2026年3月09日

(院長の徒然コラム)

はじめに:現代社会における味覚障害の増加と歯科の役割
「最近、食事が美味しくない」「口の中に常に変な味がする」—このような味覚の異変を感じる方は、実は少なくありません。
ストレスの多い現代社会、食生活の変化、高齢化の進展などを背景に、味覚障害を訴える患者は年々増加傾向にあります。
味覚は、私たちが日々の生活の中で「食べる喜び」を感じる上で不可欠な感覚であり、その機能が損なわれることは、QOL(Quality of Life:生活の質)の著しい低下に直結します。
味覚障害と聞くと、多くの方がどの科を受診すればいいんだろうと思い悩まれるかもしれません。
今回ご紹介する北海道大学病院歯科口腔外科における2024年の研究論文「Patients with Taste Disorders in a Hospital’s Dental Department and Strategies for Taste Disorders」は、歯科医療の現場においても味覚障害が重要な課題であることを示しています。
この論文は、2007年から2018年にかけて北海道大学病院歯科口腔外科を受診した322名の味覚障害患者を対象とした後方視的調査に基づいており、歯科領域で診られる味覚障害の特徴とその治療戦略について深く考察しています。
今回のコラムでは、この研究論文を基に、味覚障害のメカニズムから原因、診断、そして歯科医療が果たすべき役割まで、多角的に掘り下げていきたいと思います。
味覚の神秘:私たちが「美味しい」と感じるまで
私たちが「美味しい」と感じるためには、複雑かつ精緻なプロセスが働いています。
まず、味覚の入り口となるのは、主に舌の表面にある「味蕾(みらい)」と呼ばれる感覚器官です。
味蕾には、I型、II型、III型に分類される味覚受容細胞が存在し、それぞれが特定の味質(甘味、塩味、酸味、苦味、うま味)を感知します。
食べ物に含まれる味物質は、唾液に溶け込んだ後、これらの味覚受容細胞と結合します。
この結合が電気信号に変換され、顔面神経、舌咽神経、迷走神経といった味覚神経を介して脳へと伝えられます。
信号はまず、脳幹の孤束核に達し、その後、視床を経て大脳皮質の一次味覚野で「味」として認識されます。
さらに、味覚信号は感情を司る視床下部や扁桃体にも伝達され、食欲や快感といった情動的な反応を引き起こします。
特筆すべきは、味覚は単独で機能しているわけではない点です。
嗅覚情報、口腔内の触覚(食感)、温度感覚、さらには視覚情報などが大脳皮質で統合され、最終的に私たちは「風味」や「美味しさ」として認識しています。
この複雑なシステムは、末梢の味覚受容機構から中枢神経系に至るまで、どこに異常が生じても味覚障害を引き起こす可能性を示唆しています。
味覚障害の種類と症状:定量的変化と定性的変化
味覚障害は、その症状によって大きく「量的味覚異常」と「質的味覚異常」に分類されます。
1.定量的味覚異常
これは、特定の味を感じる能力が低下したり、完全に失われたりする状態を指します。
①味覚低下(Hypogeusia)
特定の味(甘味、塩味など)を感じにくくなる状態です。
②味覚消失(Ageusia)
完全に味を感じられなくなる状態ですが、これは比較的稀です。
③解離性味覚障害(Dissociative taste disorder)
特定の味質だけが感じにくくなる状態です。
調査対象患者322名のうち154名が味覚低下、解離性味覚異常などの量的味覚障害と診断されています。
2. 質的味覚異常
これは、味の質そのものが異常に感じられる状態を指します。
①異味症(Dysgeusia)
実際には存在しない不快な味(苦味、鉄のような味など)が常に口の中に感じられる状態です。あるいは、本来の味とは異なる味に感じる場合もあります。
②幻味(Phantogeusia)
味物質が存在しないにも関わらず、特定の味が感じられる状態です。
③不快味(Maltaste)
通常は快く感じる味が不快に感じられる状態です。
調査対象のうち168名の患者が自発性異常味覚、異味症、不快味などの質的味覚障害と診断されています。
質的味覚障害は客観的な評価が難しく、患者の自覚症状の聴取が診断の重要な手がかりとなります。
味覚障害の多岐にわたる原因:歯科から見た特徴
