2026年6月13日

(院長の徒然コラム)

通常型OSCCとの境界を病理像・免疫染色・遺伝子プロファイルから考える
口腔がんの診断において、本当に難しいのは「いかにも悪性に見える病変」を見つけることではないのかもしれません。
深い潰瘍があり、辺縁が硬く、易出血性で、頸部リンパ節腫脹を伴う。そうした典型的な口腔扁平上皮癌であれば、もちろん見逃してはいけません。しかし、臨床家としてより怖いのは、悪性らしさが乏しく、炎症や過形成、白板症、骨髄炎、嚢胞性病変、あるいは疣贅状病変のように見えながら、実際には局所浸潤性の悪性腫瘍である病変です。
口腔内には、白板症や紅板症のように悪性化リスクを考えるべき病変もあります。そうした口腔粘膜の前癌病変については、以前にも【口腔内の前癌病変について】で触れましたが、今回取り上げる孔道癌は、さらに診断上の落とし穴が深い病変です。
今回取り上げるのは、孔道癌(oral carcinoma cuniculatum)です。
先日岡山大学、東京科学大学、大阪大学の共同研究グループは、口の中に発生する扁平上皮癌の特殊亜型である「孔道癌」の遺伝子プロファイルを世界で初めて明らかにし、その遺伝子異常が、低い増殖活性などのがん細胞の特徴へとつながっている可能性があると発表したことで話題となりました。
孔道癌は、口腔扁平上皮癌の非常に稀な亜型とされます。組織学的には高分化で、細胞異型が乏しく、表層上皮と連続した扁平上皮が深部へ向かって複雑に分岐・穿掘しながら増殖します。その過程で、内部に角化物を伴う腔を形成し、全体としてウサギの巣穴のような孔道状構造を示します。“cuniculatum”という言葉は、ウサギの巣穴のような構造を意味する“cuniculus”に由来します。つまり、孔道癌の本質は、単に「高分化でおとなしい扁平上皮癌」ではなく、角化物を含む空洞をつくりながら深部へ迷路状に進む、独特の孔道状増殖にあります。
この腫瘍の厄介な点は、病理組織学的に「悪そうに見えにくい」ことです。通常型の口腔扁平上皮癌であれば、核異型、核分裂像、浸潤様式、間質反応などから悪性を疑いやすい場面があります。しかし孔道癌では、腫瘍細胞自体はよく分化しており、細胞異型は軽度にとどまることが多い。そのため、浅い生検や情報量の少ない検体では、反応性上皮過形成、偽上皮腫様過形成、過角化、膿瘍、骨髄炎、疣贅癌、あるいは高分化型扁平上皮癌との鑑別が難しくなります。
ここで臨床家が理解すべきことは、病理診断が万能ではないという意味ではありません。むしろ逆です。病理診断を正しく機能させるためには、臨床像、画像所見、病変の経過、採取部位、採取深度、そして「この病変は本当に炎症だけで説明できるのか」という臨床側の違和感が不可欠です。
稀な腫瘍であるが、知らなければ診断候補に上がらない
孔道癌は、もともと足底に発生する特殊な扁平上皮癌として1954年に報告されました。口腔内での報告は1977年が最初とされています。口腔領域では極めて稀であり、2018年のsystematic reviewでは、検索で得られた229件のうち、最終的に17論文43症例が解析対象となっています。症例数だけを見れば、日常臨床で頻繁に遭遇する疾患ではありません。
しかし、稀であることと、臨床的に重要でないことは全く違います。
むしろ稀であるからこそ、診断候補に上がりにくい。診断候補に上がらなければ、病理医に十分な臨床情報が伝わらない。臨床情報が伝わらなければ、病理像が軽く見えた場合に、炎症性病変や反応性病変として処理される危険が高くなる。孔道癌の怖さは、頻度そのものではなく、臨床医と病理医の双方に「その疾患概念が頭にないと見逃されやすい」という点にあります。
2018年のreviewでは、臨床症状として疼痛、潰瘍、腫脹、硬結、排膿、白色病変、赤白色病変などが報告されています。下顎歯肉を中心とする歯槽部・歯肉病変が多く、舌にも発生します。画像上は骨破壊を伴うことがあり、炎症性骨吸収や骨髄炎、歯原性病変のように見えることもあります。
この時点で、一般歯科臨床にとって重要な示唆があります。
