2026年11月06日

(院長の徒然コラム)

はじめに――患者さんの歯を治す歯科医師自身の身体は?
歯科医院の診療室では、毎日、非常に細かな作業が繰り返されています。
小さなむし歯を削る。歯の根の中にある細い根管を探す。歯ぐきの下に付着した歯石を除去する。被せ物のわずかな高さを調整する。
どれも歯科医師にとって日常的な処置です。
患者さんから見ると、歯科医師は診療用の椅子に座り、器具を使って口の中を治療しているように見えるかもしれません。
しかし、その作業を行っている歯科医師自身の身体に注目すると、少し違った光景が見えてきます。
患者さんの口腔内を正確に観察するために、頭を前に傾ける。
細かな部分を確認するために、首を一定の位置に保つ。
小さな器具を操作するために、肩や腕の位置を固定する。
指先では、精密な動きを何度も繰り返す。
しかも、こうした作業は数分間で終わるとは限りません。
根管治療や精密な補綴処置では、一つの治療を進めるために長時間の集中が必要になることもあります。
患者さんの歯を治療する仕事は、歯科医師自身の身体にとって、決して負担の小さな仕事ではないのです。
では、実際にどの程度の歯科医師が、首や肩、手首などに不調を経験しているのでしょうか。
2026年11月2日、国際科学誌『Scientific Reports』に興味深い研究が発表されました。
イランの歯科医師276人を対象とした研究です。
その結果、過去12か月間に肩の筋骨格系症状を経験したと回答した歯科医師は162人、58.7%でした。
およそ6割です。
さらに、手首や手の症状を訴えた人は53.6%、首の症状を訴えた人は47.8%に上りました。
歯科医師が日常的に行っている診療という仕事と、身体の健康との関係を考えさせられる数字です。
ただし、この研究結果を読む際には注意も必要です。
今回の調査は、歯科医師の肩や首の痛みが、診療姿勢によって直接引き起こされたと証明したものではありません。
また、体格指数であるBMIと上肢機能との関連も調べていますが、それについても因果関係が確定したわけではありません。
さらに、今回の原著を詳細に確認すると、主解析の結果が掲載されていないことや、統計結果表の数値が一致しないことなど、無視できない不整合も認められました。
今回は、この276人研究を出発点に、世界各国の疫学研究、筋電図や姿勢を測定した実験、身体的負担を減らすための介入試験、日本の慢性疼痛診療ガイドラインなどを組み合わせ、歯科医療者の職業健康について詳しく考えていきたいと思います。
患者さんの歯を守るために働く歯科医師自身の身体を、誰が、どのように守るべきなのでしょうか。
そして、歯科医師が長く健康に働き続けるために、診療室の環境や働き方を変えることはできるのでしょうか。
これは歯科医師だけでなく、歯科衛生士、歯科助手、そして歯科医療を受ける患者さんにとっても、決して無関係な問題ではありません。
第1部 歯科医師276人に何が起きていたのか
1.2026年11月2日の『Scientific Reports』研究とは?

今回取り上げる中心論文は、Mansouriradらが2026年11月2日に発表した研究です。
論文の英語タイトルは、次のとおりです。
Overweight and obesity as predictors of work-related upper extremity disability among dentists in Arak, Iran: a cross-sectional study
日本語では、「イラン・アラーク市の歯科医師における、仕事に関連する上肢機能障害の予測因子としての過体重と肥満:横断研究」といった意味になります。[1]
研究が行われたのは、イランのアラーク市です。
研究者らは2025~2026年に、市内の73の歯科医院や診療施設を訪問し、研究への参加条件を満たす歯科医師280人に協力を依頼しました。
そのうち276人が研究に同意し、質問票を完成させました。
招待された人に対する回答率は98.6%です。
研究では、歯科医師の年齢、性別、臨床経験、勤務時間、運動習慣、喫煙状況、身長、体重などの情報が収集されました。
さらに、筋骨格系症状を評価するNordic筋骨格系質問票と、腕・肩・手の機能を評価するDASH質問票が使用されています。
この研究の主目的は、BMIの区分とDASHスコアとの関連を調べることでした。
肩や首などの症状を経験した人の割合を調べることも重要な研究目的でしたが、論文全体の中心にあるのは、体格と上肢の機能との関連です。
今回の研究には男性142人、女性134人が参加していました。
年齢は30~39歳が112人と最も多く、次いで40~49歳が76人、30歳未満が48人、50歳以上が40人でした。
臨床経験は、5年未満が52人、5~15年が116人、16~25年が72人、25年以上が36人と報告されています。
したがって、歯科学生や新卒の歯科医師だけを対象とした研究ではなく、さまざまな年齢と経験年数の臨床歯科医師が含まれています。
ただし、研究参加者は無作為に抽出されたわけではありません。
研究者が訪問した施設から、参加条件を満たす歯科医師を便宜的に募集しています。
回答率98.6%という数字は高いものですが、それだけでイラン全体の歯科医師を代表する標本になるわけではありません。
また、参加条件にも注意が必要です。
研究では、過去6か月以内に上肢に関連する外傷や手術を受けた人や、関節リウマチなどの全身性リウマチ・炎症性疾患を持つ人などが除外されていました。
これは、歯科診療以外の要因による上肢機能への影響をある程度減らすための方法です。
しかし、歯科診療以外に筋骨格系症状を引き起こす可能性のある原因を、すべて排除したわけではありません。
さらに重要なのは、今回の研究が横断研究であることです。
横断研究とは、ある時点において対象者の状態や特徴を調べる研究です。
今回の研究では、BMI、過去の筋骨格系症状、DASHスコアなどを同じ調査時点で把握しています。
その後の身体機能の変化を追跡した研究ではありません。
したがって、BMIが高くなったことが先なのか、身体の不調が先に現れたのかという時間的な順序は分かりません。
この特徴は、後で説明するBMIと上肢機能の関連を考える際に、特に重要になります。
2.最も多かったのは肩――58.7%という数字の意味