味覚障害の原因は非常に多岐にわたりますが、歯科領域で遭遇する味覚障害の原因には独自の特徴があります。
調査対象患者における味覚障害の原因の内訳を見てみましょう。
⚫︎心因性(Psychogenic): 35.1%
⚫︎特発性(Idiopathic): 20.5%
⚫︎口腔疾患(Oral diseases): 19.9%
⚫︎亜鉛欠乏(Zinc deficiency): 10.2%
⚫︎薬剤性(Drug-induced): 5.0%
⚫︎全身疾患(Systemic diseases): 5.0%
⚫︎医原性(Iatrogenic): 2.5%
⚫︎風邪/嗅覚障害(Common cold/sense of smell): 1.9%
この内訳は、耳鼻咽喉科領域からの報告とは異なる比率となっています。
特に注目すべきは「口腔疾患」と「心因性」の割合が高い点です。
1. 口腔疾患が引き起こす味覚障害の重要性
今回の紹介論文では、味覚障害全体の約20%が口腔疾患に起因すると報告されており、これは耳鼻咽喉科からの報告と比較して約3.6倍も高い割合です。
口腔疾患が味覚障害を引き起こす主なメカニズムと具体的な疾患は以下の通りです。
①口腔カンジダ症
舌や口腔粘膜にカンジダ菌が異常増殖することで、味覚が鈍麻したり、不快な味がしたりすることがあります。
カンジダ菌は味物質の拡散を阻害するだけでなく、粘膜に侵入して末梢神経系に損傷を与える可能性も指摘されています。特に高齢者において発症しやすい傾向があります。
②ドライマウス(口腔乾燥症)
唾液は味物質を溶かし、味蕾に運搬するために不可欠です。
唾液分泌が減少すると、味覚受容体への味物質の到達が妨げられ、味覚が鈍麻します。
ドライマウスは、水分摂取不足、唾液腺疾患、全身疾患(シェーグレン症候群など)、薬剤の副作用など、様々な原因で生じます。
③舌炎・舌苔
舌の炎症や、舌の表面に付着する細菌や食べかすの層である舌苔の過剰な蓄積は、味蕾の機能を妨げ、味覚障害を引き起こすことがあります。
舌自体の炎症だけでなく、重度の歯周病に伴う炎症性の滲出液が苦味を感じさせるケースも報告されています。
④その他の口腔内の問題
不適合な義歯や、口腔内の不衛生状態が異味症の原因となることもあります。
これらの口腔疾患は、歯科医院での適切な診断と治療によって味覚障害の改善が期待できるため、歯科医師の専門性が特に発揮される領域と言えます。
2. 心因性・特発性味覚障害と現代社会
紹介論文では、心因性味覚障害が全体の35.1%と最も多く、質的味覚障害においては量的味覚障害の1.5倍も心因性が関与していることが示されています。
現代社会のストレス、不安、うつ病などが味覚に影響を与えることは広く知られています。
味覚信号は感情を司る脳の部位にも伝達されるため、精神的な状態が味覚の認識に大きな影響を及ぼす可能性があります。
また、特発性味覚障害とは、詳細な検査を行っても明らかな原因が特定できない場合に診断されます。
しかし、これらのケースの中にも、潜在的な心因的要因が関与している可能性が示唆されています。
3. 亜鉛欠乏:期待される効果と限界
亜鉛は、味蕾の細胞の再生や機能維持に不可欠な微量元素であり、亜鉛欠乏が味覚障害の主要な原因の一つであることは広く認識されています。
耳鼻咽喉科領域からの報告では、亜鉛補充療法が約70%の患者に有効であるとされています。
しかし、今回の紹介論文の歯科口腔外科のデータでは、亜鉛欠乏が原因の味覚障害は全体の10.2%に留まっています。
また、血清亜鉛値と味覚異常のタイプとの間に関連性は見られず、血清亜鉛値はあくまで参照レベルの情報であり、全ての味覚障害に亜鉛が有効ではない可能性が示唆されています。
これは、治療を行う診療科によって味覚障害の原因の割合が異なるためであり、歯科の現場では亜鉛補充療法が効果的でないケースも多く経験されるという現状を反映しています。
4. その他の原因
①薬剤性
降圧剤、抗うつ薬、抗がん剤など、様々な薬剤が副作用として味覚障害を引き起こすことがあります。
今回の紹介論文では全体の5.0%が薬剤性でしたが、耳鼻咽喉科の報告と比較して少なく、これは歯科を受診する患者層の違いを反映している可能性があります。
②全身疾患