「痛い」「腫れている」「膿が出る」「骨が溶けている」という所見があると、歯科医師はまず感染や炎症を考えます。それ自体は正しい臨床推論です。しかし、治療に反応しない、経過が長い、画像所見が通常の歯性感染と合わない、口腔粘膜の表面性状が不自然である、病理結果と臨床像が一致しない。そのような場合に、炎症という診断にしがみつきすぎることは危険です。
歯肉の腫れについても、すべてが歯周病や根尖病変で説明できるわけではありません。非プラーク性の歯肉病変を含めて鑑別を考える必要があることは、【歯周病じゃなくても歯茎が腫れることがある】でも整理しています。
歯科医師が最も警戒すべきなのは、「よくある病気に見えるが、経過がよくある病気ではない」病変です。
“悪性らしくない悪性腫瘍”という病理学的矛盾

孔道癌の組織像を考えると、診断困難性の理由が見えてきます。
典型的には、表層上皮と連続した高分化扁平上皮が深部へ向かって穿掘性に進展し、複雑に分岐しながら角化物を入れた腔を形成します。この所見はウサギの巣穴に似ることから、rabbit burrow様、すなわち孔道状増殖と表現されます。細胞異型は軽度で、核分裂像も目立たないことが多い。一方で、腫瘍は局所的には深く進展し、骨内へ侵入することもあります。
つまり、細胞一つひとつの顔つきはおとなしいのに、組織全体としては孔道をつくりながら深く潜っていく。
ここが通常型OSCCとの大きな違いです。
通常型OSCCの診断では、細胞異型、構造異型、浸潤様式、角化傾向などを総合して判断します。しかし孔道癌では、細胞異型が弱いため、浅い標本では悪性の根拠が十分に見えないことがあります。表層だけを採れば、過角化や反応性上皮のように見える可能性がある。膿瘍や炎症性変化が目立てば、感染性病変に見える可能性もある。骨破壊があれば、骨髄炎や歯原性病変として扱われることもあり得ます。
ここで重要なのは、孔道癌の診断的特徴が、表層の上皮変化だけではなく、深部へ連続して入り込む孔道状構造にあるという点です。表層の過角化、上皮肥厚、炎症細胞浸潤だけを見ていても、孔道癌らしさは見えません。診断に必要なのは、表層上皮から連続し、深部へ分岐・穿掘し、角化物を伴う腔を形成する構造を検体内に含めることです。
2024年の4症例報告でも、舌病変の1例では、初回の切開生検でpseudoepitheliomatous hyperplasiaと診断されていました。別の症例では、初回・再生検が診断に至らず、最終的に病変と骨を含めた切除標本で孔道癌と診断されています。これは、孔道癌において「生検をしたから安心」とは言い切れないことを示しています。
もちろん、これは生検の価値を否定する話ではありません。むしろ逆です。適切な部位から、十分な深さと量を持って、臨床情報と画像所見を添えて病理へ提出する必要がある、という話です。
病理診断は、標本に存在しない情報を診断することはできません。深部で診断的な孔道状構造を作る腫瘍に対して、表層だけの浅い検体を提出すれば、病理医は限られた断片から判断せざるを得ません。臨床医が「この病変はおかしい」と思っているなら、その違和感を病理依頼書に書くべきです。画像で骨破壊があるなら、それを伝えるべきです。過去の処置、抗菌薬反応性、病変期間、再発性、表面性状、可動性、硬結、周囲歯の状態まで、必要な情報は渡すべきです。
病理医はスライドを見ていますが、患者の口の中を見ているわけではありません。口腔病変の診断では、臨床医の情報提供も診断精度の一部です。
疣贅癌、高分化型SCC、偽上皮腫様過形成との鑑別
孔道癌で特に問題になるのが、疣贅癌、通常型の高分化型SCC、偽上皮腫様過形成との鑑別です。
疣贅癌は、外向性・疣贅状の増殖を示す高分化型の扁平上皮癌で、細胞異型が乏しい点では孔道癌と重なります。しかし、疣贅癌では広い押し込み型の増殖や、外向性の“church-spire”様角化が特徴的とされます。一方、孔道癌では、複雑に分岐する角化物を含んだ腔が深部へ入り込み、骨や筋へ潜り込むような孔道状構造を示します。
通常型の高分化型SCCとの鑑別では、細胞異型や浸潤先端の性状が問題になります。通常型SCCは、いくら高分化であっても、より明らかな細胞異型や非連続的な浸潤、破壊的な腫瘍胞巣、核異型、分裂像などを伴いやすい。一方、孔道癌では、腫瘍細胞は比較的おとなしく、凝集性を保ちながら、表層から連続する上皮が孔道状に深部へ進展する印象があります。
