2026年5月27日

(院長の徒然コラム)

はじめに
2026年に実施された第119回歯科医師国家試験は、歯科界に大きな衝撃を与えました。
受験者数は2,837人、合格者数は1,757人。合格率は61.9%という厳しい結果となり、受験者数・合格者数ともに過去最低水準を記録しました。
近年の歯科医師国家試験は、単なる知識暗記型試験ではなく、臨床推論や全身管理能力を問う方向へ大きくシフトしています。
そのため「難化」はある意味当然とも言えます。しかし、歯科界では以前から、別の見方も根強く存在しています。
それは、「国家試験が“能力評価”だけではなく、“歯科医師数調整”の役割を担っているのではないか」
という疑問です。
このテーマは以前から水面下で議論されてきましたが、近年の急激な合格率低下や、既卒受験者への極端な厳しさによって、再び注目され始めています。
一方で現在の日本では、高齢歯科医師の大量引退、地方の歯科医不足、訪問歯科需要の急増など、“歯科医師が足りなくなる未来”も現実味を帯びています。
つまり今、日本の歯科界では、
「歯科医師は多すぎるのか、それとも足りなくなるのか」
という極めて大きな転換点に差しかかっているのです。

第119回歯科医師国家試験が示した「異変」
第119回国家試験で特に衝撃だったのは、単純な合格率低下だけではありません。
歯科界で問題視されているのは、「既卒者の極端な低合格率」です。
既卒合格率は国公立で27.6%、私立で28.0%とされています。
つまり、一度卒業後に不合格となると、その後の突破が極めて困難になる構造が存在しているのです。
この現象は以前から続いています。
かつて歯科医師国家試験は、合格率80%前後の時代もありました。しかし2000年代以降、急速に難化が進み、60%台が常態化しました。
この背景には、1990年代以降続いてきた「歯科医師過剰論」があります。
当時、日本では「コンビニより歯科医院が多い」という言葉が繰り返し使われ、「歯科医師は増えすぎた」という社会認識が広がりました。
その結果、
- 歯学部定員削減
- 国家試験厳格化
- 合格者数抑制
という政策が長年続けられてきたのです。
つまり現在の国家試験難化は、単なる教育水準向上だけではなく、「歯科医師数抑制政策」の延長線上にあるとも考えられます。
現場ではすでに“歯科医不足”が始まっている
ところが現在、現場では全く逆の問題が起きています。
実際、日本の歯科医師数は2020年頃をピークに減少へ転じています。
2022年末時点の歯科医師数は約10万5,267人。
2年間で約2,000人減少しました。
さらに深刻なのは年齢構成です。
現在、日本の歯科医師のボリュームゾーンは50代・60代です。60代だけで23,566人、50代も22,398人存在しています。
一方で20代歯科医師は5,963人にとどまり、若手不足が顕著です。
つまり今後10〜20年で、大量引退時代が訪れる可能性が高いのです。
これは極めて重要な問題です。
なぜなら現在の歯科医療は、単なる「虫歯治療」ではなくなっているからです。
歯科医療は“口だけの医療”ではなくなった
近年、歯科医療の役割は大きく変化しています。
高齢社会の進行によって、歯科は全身医療の一部として位置づけられるようになりました。
例えば、誤嚥性肺炎予防、糖尿病との関連管理、周術期口腔機能管理、認知症予防、オーラルフレイル対策、栄養状態維持などです。
近年の研究でも叫ばれている通り、歯科医療は全身状態に直結しています。
特に高齢者医療において、口腔機能低下は「食べられない」「話せない」「飲み込めない」に直結します。
そしてそれは、低栄養、筋力低下、誤嚥性肺炎、要介護化へつながっていきます。
つまり歯科医療は今や、「健康寿命そのもの」に関わる医療領域になっているのです。
にもかかわらず、国家試験による供給抑制が続けば、将来的に地域医療が維持できなくなる可能性があります。
地方ではすでに“歯科医療崩壊”が始まっている
歯科医師問題を考える上で、絶対に無視できないのが“地域偏在”です。
現在、日本の歯科医師は都市部へ極端に集中しています。
東京都の人口10万人あたり歯科医師数は116.1人ですが、青森県では55.9人しかいません。
実に2倍以上の差があります。
さらに全国には、
- 無歯科医地区:784地区