糖尿病、腎疾患、肝疾患、甲状腺機能障害、消化器疾患など、多くの全身疾患が味覚障害の原因となることがあります。
これらの疾患による栄養吸収不良(特に鉄やビタミンB12の欠乏)も味覚に影響を及ぼします。
③COVID-19関連
近年、COVID-19感染症の合併症として味覚・嗅覚障害が注目されています。
今回の紹介論文のデータ期間はCOVID-19パンデミック前ですが、現代においては新たな原因として認識されるべきです。
④医原性
外科処置や神経損傷など、医療行為に起因する味覚障害も存在します。
味覚障害の診断:多角的なアプローチ
味覚障害の適切な診断には、多角的なアプローチが不可欠です。具体的な方法を見ていきましょう。
1. 問診
患者の味覚症状の開始時期、経過、具体的な味の感じ方(何が感じにくいか、どんな異味がするか)、既往歴、服用中の薬剤、全身疾患の有無、喫煙・飲酒習慣、食生活、ストレス状況、嗅覚障害の有無など、詳細な情報を聴取します。
特に、症状がいつから始まったか、どのような時に悪化するか、特定の薬剤の服用開始との関連など、時系列の確認が重要です。
2. 口腔診査
歯科医師による口腔内の直接的な診察です。
①舌の状態
舌苔の有無、舌炎(地図状舌、正中菱形舌炎など)、舌乳頭の萎縮、口腔カンジダ症の兆候(偽膜性カンジダ症、萎縮性カンジダ症など)がないかを確認します。
②口腔粘膜全体
炎症、潰瘍、乾燥(ドライマウス)の程度を評価します。
③歯周組織
重度の歯周病の有無を確認します。
④唾液量
唾液分泌検査(ガムテストなど)を行い、唾液の質と量を客観的に評価します。
3. 味覚検査
味覚の閾値や質の異常を客観的に評価するための検査です。
①ろ紙ディスク法(FPD法)
ろ紙に味物質(甘味、塩味、酸味、苦味)を染み込ませたディスクを舌の特定部位(舌尖、舌縁など)に置き、味の有無や強さを段階的に評価します。
健康保険でカバーされる標準的な検査法ですが、味覚受容体の機能評価に役立ちます。
高齢者では味覚閾値が上昇する傾向があるため、年齢に応じた基準値で評価されます。
②全口法
4種類の味覚溶液を舌全体に滴下し、認知閾値を評価する方法です。舌全体の味覚機能を評価するのに適しています。
③電気味覚検査
微弱な電流を舌に流し、金属味を感じる最小電流を測定することで、味覚神経の興奮性を評価します。
4. 血液検査
味覚障害に関連する全身的な因子を調べます。
①血清亜鉛濃度
亜鉛欠乏の有無を評価します。
今回の紹介論文では、血清亜鉛値は参照レベルの情報であり、味覚異常のタイプと必ずしも関連しないと述べられていますが、全身的にも重要な指標の一つです。
②血清銅、鉄、ビタミンB12濃度
これらの栄養素の欠乏も味覚障害の原因となることがあります。
③肝機能、腎機能、甲状腺機能
全身疾患のスクリーニングとして実施されます。
5. 心理検査
心因性の要因が疑われる場合に実施されます。
①Zung自己評価式抑うつ尺度(SDS)
うつ病のスクリーニングツールとして活用されます。
心因性味覚障害の診断補助としてSDSが有効である可能性が指摘されており、約4分の1の心因性味覚障害患者に有効な診断ツールとなりうると紹介論文では述べられています。
これらの検査結果を総合的に判断することで、味覚障害の根本原因を特定し、最適な治療へと繋げることができます。
味覚障害の治療戦略:原因に応じた個別化医療
味覚障害の治療は、その原因に特化した「原因療法」が原則となります。
1. 口腔疾患に対するアプローチ
口腔疾患が原因である場合、歯科医師が主体となって治療を行います。(まあ得意分野なんで)
①口腔カンジダ症
抗真菌薬の内服や含嗽剤の使用により、カンジダ菌の増殖を抑制します。
②ドライマウス
唾液腺マッサージ、保湿剤の使用、唾液分泌促進薬(セビメリン、ピロカルピンなど)の処方、生活習慣の改善指導(水分補給、口腔ケアの徹底など)が行われます。
③舌炎・舌苔
舌の清掃指導、口腔衛生状態の改善、ビタミン剤の補充などが行われます。
④歯周病
専門的な歯周治療により、炎症をコントロールします。
今回の紹介論文では、約20%の味覚障害が口腔疾患に起因し、口腔治療によって改善が見込まれると結論付けており、歯科医療の現場での早期発見・早期治療の重要性を強調しています。
2. 亜鉛補充療法