偽上皮腫様過形成は、慢性炎症や感染などに反応して上皮が過形成を示す病変です。表層や浅層だけを見ると、孔道癌と重なる場合があります。しかし、病変が長期に持続し、臨床的に硬結や骨破壊を伴い、画像上も侵襲性が疑われるのであれば、単なる反応性変化で済ませてよいのかを再検討する必要があります。
口腔粘膜疾患の鑑別では、口腔扁平苔癬、白板症、紅板症、カンジダ症、初期口腔癌などが問題になる場面もあります。粘膜疾患を見た目だけで単純化しないという意味では、【口腔扁平苔癬の診断と鑑別疾患】もあわせて参照しやすい内容です。
ここで重要なのは、「病理名を知っているかどうか」ではありません。歯科医師として必要なのは、次の問いを持てるかどうかです。
この病変は、本当に炎症だけで説明できるのか。
この骨破壊は、本当に歯性感染だけで説明できるのか。
この白色病変や潰瘍は、本当に経過観察でよいのか。
この病理結果は、臨床像と本当に整合しているのか。
この問いを持てるかどうかが、孔道癌のような病変では非常に重要です。
2026年論文の核心:CC、UCC、SCCの3群分類
今回の主題とした2026年の論文は、孔道癌の理解を一段進める重要な報告です。
この研究では、4施設の病理アーカイブから2002例のOSCCを後ろ向きに検討し、その中から孔道癌に特徴的な穿掘性浸潤パターンを示す23例を抽出しています。そして、WHO分類の診断基準に基づき、3名の口腔病理医が独立して評価し、最終的にCC、UCC、SCCの3群に分類しています。
ここでのCCは、carcinoma cuniculatum、つまり典型的な孔道癌です。
SCCは、穿掘性浸潤様のパターンを一部示すものの、通常型OSCCと判断された症例です。
UCCは、uncertain carcinoma cuniculatum、すなわちCCとも通常型SCCとも断定しづらい境界群です。
このUCCというカテゴリーが、非常に重要です。
現実の病理診断は、教科書のように常に明快な線で分けられるわけではありません。特に孔道癌のように、通常型OSCCと組織学的に重なる部分を持つ病変では、診断者間の揺れが生じます。ある病理医はCCに近いと考え、別の病理医は通常型SCCの要素を重く見るかもしれません。細胞異型の評価、迷路状構造の連続性、角化物を含む腔の量、孔道状構造の明瞭さ、浸潤先端の性質。これらは、ある程度の主観を含みます。
2026年論文では、CC群8例、UCC群7例、SCC群8例という分類が行われました。臨床的には、CC群では歯肉病変が多く、再発・転移が認められませんでした。一方、SCC群では舌病変が多く、リンパ節転移や再発・転移が認められました。UCC群は、その中間的な位置づけを示しました。
ここで見えてくるのは、孔道癌を「通常型OSCCとは完全に別個の腫瘍」と見るだけでは不十分かもしれない、ということです。少なくとも組織学的には、CCと通常型OSCCの間には連続性、あるいは境界領域が存在する可能性があります。
診断名は白黒をつけるために必要です。しかし、生物学は必ずしも白黒ではありません。
遺伝子解析が示したもの:孔道癌は通常型OSCCと同じなのか、違うのか
2026年論文の最も大きな価値は、孔道癌に対して遺伝子解析を行った点にあります。
CC群では、遺伝子変化が7/8例、すなわち87.5%に認められました。つまり、細胞異型が乏しく、見た目がおとなしくても、分子レベルでは腫瘍性変化を有している症例が多いということです。
しかし、その遺伝子プロファイルは通常型OSCCとは異なる傾向を示しました。
CC群では、通常型OSCCで重要なドライバーとして扱われるTP53変化が12.5%、CDKN2A変化が25.0%と低頻度でした。一方で、FAT1が50.0%、NOTCH1が37.5%、PIK3CAが37.5%、CASP8が50.0%に認められました。対照的に、SCC群ではTP53とCDKN2Aがともに75.0%と高頻度であり、FAT1とNOTCH1は認められませんでした。
これは非常に興味深い結果です。
