢献する可能性が示唆されたからです。
欠損歯を放置せず、義歯やインプラントなどの適切な補綴治療によって咀嚼機能を回復させることは、栄養摂取の改善だけでなく、口腔周囲の刺激を通じて脳の活性化にも繋がり、全身の健康維持に大きく貢献します。
単に見た目を気にするだけでなく、「食べる」「話す」といった機能の回復を重視しましょう。
④全身疾患を持つ方は特に口腔ケアを重視
糖尿病や心疾患などの持病がある方は、口腔内の炎症が全身疾患を悪化させるリスクが高いため、特に積極的に口腔ケアに取り組む必要があります。
かかりつけの医師と歯科医師が連携し、全身と口腔の両面から健康をサポートする体制が理想的です。
⑤日々の丁寧なセルフケアの継続
もちろん、歯科医院でのプロフェッショナルケアだけでなく、毎日の丁寧なフッ化物を用いた歯磨きやフロス・歯間ブラシの使用は基本中の基本です。
正しい方法で口腔ケアを行うことで、う蝕や歯周病を予防し、歯を長持ちさせることができます。
結論!口腔の健康は未来の健康投資です
今回の大阪公立大学と大阪大学の研究は、日本の高齢者を対象とした大規模かつ最新のデータに基づき、「歯の健康が長寿に直結する」という以前からの知見に、新たな科学的根拠と具体的な指針をもたらしました。
単に歯の本数が多いだけでなく、「健全な歯と、適切に治療された処置歯の合計数」が多いことこそが、健康で豊かな長寿を予測する重要な指標であるという発見は、私たちの口腔管理に対する認識を大きく変えるものです。
これは、歯を失ってしまっても、適切な治療と機能回復によって、長寿への道を歩み続けられる可能性を示唆しています。
口腔の健康は、単なる口の中の問題ではなく、全身の健康、ひいては私たちの人生の質と長寿に深く関わる「未来への投資」です。
このコラムを読んでくださった皆様が、ご自身の歯の状態に目を向け、定期的な歯科健診と日々の丁寧なケアを通じて、健康な歯を一本でも多く守り、豊かな長寿を享受されることを心から願っています。