- 準無歯科医地区:465地区
合計1,249地区もの歯科医療過疎地が存在します。
これは「歯科医院が近くに存在しない地域」です。
つまり、“歯科医師は余っている”どころか、
「歯科治療を受けたくても受けられない」
地域が現実に存在しているのです。
しかも地方では、高齢歯科医師の後継者不足が深刻です。
資料によれば、高齢開業医の約9割が後継者未定とされています。
つまり院長が引退した瞬間、その地域から歯科医院そのものが消滅するケースが増えているのです。
“歯科医師過剰論”は本当に現実を見ているのか
確かに1990年代には、歯科医師急増による供給過多が問題となりました。
しかし、その議論は「都市部」を中心としたものでした。
実際には、地方、離島、過疎地域、高齢化地域といった場所では、以前から歯科医不足が存在していました。
つまり本当の問題は、
「歯科医師が多い」
ことではなく、
「必要な場所にいない」
ことだったのです。
にもかかわらず、“総数”だけを見て供給を絞れば、地方から先に医療崩壊が起きます。
これは現在の医師偏在問題とも非常によく似ています。
“落とすための国家試験”になっていないか
現在の歯科医師国家試験には、もう一つ大きな問題があります。
それは、「教育を受けた人材を大量に失っている」ことです。
歯学部は6年間です。
しかも私立歯学部では、総額数千万円に及ぶ学費が必要になります。
しかし、留年、国試浪人、多浪化、既卒不合格によって、多くの学生が歯科医療現場に出られないままになっています。
全国の私立歯学部6年生の約40%が留年しているという実態があります。
さらに、6年間もの歯学教育を受けた人材が歯科医療に携われなくなるのは大きな社会的損失とも言えるのです。
これは単なる受験問題ではありません。
教育費、人的資源、地域医療、国民医療、その全てに関わる問題なのです。
実際今日本の歯科業界ではインプラント技術などの継承は進んでいますが、「歯を可能な限り残す」技術…歯周外科の技術継承などはお世辞にも上手くいっているとは言えません。
理由は明白です。若い芽が育たないどころか、そもそも種がないのです。
今後必要なのは“削減”ではなく“活用”
面白い提案をしている方もいらっしゃいます。
歯科医師国家試験に例え落ちた方も、新たな学部を創設して編入させ、歯科技工士・歯科衛生士とのダブルライセンスを取得できる仕組みを作るべきという提案がなされています。
これは非常に本質的な視点です。
つまり、
「落とした人材をどう切り捨てるか」
ではなく、
「どう医療人材として社会で活かすか」
という発想なのです。
これからの日本では、訪問歯科、地域包括ケア、在宅医療に高齢者施設連携など、多職種連携が必須になります。
その中では、歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士、医師、看護師、管理栄養士、介護職が協力するチーム医療が重要になります。
つまり今後必要なのは、「人数削減」ではなく、「時代に合った歯科医療人材の再配置」なのです。
国家試験は“誰のため”に存在するのか
もちろん、国家試験を簡単にすべきという話ではありません。
医療安全は絶対条件です。
しかし、
- 必要以上の選抜
- 多浪化
- 若手不足
- 地方崩壊
- 教育資源損失
まで引き起こしているのであれば、それは本当に適切な制度設計なのか、改めて議論されるべきでしょう。
国家試験とは本来、「安全で質の高い医療を社会へ届けるため」に存在するはずです。
決して、「人数を減らすため」だけのものではありません。
終わりに:歯科医師を“減らす時代”は終わらせないといけない
第119回歯科医師国家試験は、現在の歯科界が抱える矛盾を象徴しているのかもしれません。
一方では、合格率低下、国家試験難化、合格者抑制が進み、
もう一方では、高齢歯科医の大量引退、地方歯科医不足、訪問歯科需要増加、医科歯科連携拡大が急速に進行しています。
つまり日本は今、
「歯科医師を減らす時代」
から、
「歯科医師をどう活かすかを考える時代」
へ移行し始めているのです。
超高齢社会において、口腔機能は生命予後や健康寿命そのものに関わります。
だからこそ今必要なのは、“数を抑える発想”ではなく、
「全国どこでも質の高い歯科医療を受けられる社会をどう作るか」
という視点なのではないでしょうか。