通常型OSCCでは、TP53やCDKN2Aの異常は腫瘍の進展や悪性度、治療抵抗性、予後不良と関連して議論されることが多い遺伝子です。今回のCC群では、それらが低頻度であり、代わりにFAT1、NOTCH1、PIK3CA、CASP8の変化が目立つ。もちろん、症例数は8例と少なく、これだけで孔道癌の分子病態を断定することはできません。しかし、少なくとも「孔道癌は単におとなしく見える通常型OSCCである」とは言い切れない可能性があります。
一方で、注意すべき点もあります。
FAT1変異の多くはVUS、つまりvariant of uncertain significanceとして扱われています。現時点では、その変異がどの程度腫瘍の発生や生物学的挙動に寄与しているかは明確ではありません。PIK3CAやCASP8についても、口腔癌全体の分子分類との関係を含めて、今後さらに検証が必要です。
したがって、この論文から言えることは、孔道癌には通常型OSCCとは異なる遺伝子プロファイルが存在する可能性がある、というところまでです。これをもって、すぐに臨床現場で遺伝子パネルを診断に使うべきだ、という話ではありません。
しかし、病理像だけでは境界が曖昧な病変において、免疫染色や遺伝子解析が補助診断として意味を持つ可能性が出てきたことは重要です。特に、非腫瘍性病変との鑑別、通常型OSCCとの鑑別、UCCのような境界群の理解において、分子病理学的視点は今後避けて通れないでしょう。
p53とKi-67は何を示すのか
2026年論文では、免疫染色としてp53とKi-67も評価されています。
CC群とUCC群ではp53はwild-type patternを示し、SCC群ではabnormal patternを示しました。またKi-67 labeling indexは、CC群で18.8 ± 5.2%、UCC群で21.4 ± 12.0%、SCC群で32.9 ± 11.2%でした。CC群はSCC群よりも有意に低い増殖能を示しています。
この結果は、2012年の免疫組織化学研究とも方向性が一致します。その研究では、CC 6例、通常型SCC 6例、疣贅癌 4例を比較し、CCではCK10やCK13の発現が強く、p53、Ki-67、p63の陽性率は低いとされています。また、E-cadherin、integrin α6、laminin 5γ2などの細胞接着関連分子の発現も特徴的であり、孔道癌の独特な構築、すなわち分岐状cryptやrabbit burrow様構造に関与している可能性が示唆されています。
ここで臨床家が誤解してはいけないのは、p53がwild-type patternで、Ki-67が低めだから安全、という意味ではないことです。
むしろ逆です。
孔道癌は、悪性腫瘍でありながら、p53やKi-67だけを見ると、通常型SCCほど悪性らしい振る舞いを示さない場合がある。だからこそ、浅い生検や限られた免疫染色だけでは、非腫瘍性病変に見えてしまう可能性があるのです。
p53やKi-67は有用な補助情報ですが、それだけで診断を完結させるものではありません。臨床像、画像所見、病変の深さ、組織構築、経過を統合して判断する必要があります。
この意味で、孔道癌は歯科医師に対して非常に重要な問いを投げかけます。
我々は、細胞異型の強い癌だけを癌として疑っていないか。
「病理で強い異型がない」という結果に安心しすぎていないか。
病変全体の構造や臨床経過を、十分に診断へ反映できているか。
UCCという境界群をどう考えるべきか
2026年論文で特に面白いのは、UCCという境界群の扱いです。
UCCは、孔道癌とも通常型SCCとも断定しにくい症例群です。具体的には、CCを示唆する特徴を一部持ちながら、迷路状構造の連続性が不十分であったり、角化物を含む腔が十分でなかったり、細胞異型の評価で病理医間の意見が分かれたりする症例です。
UCC群は、臨床的にも病理学的にも遺伝子学的にも、CCとSCCの中間的な特徴を示しました。
ここから二つの可能性が考えられます。
一つは、UCCは独立した疾患単位ではなく、CCに近い症例とSCCに近い症例が混在した「診断上のグレーゾーン」であるという考え方です。つまり、より精密な診断基準や追加マーカーがあれば、最終的にはCCまたはSCCのどちらかに分類できる可能性があります。
