2026年4月29日

(院長の徒然コラム)

はじめに:歯科材料は「不活性」から「生理活性」の時代へ
現代の歯科医療における材料は、日進月歩でどんどん開発されています。
かつて歯科材料に求められていたのは、失われた歯の形態を回復し、過酷な口腔内環境で物理的に耐えうる「不活性(バイオイナート)」な性質でした。
しかし、近年のトレンドは「バイオアクティブ(生理活性)」、すなわち材料が周囲の組織や細菌叢に対して積極的に働きかけ、口腔環境そのものを改善しようとする「共生」の時代へとシフトしています。
その代表格として、約20年前から日本の歯科材料メーカー、株式会社松風が提唱してきたのが「S-PRG(Surface Pre-Reacted Glass-ionomer)フィラー」です。
現在、この技術を用いた材料群は「Giomer(ジャイオマー)」と呼ばれ、詰め物(コンポジットレジン)から接着剤、シーラント、さらには歯磨剤に至るまで幅広く展開されています。
しかし、歯科医療従事者の間では、一つの疑問が常に付きまとってきました。
「カタログにあるような魔法の効果は、本当に臨床で発揮されているのか?」という点です。
今回のコラムでは、最新の論文データを交えながら、S-PRGフィラーの効果、そしてその真価を発揮させるための条件について考察してみようと思います。
第1章:S-PRGフィラーの構造と「6つのイオン」の正体
S-PRGフィラーとは何か。
一言で言えば、「あらかじめ表面を反応させた、多機能なガラスの粒」です。
従来のグラスアイオノマーセメントは、粉と液を混ぜる過程で酸塩基反応が起こり、硬化します。
これに対し、S-PRG技術では、フルオロボロアルミノケイ酸ガラス(Fluoroboroaluminosilicate glass)の表面をポリアクリル酸と反応させ、あらかじめ「グラスアイオノマー相」を形成させています。
これをコンポジットレジンのフィラーとして配合することで、レジンの強度と、グラスアイオノマーの持つイオン放出能という「いいとこ取り」を狙ったものです。
このフィラーから放出されるのは、以下の6つのイオンです。
1.フッ化物イオン(F⁻)
再石灰化の促進、耐酸性の向上。
2.ストロンチウムイオン(Sr²⁺)
フッ素との相乗効果による歯質の強化。
3. ホウ酸イオン(BO₃³⁻)
細菌の代謝を抑制し、酸産生を抑える。
4. アルミニウムイオン(Al³⁺)
酸を中和し、環境を整える。
5. ケイ酸イオン(SiO₃²⁻)
歯の再石灰化をサポート。
6. ナトリウムイオン(Na⁺)
イオン交換の潤滑剤的な役割。
さらに、最大の特徴は「リチャージ能」です。
お口の中のフッ素濃度が高い時には、フィラーがフッ素を取り込み、濃度が下がった時に再び放出するという、いわば「フッ素のバッテリー」のような働きをします。
これにより、効果が理論上半永久的に持続するとされてきました。
第2章:突きつけられた論文と「イオンの罠」
しかし、2026年の最新論文(Carvalho氏ら)は、この理想に冷や水を浴びせました。
模擬口腔環境(MOCS)を用いた実験において、S-PRG配合材料は、従来の一般的なレジンと比較して、バイオフィルムの形成抑制や脱灰防止において「有意な差が認められなかった」と報告したのです。
なぜこのような結果になったのでしょうか。
論文内では「イオンのトラップ(閉じ込め)」という現象が指摘されています。
S-PRGフィラー自体にイオン放出能力があっても、それを取り囲む「マトリックスレジン(樹脂)」が緻密で疎水性が高すぎると、イオンがお口の中に溶け出していくための「通り道」が塞がれてしまうのです。
つまり、材料の中に素晴らしい成分が閉じ込められたまま、表面に届かないという状況です。
この報告は、臨床家に重要な教訓を与えています。
単に「S-PRG配合」と書かれた材料を使えばそれだけで安心、というわけではないということです。
材料の設計、特にベースとなる樹脂の透過性や、お口の中の動的な環境が、効果の有無を大きく左右するのです。
第3章:臨床での「一手」が効果を分ける―シーラントの教訓
一方で、S-PRGフィラーを絶賛する研究結果も存在します。
2025年のYeh氏らの研究によれば、シーラント(奥歯の溝の予防充填)としてのS-PRG材料は、極めて高い虫歯抑制効果を発揮したとされています。
ここで注目すべきは、「術式(テクニック)」の影響です。
この研究では、メーカーが推奨する簡便な「セルフエッチング(プライマー処理)」だけでなく、あえて「リン酸エッチング(強力な酸処理)」を併用した場合の比較を行っています。
