2026年1月19日

(院長の徒然コラム)

はじめに:口の渇きは単なる不快感か?
「最近、口が渇くな…」「なんだか口の中がネバつく」「水なしでは食事がしにくい」など、このような経験はありませんか?
これらの症状は、口腔乾燥症、いわゆる「ドライマウス」のサインかもしれません。
単なる口の渇きと軽視されがちなドライマウスですが、その影響は口腔内にとどまらず、全身の健康や生活の質(QOL)に深く関わる重要な問題です。
日本の厚生科学研究によると、高齢者の口腔乾燥症は特に顕著で、65歳以上では3割以上が常に口の乾燥を自覚しているという報告があります。
潜在的な患者数は800万人にも及ぶとされ、現代社会における見過ごせない健康課題の一つと言えるでしょう。
唾液の驚くべき力:口の番人の多岐にわたる役割
ドライマウスの理解を深める上で、まず知っておきたいのが「唾液」の多岐にわたる役割です。
私たちの口の中には、耳下腺、顎下腺、舌下腺といった大唾液腺や、多数の小唾液腺があり、これらが協力して1日に約1,000〜1,500mlもの唾液を分泌しています。
この透明な液体には、実に様々な成分が含まれ、私たちの健康を守る重要な役割を担っています。
①消化作用
唾液に含まれる消化酵素「アミラーゼ」が、デンプンを分解し、消化の第一歩を助けます。
②潤滑・保湿作用
唾液中のムチンなどが、口腔粘膜を潤し、外部刺激から守ります。
これにより、発音、嚥下、会話がスムーズに行え、唇や舌の乾燥によるひび割れや痛みを防ぎます。
③抗菌・抗ウイルス作用
リゾチーム、ラクトフェリン、唾液パーオキシダーゼ、分泌型IgAなどの抗菌成分が豊富に含まれており、口の中の細菌やウイルスから体を守り、感染症を予防します。
④歯の再石灰化促進
唾液中のカルシウムやリン酸イオンが、初期の虫歯で溶け出した歯の表面を修復(再石灰化)し、虫歯の進行を食い止める働きがあります。
⑤緩衝作用
食事を摂ると口腔内のpHは酸性に傾き、歯が溶けやすい状態になりますが、唾液にはこれを中性に戻す「緩衝作用」があり、酸蝕症や虫歯の予防に役立ちます。
⑥自浄作用
唾液の分泌によって食べかすや細菌が洗い流され、口腔内を清潔に保ちます。
このように、唾液は「口腔の番人」として、消化、保護、防御、歯の修復、洗浄など、まさに多種多様な役割を担っているのです。
ドライマウスの臨床症状:見過ごせないサインたち
唾液の分泌量や質が低下すると、これらの重要な機能が損なわれ、様々な症状が現れます。
ドライマウスの症状は、患者さんが自覚する「自覚症状」と、歯科医師が診てわかる「他覚症状」に分けられます。
◾️自覚症状:患者さんが感じる不快感
①口渇感・乾燥感・ネバつき
最も一般的で、持続的な口の渇きや、口の中が糸を引くようなネバつきを感じます。
②灼熱感・舌痛感
舌や口腔粘膜がヒリヒリと痛み、焼けるような感覚を伴うことがあります。
③味覚異常
味を感じにくくなったり、特定の味が強く感じられたりすることがあります。
④摂食・嚥下困難
食物がパサついて飲み込みにくくなったり、喉に詰まりやすくなったりします。
⑤会話困難
唾液による潤滑作用が低下し、舌や唇が動きにくくなるため、長時間話すことが難しくなります。
⑥口臭の悪化
自浄作用や抗菌作用の低下により、細菌が増殖し、不快な口臭が発生しやすくなります。
◾️他覚症状:歯科医師が診る所見
①口腔粘膜の乾燥・菲薄化・発赤
粘膜が乾燥し、薄くなり、赤みを帯びることがあります。
②舌乳頭の萎縮・舌のひび割れ
舌の表面にある乳頭が減少し、舌全体が滑らかになったり、ひび割れたりします。
③口角びらん
口の端が乾燥し、亀裂が入って炎症を起こしやすくなります。
④う蝕歯の多発・歯周疾患の進展
唾液の再石灰化作用や自浄作用、抗菌作用が低下するため、虫歯が急速に進行し、歯周病も悪化しやすくなります。
⑤口腔カンジダ症
口腔内の常在菌であるカンジダ菌が増殖し、白い苔状の病変や赤みを帯びた炎症を引き起こします。