もう一つは、孔道癌から通常型SCCへ向かう連続的なスペクトラムが存在し、UCCはその中間相を表しているという考え方です。実際に、過去にはCCの一部が通常型SCC成分を含む症例、再発時に通常型SCCとして現れた症例、転移巣で通常型SCCと診断された症例が報告されています。2026年論文でも、UCC様成分とSCC成分が併存する症例が示されています。
これは、臨床家にとって極めて重要です。
孔道癌は一般に予後が良く、転移は稀とされます。しかし、それは典型的なpure CCについての話です。病変内に通常型SCC成分が混在している場合、あるいは経時的により悪性度の高い形へ変化する可能性がある場合、単純に「孔道癌だから予後良好」とは言えません。
診断名だけで安心するのではなく、その診断がどの程度典型的なのか、切除標本全体で通常型SCC成分がないのか、p53やKi-67はどうなのか、臨床的にリンパ節や骨破壊をどう評価するのか。ここまで考える必要があります。
一般歯科医がどこで違和感を持つべきか
孔道癌は稀な腫瘍です。したがって、一般歯科医が日常的に診断名まで想起する必要があるかといえば、現実的には難しいでしょう。
しかし、診断名を知っていること以上に重要なのは、「この病変は通常の炎症ではないかもしれない」と感じる力です。
歯肉の潰瘍が治らない。
抜歯後や歯周治療後の治癒が不自然に悪い。
排膿や腫脹があるが、原因歯や感染経路が明確でない。
画像上、骨破壊の形が歯性感染として説明しにくい。
白色病変や疣贅状病変が長く存在する。
抗菌薬や通常の歯周治療に反応しない。
生検結果が炎症や過形成であっても、臨床像と合わない。
病変が深部へ進んでいる印象がある。
同じ部位で再燃を繰り返す。
このような場面では、孔道癌に限らず、悪性腫瘍や前癌病変、特殊な腫瘍性病変を考える必要があります。

特に歯肉や歯槽部に生じる病変は、歯周炎、根尖性歯周炎、歯性感染、義歯性潰瘍、外傷性潰瘍、抜歯窩治癒不全など、日常的な疾患に紛れ込みやすい。歯科医師は日常的な疾患をたくさん見ているからこそ、「よくあるもの」として処理しやすい。これは経験があるほど陥りやすい罠です。
歯周病として説明できる腫れなのか、それとも別の病変を疑うべきなのか。基本的な歯周病の評価については【歯周病治療】が入口になりますが、治療反応性や経過が合わない場合には、歯周病以外の疾患を考える視点も必要です。
臨床診断において、経験は武器ですが、同時にバイアスにもなります。
「いつもの歯周病だろう」
「いつもの根尖病変だろう」
「義歯が当たっているだけだろう」
「白板症っぽいけれど、とりあえず様子を見よう」
「病理で悪性と出ていないから大丈夫だろう」
こうした判断が、すべて間違いというわけではありません。多くの場合は正しいでしょう。しかし、問題は「正しくない少数例」をどう拾うかです。孔道癌は、その少数例を拾うための臨床感覚を鍛える題材になります。
生検の質を上げるということ
口腔粘膜疾患において、生検は極めて重要です。しかし、生検は単に「組織を取る」行為ではありません。
どこを取るのか。
どの深さまで取るのか。
どれだけの量を取るのか。
壊死や二次感染の強い部位だけを避けられているか。
腫瘍の深部構造を含められているか。
臨床写真や画像所見を病理医に共有しているか。
臨床診断として何を疑っているのかを明記しているか。
病理結果が臨床像と合わないとき、再生検や追加切除を考えるか。
孔道癌の診断では、このすべてが重要になります。
2017年の症例報告では、右下顎歯肉の3か月治癒しない潰瘍を主訴とした58歳女性において、赤白色のpebblyな病変と下顎第二大臼歯周囲の不整な骨透過像が認められ、切除標本で分岐状のkeratin-filled crypt、軽度異型、骨梁への浸潤が確認されています。2年経過で再発や転移はありませんでした。このような症例は、臨床像、画像所見、切除標本の病理像が揃って初めて全体像が見えてきます。
もし浅い表層だけの生検であれば、診断に至らなかった可能性もあるでしょう。もし骨破壊が炎症として処理され、長期間経過観察されていれば、治療時期が遅れていた可能性もあるでしょう。
生検の質を上げるとは、手技の上手さだけを意味しません。臨床情報を病理診断に接続することです。孔道癌のように、診断の核心が深部の孔道状構造にある病変では、表層だけの検体では「病理に出した」という事実は残っても、診断に必要な情報が残らないことがあります。