結果、リン酸エッチングを併用したS-PRGシーラントは、浸透性が高まるだけでなく、細菌の攻撃に対する耐性が劇的に向上しました。
これは何を意味するのでしょうか。S-PRGフィラーが持つバイオアクティブな特性は、材料が歯質と「緊密に接している」こと、そして「イオンが浸透しやすい微細な隙間(チャンネル)が存在している」ことによって、初めて引き出される可能性があるということです。
簡便さを優先するあまり、前処理を簡略化しすぎると、S-PRGの真価は眠ったままになってしまうのです。
第4章:バイオフィルムを「味方」に変える:歯磨剤への応用
S-PRGフィラーが最もそのポテンシャルを発揮しやすい形態は、もしかすると「動的な供給」かもしれません。
2021年の日本の論文(加藤氏ら)は、S-PRG配合の歯磨剤に関する興味深い考察を提示しました。
通常、お口の中の「プラーク(バイオフィルム)」は虫歯の元凶として忌み嫌われる存在です。
しかし、S-PRGフィラー配合の歯磨剤を使い続けると、バイオフィルム内のフッ素停滞性が劇的に高まることが確認されました。
その秘密は、6つのイオンの一つ、ストロンチウムと他のイオンとの「マルチイオン相乗効果」にあります。
単にフッ素とストロンチウムを混ぜただけの溶液よりも、S-PRGから溶け出した「イオンのカクテル」の方が、バイオフィルム内にフッ素を強力に引き留めるのです。
これこそが、S-PRGフィラーが目指すバイオアクティブな姿だと言えるでしょう。
第5章:矯正治療と「予防デバイス」としての活用
さらに、S-PRGフィラーの応用範囲は、詰め物や磨き粉に留まりません。
堀部氏の論文などにあるように、取り外し式の「矯正装置(リテーナーや床装置)」にS-PRGを配合するという試みも進んでいます。
矯正治療中の患者、特に小児や障害を持つ方にとって、装置の周りの清掃性を維持するのは至難の業です。
しかし、装置そのものがS-PRGを含んだ「予防デバイス」であれば、装置が触れている歯の表面や、プラークの中に持続的にフッ素を届け続けることができます。
ここでも「リチャージ」が鍵となります。
患者が装置を外している間に、高濃度のフッ素液(市販のフッ素洗口液など)に装置を浸けておくだけで、装置は再びイオンを蓄え、お口の中で放出を開始します。
同様のメカニズムを義歯で行った研究も、複数されており、これは材料を単なる「モノ」としてではなく、メンテナンス可能な「機能体」として扱う新しい歯科医療のカタチを提示しています。
第6章:歯科従事者が知っておくべき「S-PRGフィラーとの付き合い方」
我々歯科従事者はS-PRGフィラー配合材料(Giomer製品)をどのように捉えるべきでしょうか?
第一に、「過信を捨て、原理を知る」ことです。
緻密なレジンの奥に埋もれたフィラーは、その機能を十分に発揮できない可能性があります。
二次カリエス(治療した部分の再発)を完全に防ぐ魔法の材料ではありません。
第二に、「製品ごとの特性を見極める」ことです。
シーラント、フロアブルレジン、ペースト状レジン、それぞれの材料に含まれる樹脂成分やフィラー含有率によって、イオン放出能は異なります。
予防効果を最大化したい症例(例えばカリエスリスクの高い小児など)では、あえて接着性を高める前処理を徹底したり、フィラー露出を高める研磨方法を考慮するなどの工夫が必要かもしれません。
第三に、「患者との共同作業としてのリチャージ」です。
S-PRGの真価は、お口の中にフッ素が存在し続けてこそ発揮されます。
S-PRG配合レジンで治療した患者に、定期的なフッ素洗口やS-PRG配合歯磨剤の使用を勧めることは、単なる推奨以上の意味を持ちます。
それは、治療部位に「フッ素を補給し続ける」メンテナンス活動なのです。
終わりに:歯科材料が未来の「健康の基盤」になるために
S-PRGフィラーは、日本の歯科技術が生んだ誇るべきイノベーションの一つです。
しかし、そのポテンシャルを臨床的な成功(患者の歯を守り続けること)に結びつけるためには、科学的な失敗例にも目を向けて、より効果的な「使い方」を模索し続ける姿勢が欠かせません。
臨床データが示す「差がない」という結果と「劇的な効果がある」という結果。
この矛盾を埋めるのは、我々歯科従事者の知恵と技術です。
イオンが作る微細な防衛網を正しく理解し、臨床に落とし込むことで、我々は「削って詰める」だけの医療から、真の意味で「歯を守り抜く」医療へと進化することができるはずです。