⑥義歯装着困難
唾液が義歯と粘膜の間に密着性を生み出す役割があるため、唾液が少ないと義歯が安定せず、痛みやずれが生じやすくなります。
⑦誤嚥性肺炎
唾液量が減ると、口の中の細菌が増殖しやすくなり、その細菌が誤って肺に入り込むことで肺炎を引き起こすリスクが高まります。
ドライマウスの原因:多角的アプローチの必要性
ドライマウスの原因は一つではなく、様々な要因が複雑に絡み合って発症することが多いため、原因を特定し、それに応じた対策を講じることが重要です。
1.唾液腺の機能低下・萎縮
①シェーグレン症候群
涙腺や唾液腺などの外分泌腺を標的とする自己免疫疾患で、唾液腺の機能が著しく低下します。
②放射線治療
頭頸部がんの放射線治療は、唾液腺に障害を与え、不可逆的な唾液分泌量の低下を引き起こすことがあります。
③加齢による唾液腺の線維化・脂肪変性
年齢とともに唾液腺組織が変化し、分泌能力が低下することがあります。
2.全身疾患・代謝性疾患
①脱水症
発熱、下痢、嘔吐などによる全身の水分不足は、直接的に唾液量の減少につながります。
②糖尿病
血糖値が高い状態が続くと、腎臓での水分排出が増え、全身が脱水状態になりやすく、口渇感が強まります。
③その他様々
甲状腺機能亢進症、腎障害、貧血(鉄欠乏性貧血など)
3.薬剤の副作用(薬剤性ドライマウス)
実はこれがドライマウスの最も一般的な原因の一つとされています。
特に高齢者では、複数の薬剤を服用する「ポリファーマシー」が問題となり、薬剤による唾液分泌抑制作用が重なることで症状が悪化しやすくなります。
①抗コリン作用を有する薬剤
花粉症治療薬、かぜ薬、胃薬(消化性潰瘍治療薬)、一部の精神科治療薬など。
②降圧薬・利尿薬
全身の水分量を減少させることで、唾液量も低下させます。
多くの場合、薬剤の減量や中止によって症状が改善する可能性がありますが、自己判断せずに必ず医師や薬剤師に相談することが重要です。
4.神経性・精神的要因
①ストレス、不安、うつ病
自律神経のバランスが乱れ、交感神経が優位になると唾液分泌が抑制されます。
②口呼吸
鼻疾患などにより口呼吸が常態化すると、口腔内が乾燥しやすくなります。
5. 加齢による唾液の「質」の変化:最新の研究から
ここまでの要因に加え、新たな研究結果が、加齢と唾液の質的な変化の関連性を示唆しています。
動物実験・研究結果から、老化によりマウスの顎下腺では、「新たな酸性ムチンが発現する」ことが判明しました。
また、シアロ糖鎖をもつムチンの割合が増加する傾向にあることが解析から分かっていましたが、ムチンの糖鎖末端へシアル酸を付加する幾つかのシアル酸転移酵素遺伝子の発現が、老化により上昇していることが明らかになりました。
シアル酸を含むシアロ糖鎖は全般に強い負電荷を帯びており、分子内に水を多く保持できる性質をもつため、酸性ムコ多糖類は高い粘性を示すことが知られています。
このことから、老化により、新たなムチンが発現することやシアロ糖鎖を含有する酸性ムチンが増える点が、口腔乾燥症状の大きな特徴の一つとして知られる「唾液粘性増加の原因」となっていることが示唆されます。
この知見は非常に興味深いもので、たとえ唾液の「量」が保たれていても、「質」が変化することで、唾液本来の潤滑性や自浄作用が低下し、口の中がネバつく、食べ物がまとまりにくいといった不快感につながる可能性を示唆しています。
つまり、高齢者のドライマウスは単なる唾液量減少だけでなく、唾液の組成変化、特に粘性の増加も大きな要因となっている可能性があるのです。
ドライマウスの対策と治療:多角的なアプローチでQOL向上を
ドライマウスの治療は、その原因と症状の程度に応じて、多角的なアプローチが求められます。
1. 生活習慣の改善とセルフケア
①こまめな水分補給
水やお茶を少量ずつ頻繁に摂り、口腔内を潤しましょう。カフェインやアルコールは利尿作用があるため、摂りすぎに注意が必要です。
②口腔保湿剤の活用
人工唾液、口腔保湿ジェル、スプレーなどを活用し、口腔内の乾燥を防ぎます。
