2026年4月23日

(院長の徒然コラム)

第八章:医科歯科連携の深化:「お伺い」から「専門的合意」へ
抗血栓療法患者の抜歯において、最も臨床医を悩ませるのは「主治医(内科医)とのやり取り」かもしれません。
しかし、2025年版ガイドラインの普及は、この関係性を「主従関係」から「対等な専門家同士のパートナーシップ」へと進化するよう促しています。
1. 照会状(対診)の書き方で変わる安全性
これまでの歯科からの照会状に多く見られた「抜歯したいので薬を止めていいですか?」という文言は、2025年版の精神からは完全に決別すべきものです。
安易な休薬依頼は、万が一血栓塞栓症が起きた際の責任の所在を曖昧にするだけでなく、患者を不必要なリスクに晒します。
【推奨される照会状の構成案】
①現状の提示
抜歯が必要な部位、および処置の緊急性。
②ガイドラインへの言及
「2025年版 抗血栓療法患者の抜歯に関するガイドラインに基づき、原則として抗血栓薬を継続下で抜歯を計画しております」と明記。
③止血計画の提示
「縫合および局所止血剤の填塞、術後の保護床作製などの止血処置を徹底いたします」と、歯科側が技術的責任を持つ姿勢を示す。
④全身状態の確認
「現在の基礎疾患の安定度、および凝固能以外に外科処置上注意すべき点(心不全の程度、腎機能など)」に焦点を絞って質問する。
このような「攻めの紹介状」を送ることで、内科医側も「最新の知見に基づいた歯科医師」であることを認識し、安心して継続を容認できる背景が整います。
2. 法的・倫理的リスクの管理
万が一、休薬を指示して脳梗塞が起きた場合、あるいは継続して術後出血が起きた場合、歯科医師の法的責任はどう問われるのでしょうか。
裁判例や学会の見解によれば、「ガイドラインを遵守していること」は最大の防御となります。
2025年版ガイドラインが「継続」を強く推奨している以上、特別な理由なく休薬を指示し、その結果血栓症を招いた場合、歯科医師の注意義務違反を問われるリスクが高まっています。
逆に、継続下での出血は、ガイドラインに沿った局所処置を講じていれば、不可避な合併症の範囲内として解釈される可能性が高いのです。
第九章:症例別臨床シミュレーション:ガイドラインを実戦に落とし込む
理論を落とし込むするために、2つの複雑な症例を想定したマネジメント・ロードマップを提示します。
【シミュレーション1:DAPT+抗凝固薬の「トリプルセラピー」患者】
1.患者像
78歳男性。半年前の心筋梗塞でステント留置。アスピリン+プラスグレル(DAPT)に加え、心房細動のためリクシアナ(DOAC)も服用中。重度歯周炎の左下第2大臼歯が急性転化。
2.戦略
①リスク評価
極めて出血リスクが高い「トリプルセラピー」状態。しかし、ステント留置半年以内の休薬は「絶対禁忌」に近い。
②術式
1歯のみに限定。侵襲を最小限にするため、分割抜歯を選択。
③内服調整
リクシアナのみ、当日の服用を「抜歯後」にずらすよう指示。DAPTは通常通り。
④止血
抜歯窩にサージセルを多層填塞し、水平マットレス縫合にて周囲組織をタイトに保持。
即日、印象を採得していた保護床(止血シーネ)を装着。
⑤経過
当夜に軽度の滲出性出血があったが、保護床の圧迫により自然止血。
【シミュレーション2:ワルファリン服用中の高齢者の埋伏智歯】
1.患者像
82歳女性。心臓弁膜症(機械弁)のためワルファリン服用中。右下第3大臼歯(水平埋伏)の周囲炎を繰り返し、抜歯を希望。
2.戦略
①数値確認
PT-INRが2.5で安定していることを確認。
②術式
骨削合と歯冠分割を伴う「高出血リスク」処置。
③止血処置
術中に電気メスによる凝固止血を併用。抜歯窩内には微細な骨蝋(ボーンワックス)は避け、吸収性のコラーゲンスポンジを採用。
④連携
主治医に「難抜歯だが継続で行う」旨を事前に連絡。
⑤結果
抜歯から3日後に「レバー状の血餅」が付着して来院。局所麻酔下で血餅を除去し、トラネキサム酸ガーゼで30分圧迫。再縫合は行わず、再度パックにて保護。
第十章:患者へのインフォームド・コンセントとQ&A
抗血栓療法患者の抜歯を成功させる最後のピースは、患者自身の「協力」と「安心」です。
1. 不安に寄り添うカウンセリング
「血を止める薬ではないこと」「命を守る薬であること」を強調します。
「○○さん、このお薬はホースの中にゴミが詰まらないようにする役割をしています。
お薬を止めると、ホースが破裂(脳梗塞)しやすくなってしまうので、お薬は続けましょう。
万が一、蛇口から水が漏れたら(抜歯後の出血)、私たちがここでしっかりと修理します(止血)から大丈夫ですよ。」
このような比喩を用いた説明は、患者のコンプライアンス(服薬遵守)を劇的に高めます。
2. 実践的な術後Q&A集
Q: 「もし夜中に枕が血で汚れたら?」
A:「口の中がじんわり赤い程度なら、唾液で薄まっているだけなので心配いりません。
でも、ゼリーのような塊が次々と出てくるようなら、すぐにお渡ししたガーゼを30分噛んでください。それでも止まらなければ、迷わず緊急連絡先へ。」
Q: 「食事はどうすればいい?」
A:「当日はゼリー飲料や冷めたお粥など、噛む回数が少なくて済むものにしましょう。抜いた側の反対側で噛むようにして、傷口を刺激しないでください。」
まとめ:2025年版ガイドラインが拓く歯科医療の未来
全3回にわたり、2025年版『抗血栓療法患者の抜歯に関するガイドライン』を徹底的に解説してきました。長々と解説しましたがこのコラムの結論は、極めてシンプルです。
それは、「歯科は全身疾患の管理を通じて、患者の命を支えるプロフェッショナルである」という誇りと責任の再確認です。
2025年版ガイドラインは、単なるマニュアルではありません。
それは、科学(エビデンス)と倫理(患者の安全)が高度に融合した、現代歯科医療の羅針盤です。
①「休薬」という安易な選択肢に逃げないこと。
②「止血」という技術を磨き続けること。
③「対話」を通じて、患者や医科とリスクを共有すること。
この3つの柱を愚直に実践することで、私たちは「血液サラサラの薬」を飲むすべての患者様に対し、安全で質の高い、そして「一生自分の口で食べ、元気に過ごす」ための歯科医療を提供することができます。
超高齢社会において、私たちの手技一つ、判断一つが、患者様の健康寿命を左右します。
この2025年版ガイドラインを遵守し、明日からの臨床に新たな勇気と専門性を持って臨んでいきましょう。