口腔外科的な評価や専門的な検査が必要になる場面では、一般歯科の枠内だけで抱え込まず、診療体制や紹介先を含めて考える必要があります。医院で対応できる診療内容については【診療案内】も参照してください。
予後が良いという言葉の扱いに注意する
孔道癌は、一般に局所浸潤性はあるが、転移は稀で、完全切除により良好な予後が期待される腫瘍とされます。2018年reviewでも外科的切除が治療の中心であり、再発は少数とされています。2024年の4症例報告でも、全例で根治的切除が行われ、追加治療なしで経過観察され、追跡期間中に再発は認められていません。
しかし、「予後が良い」という言葉は慎重に使う必要があります。
第一に、孔道癌は局所浸潤性です。骨へ入り込むことがあります。顎骨を破壊することがあります。局所的には決しておとなしい病変ではありません。
第二に、診断が遅れれば、切除範囲は大きくなります。転移が稀であっても、顎骨切除、再建、咀嚼・発音・審美への影響は患者にとって重大です。
第三に、pure CCと通常型SCC成分を含む病変、あるいはUCCのような境界病変を同じように扱ってよいとは限りません。通常型SCC成分が混在する場合、p53異常や高いKi-67が認められる場合、臨床的にリンパ節転移が疑われる場合には、通常型OSCCに準じた慎重な対応が必要になるでしょう。
第四に、稀な疾患であるため、エビデンスの多くは症例報告や小規模シリーズに基づいています。2026年論文も非常に重要ではありますが、CC群は8例です。統計的に強固な結論を出すには、今後の多施設研究が必要です。
「予後が良い」という言葉は、患者に安心を与える一方で、臨床家の警戒心を下げる危険もあります。孔道癌に関しては、「転移は稀だが、局所浸潤性で、診断が難しく、治療の遅れが患者の侵襲を大きくする腫瘍」と理解する方が安全です。
分子病理は臨床を置き換えるのか
近年、がん診療において遺伝子解析の重要性は増しています。口腔癌も例外ではありません。TP53、CDKN2A、PIK3CA、CASP8、NOTCH1、FAT1などは、口腔扁平上皮癌の発生や進展、分子分類の議論で繰り返し登場する遺伝子です。
では、今後は孔道癌も遺伝子解析で診断すればよいのでしょうか。
私は、そう単純ではないと思います。
遺伝子解析は非常に強力な補助情報になります。しかし、臨床像を見ず、病理構築を見ず、画像所見を見ずに、遺伝子だけで診断することはできません。むしろ、孔道癌のような病変で重要なのは、臨床、病理、免疫染色、遺伝子解析が互いに補完し合うことです。
臨床的には治らない潰瘍や骨破壊がある。
病理学的には表層上皮から連続する高分化扁平上皮が、角化物を伴う腔を形成しながら深部へ分岐・穿掘する。
細胞異型は乏しい。
p53はwild-type patternで、Ki-67は通常型SCCより低い。
遺伝子解析ではTP53やCDKN2Aが少なく、FAT1、NOTCH1、PIK3CA、CASP8などが目立つ。
こうした複数の層を重ねることで、ようやく病変の輪郭が見えてきます。
分子病理は、臨床を置き換えるものではありません。臨床の違和感を、より深く検証するための道具です。
歯科医師に求められるのは、診断名の暗記ではない
孔道癌という名前を、すべての歯科医師が日常的に思い出せる必要はないかもしれません。発生頻度から考えれば、それは現実的ではありません。
しかし、すべての歯科医師が持つべき姿勢はあります。
治らない病変を軽く見ないこと。
炎症として説明できない骨破壊を放置しないこと。
病理結果と臨床像が合わないときに、もう一度考えること。
「悪性らしくないから悪性ではない」と短絡しないこと。
専門医や病理医に、十分な情報を渡すこと。
必要なら再生検や高次医療機関への紹介をためらわないこと。
これは、孔道癌に限った話ではありません。口腔癌、前癌病変、悪性リンパ腫、唾液腺腫瘍、顎骨内腫瘍、転移性腫瘍、特殊な感染症、自己免疫性疾患など、口腔内には「歯科の日常」に紛れ込む重大疾患があります。
一般的な口内炎は自然に治ることも多い一方で、治らない潰瘍や同じ部位に続く病変では別の疾患を疑う必要があります。患者さん向けの基礎説明としては【口内炎ができる理由ってなに?】が入口になりますが、歯科医師側は「口内炎らしい見た目」に安心しすぎない姿勢が必要です。