ヒアルロン酸やキシリトール、酵素(ラクトフェリン、リゾチーム)などを配合した製品が市販されています。
特に寝ている間の乾燥対策には、保湿効果の高いジェルタイプが有効です。
③唾液分泌を促す食品
ガムを噛む、梅干しやレモンなど酸味のあるものを食べる、昆布やスルメなどの噛みごたえのある食品を摂ることも、唾液腺を刺激し分泌を促します。
④口腔マッサージ・体操
顎下腺や耳下腺をマッサージしたり、舌や口唇の体操を行ったりすることで、唾液腺を刺激し分泌を促進します。
⑤徹底した口腔衛生
唾液の自浄作用が低下しているため、虫歯や歯周病、カンジダ症のリスクが高まります。フッ化物配合歯磨剤の使用、デンタルフロスや歯間ブラシの活用、そして歯科医院での定期的な専門的クリーニングが不可欠です。
2. 薬物療法(唾液分泌促進薬)
唾液腺の機能が残っている場合には、唾液分泌を促進する薬剤が有効です。
①コリン作動薬
ピロカルピン塩酸塩(サリグレン、サラジェン)、セビメリン塩酸塩(エボザック)などがあります。
これらは唾液腺にあるムスカリン受容体を刺激して唾液分泌を促します。
シェーグレン症候群や頭頸部放射線治療後の口腔乾燥症に対しての処方には保険適用があります。
副作用として、吐き気、腹痛、発汗などがあるため、医師の指示に従って服用します。
②漢方薬
麦門冬湯、白虎加人参湯などが、患者さんの体質や症状に合わせて処方されることがあります。
3.対症療法
①粘稠唾液対策
唾液の粘つきが強い場合には、ムコソルバンやビソルボンといった粘液溶解薬が用いられることもあります。
これにより、唾液の性状を改善し、口の中の不快感を軽減します。
②口腔カンジダ症への対応
真菌薬の塗布や内服を行います。
③虫歯・歯周病の治療と予防
進行した虫歯や歯周病の治療はもちろん、フッ素塗布やシーラントなどの予防処置を積極的に行います。
④義歯の調整
ドライマウスによって義歯が合わなくなることもあるため、歯科医師による調整や義歯安定剤の使用指導も必要に応じて行います。です。
4.原因疾患の治療・薬剤の見直し
糖尿病などの全身疾患が原因の場合は、その疾患の治療を優先します。
また、服用中の薬剤が原因である場合は、医師と相談し、可能であれば薬剤の種類や量を変更することを検討します。
歯科医院の役割:専門的な診断と個別化されたサポート
ドライマウスは、患者さんの訴えが多様で、原因も多岐にわたるため、自己判断せずに歯科医院を受診することが最も重要です。
歯科医院では、以下の点のようなサポートを受けることができます。
①より正確な診断
唾液分泌量検査(ガムテストなど)や問診、口腔内診査により、ドライマウスの有無と重症度を判断します。
②原因の特定
服用中の薬剤、全身疾患の既往歴、生活習慣などを詳しく聞き取り、原因を特定するための手がかりを探します。
③個別化された治療計画
患者さん一人ひとりの状態に合わせた、最適な治療計画を提案します。
④口腔ケア指導
効果的なブラッシング方法、保湿剤の選び方と使い方、唾液腺マッサージの方法などを具体的に指導します。
⑤他科連携
必要に応じて、内科医や耳鼻咽喉科医など、他の医療専門家と連携し、包括的な治療を提供します。
終わりに:口の渇きを我慢せず、快適な日常を取り戻そう
口の渇きは、単なる不快感ではなく、全身の健康と密接に関わる重要なサインです。
特に高齢者においては、唾液の「量」だけでなく、粘性の「質」の変化も症状の原因となるという最新の知見も加わり、ドライマウス治療の複雑性が増しています。
日々の生活で「口が渇くな」と感じたら、それは体が発するSOSかもしれません。
放置せずに、まずは歯科医院に相談してください。適切な診断と治療、そして日々のセルフケアを組み合わせることで、多くのドライマウスの症状は改善され、快適な食生活や会話、そして全身の健康を取り戻すことができます。
ドライマウスに関する疑問や不安があれば、遠慮なくご相談ください。