亜鉛欠乏が確認された場合、亜鉛製剤が処方されます。日本では、商品名プロマック®︎つまりポラプレジンク(一般名:アセチル亜鉛水和物)が味覚障害に対する保険適用外使用として承認されています。
口腔外科分野の報告では、亜鉛補充療法が約10%の患者に有効であると示唆されていますが、耳鼻咽喉科からの報告(約70%の有効性)と比較すると、歯科で診られる患者群ではその有効性が限定的である可能性も指摘されています。
これは、歯科受診患者における味覚障害の原因が多岐にわたるためと考えられます。
3. 心因性・特発性味覚障害への対応
精神的な要因や原因不明の味覚障害に対しては、対症療法や精神科的アプローチが考慮されます。
紹介を行うことも考えましょう。
①抗不安薬・抗うつ薬
エチルロフラゼピンなどの抗不安薬が、特発性や心因性味覚障害の治療選択肢となることがあります。
②カウンセリング・精神科連携
重度のうつ病や不安障害が関与している場合は、精神科医との連携が不可欠です。
歯科医師は患者の精神状態に配慮し、必要に応じて専門医への紹介を行います。
4. 薬剤性の味覚障害
原因薬剤が特定された場合、可能であれば薬剤の変更を主治医に相談します。
ただし、自己判断での中止は危険なため、必ず医師の指示に従う必要があります。
5. 全身疾患の管理
糖尿病、甲状腺機能障害などの全身疾患が原因の場合、その疾患自体の適切な管理が味覚障害の改善に繋がります。
内科医などとの密接な連携が求められます。
6. その他の治療
鉄欠乏性貧血やビタミンB12欠乏症が原因であれば、それぞれの補充療法が行われます。
嗅覚障害が関与している場合は、耳鼻咽喉科での治療も考慮されます。
治療の成功には、患者自身が原因を理解し、治療に積極的に取り組む姿勢も重要です。
歯科医師は、患者の不安を軽減し、継続的な口腔ケアや生活習慣の改善をサポートする役割も担います。
歯科医師の役割:味覚障害診療での連携
歯科医院は、口腔内の専門家として、味覚障害の原因が口腔疾患にある場合に、その診断と治療をリードできる唯一の医療機関と言えます。
⚫︎歯科医師が果たすべき役割
①早期発見とスクリーニング
日常の歯科診療において、患者の問診や口腔診査を通じて味覚障害の可能性を早期に察知することが重要です。
「最近、食事が美味しくない」「口の中に違和感がある」といった訴えがあった際には、単なる不定愁訴として片付けず、味覚障害のスクリーニングを行うべきです。
②口腔疾患の専門的治療
口腔カンジダ症、ドライマウス、舌炎、歯周病など、歯科で直接治療可能な口腔疾患が味覚障害の原因である場合、その専門的な治療を通じて症状の改善を図ります。
これにより、患者のQOL向上に大きく貢献できます。
③多職種連携
味覚障害の原因が口腔疾患以外にある場合でも、歯科医師は患者の口腔状態を管理しながら、耳鼻咽喉科、内科、精神科など、適切な専門医への紹介を行うハブとしての役割を担います。
診断と治療には包括的なアプローチが必要であり、他科との連携が重要です。
④情報提供と患者教育
味覚障害に関する正しい知識を提供し、患者が自身の症状や原因を理解できるようサポートします。
生活習慣の改善や口腔ケアの指導も、治療効果を高める上で不可欠です。
おわりに:味覚の健康を守るために
味覚障害は、食生活の質の低下だけでなく、全身の健康状態にも影響を及ぼす可能性があります。
今回の北海道大学病院歯科口腔外科の研究論文は、歯科医療が味覚障害診療において果たすべき重要な役割と、その可能性を示してくれました。
もしあなたが、あるいはあなたの大切な人が味覚の異変を感じているのであれば、それは見逃してはならない大切なサインです。
まずはかかりつけの歯科医院に相談してみてください。
口腔内の専門家である歯科医師が、あなたの味覚の悩みに真摯に向き合い、適切な診断と治療、あるいは専門機関への連携を通じて、再び「食べる喜び」を取り戻すための一歩となるでしょう。
歯科医療は、単に歯の治療に留まらず、口腔の健康から全身の健康、そして生活の質の向上に貢献する、より包括的な医療へと発展していくはずです。
その中で、味覚障害診療は、歯科医療が担うべきフロンティアの一つとして、ますますその重要性を増していくことでしょう。
私たちは、エビデンスに基づき、患者さんの笑顔と健康的な食生活を支えるため、日々研鑽を積んでいきます。