歯科医師は、虫歯や歯周病を治すだけの職業ではありません。口腔という臓器を継続的に見ている医療者です。患者が最初に相談するのは、大学病院でも口腔外科でもなく、地域の歯科医院であることが多い。その入口で違和感を拾えるかどうかは、患者の予後や治療侵襲に直結します。
今回の論文から私が考えたこと
今回の2026年論文は、単に「孔道癌の遺伝子変化を調べました」というだけの論文ではありません。
この論文の本質は、病理診断の境界をどう扱うかにあります。
CC、UCC、SCC。
この3群分類は、診断の迷いをそのまま研究対象にしています。典型例だけを集めて「CCはこういう腫瘍です」と言うのは比較的簡単です。しかし実際の臨床では、典型例ばかりが来るわけではありません。CCのように見えるが、通常型SCCのようにも見える。細胞異型は軽いが、構築が不完全。穿掘性浸潤はあるが、角化物を含む腔が十分ではない。孔道状構造が明瞭かどうか、病理医によって判断が分かれる。
その曖昧な領域をUCCとして扱い、臨床・病理・遺伝子の中間的特徴を示した点に、この論文の価値があります。
歯科臨床でも同じです。
診断が難しい症例ほど、白黒を急ぎたくなります。炎症なのか、腫瘍なのか。良性なのか、悪性なのか。経過観察でよいのか、紹介すべきなのか。しかし、本当に難しい症例は、最初から白黒が明確ではありません。だからこそ、経過、画像、病理、再評価、専門医連携を重ねる必要があります。
臨床における危険は、「わからない」と感じることではありません。
本当はわかっていないのに、わかったことにしてしまうことです。
孔道癌は、その危険を教えてくれる腫瘍だと思います。

終わりに
孔道癌(oral carcinoma cuniculatum)は、極めて稀な口腔扁平上皮癌の亜型です。高分化で、細胞異型が乏しく、表層上皮と連続した扁平上皮が、角化物を含む腔を形成しながら、深部へ分岐・穿掘する孔道状増殖を示します。転移は稀で予後良好とされる一方、局所浸潤性は明らかであり、骨破壊を伴うこともあります。
診断が難しい理由は、悪性らしく見えにくいからです。炎症、骨髄炎、過形成、疣贅癌、高分化型SCCとの鑑別が問題になります。浅い生検や臨床情報の不足は、過小診断につながる可能性があります。
2026年の遺伝子解析研究では、CC群は通常型SCC群と異なる遺伝子プロファイルを示しました。CC群ではTP53やCDKN2Aが低頻度で、FAT1、NOTCH1、PIK3CA、CASP8が比較的高頻度でした。またp53はwild-type patternを示し、Ki-67も通常型SCCより低い傾向を示しました。UCCという境界群は、CCとSCCの間に診断上・生物学上の連続性が存在する可能性を示唆します。
この腫瘍から学ぶべきことは、診断名そのものだけではありません。
「悪性らしく見えない病変でも、悪性であることがある」
「病理結果と臨床像が合わないときは、再考が必要である」
「生検は、部位・深さ・量・臨床情報の質によって診断精度が変わる」
「診断は、臨床・画像・病理・免疫染色・分子背景を統合して考えるべきである」
歯科医師に求められるのは、すべての稀少疾患を暗記することではありません。
治らない病変を、治らないまま放置しないこと。
説明できない所見を、説明できたことにしないこと。
違和感を持ったときに、もう一段深く疑うこと。
口腔がん診断の第一歩は、病変を見つけることだけではありません。
見た目と経過と診断が噛み合わないときに、そのズレを見逃さないことです。
孔道癌は、まさにそのことを私たち歯科医師に突きつけているのだと思います。
実際の患者さんに向けては、専門的な疾患名を最初から説明するよりも、「治らない口内炎」「長く続く歯ぐきの腫れ」「説明しにくい骨の変化」「白い・赤い粘膜病変」など、受診のきっかけになる言葉で伝える必要があります。気になる症状が続く場合は、まず歯科医院で診察を受け、必要に応じて専門医療機関につなげることが重要です。ブランデンタルクリニックを初めて受診される方は【初診の方へ】もご確認ください。
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