研究で調べた過去12か月間の筋骨格系症状では、肩が最も多い部位でした。
276人のうち162人が、過去12か月間に肩の症状を経験したと回答しています。
割合は58.7%です。
95%信頼区間は52.8~64.3%でした。
次に多かったのは手首・手で、148人、53.6%です。
首は132人、47.8%でした。
腕・肘は104人、37.7%です。[1]
つまり、調査対象となった歯科医師では、肩と手首・手の症状を申告した人が過半数に達していました。
なお、これらは身体部位ごとの申告割合です。
一人の歯科医師が複数の部位に症状を経験している場合もあるため、割合を合計して100%になるものではありません。
この結果は、歯科医師の仕事を考えると興味深いものです。
歯科診療では、手指を使う細かな操作が目立ちます。
そのため、手首や指に負担がかかることは想像しやすいでしょう。
しかし、今回の調査で最も症状申告が多かったのは肩でした。
歯科診療では、腕の位置を一定に保つために、肩の周囲の筋肉が持続的に活動することがあります。
また、頭を前に傾けたり、体幹を前傾させたりする姿勢は、頸部や肩甲帯の筋活動と関係する可能性があります。
ただし、今回の276人研究では、診療中の姿勢角度や肩周囲の筋活動を直接測定していません。
したがって、肩の症状が58.7%だったことを、そのまま「診療姿勢が原因で肩を痛めた歯科医師が58.7%いた」と説明することはできません。
さらに、今回使用された質問票は、筋骨格系症状を自己申告するものです。
肩の痛みや不快感を経験したという回答は、肩関節の病気の確定診断とは異なります。
例えば、肩の痛みには腱板の障害、肩関節周囲炎、頸椎由来の関連痛、筋肉の疲労など、さまざまな病態が考えられます。
今回の研究では、それぞれの症状について整形外科的な診察や画像診断を行い、病名を確定したわけではありません。
また、過去12か月間に症状を経験したことと、12か月間ずっと痛みが続いていたことも異なります。
そのため、58.7%という数字は、あくまで「過去12か月間に肩の筋骨格系症状を経験したと回答した人の割合」です。
それでも、調査対象者の半数以上が肩の不調を申告したことは、歯科医療者の身体的な負担を考える重要な出発点になります。
3.直近7日間にも約半数が肩の症状を申告していた

今回の研究では、過去12か月間だけでなく、直近7日間の筋骨格系症状についても調べています。
その結果、肩の症状を申告した歯科医師は145人、52.5%でした。
手首・手は132人、47.8%。
首は110人、39.9%。
腕・肘は87人、31.5%でした。[1]
過去12か月間の回答に比べると、すべての部位で割合は低くなっています。
しかし、直近7日間という短い期間でも、肩の症状を申告した人が約半数いたことは注目に値します。
ただし、これだけで慢性疼痛の有病率が分かるわけではありません。
同じ人が毎週症状を経験していたのか、症状が連続して続いていたのか、仕事を休むほどだったのかは、この数字だけでは判断できません。
また、過去12か月間に申告された症状と直近7日間の症状が、同じ程度の強さだったかも分かりません。
それでも、今回の対象集団では筋骨格系の不調が珍しいものではなかったことがうかがえます。
歯科医師が診療中に首や肩の違和感を覚えたとしても、それを職業上当然のこととして受け止めてしまう場合があるかもしれません。
しかし、症状がありふれていることと、放置してよいことは同じではありません。
この違いは、職業健康を考えるうえで重要です。
4.肩の症状が最多なのに、活動制限は首のほうが多かった

今回の研究には、もう一つ興味深い結果があります。
それは、症状を経験した人の割合と、症状によって通常の活動ができなくなった人の割合が、必ずしも一致していなかったことです。
過去12か月間に肩の症状を申告した人は58.7%でした。
しかし、肩の症状に関連して通常の活動ができなかったと回答した人は45人、16.3%でした。
一方、首の症状を申告した人は47.8%でしたが、首の症状に関連した活動制限を申告した人は62人、22.5%でした。
つまり、症状の申告割合では肩が最も多かったにもかかわらず、通常の活動への制限は首が最も多かったのです。
手首・手の活動制限は28人、10.1%。
腕・肘は23人、8.3%でした。[1]
ここでいう活動制限は、歯科診療だけに限定されたものではありません。
仕事以外の日常生活も含めた通常の活動についての質問です。
したがって、「首の症状によって22.5%の歯科医師が診療不能になった」という意味ではありません。
それでも、この結果は、症状のある人の割合だけで健康上の影響を評価することの限界を示しています。
痛みや不快感があっても、日常生活への影響が比較的小さい人もいるでしょう。
一方、症状のために通常の活動が難しくなる人もいます。
身体の健康を考える際には、単に症状があるかどうかだけでなく、その症状が生活や機能にどの程度影響しているのかを評価することが重要です。
今回の研究が、部位別の症状と上肢の機能を別々に評価したことには、そのような意味があります。
5.DASHとは何か――腕・肩・手の「困り具合」を測る30項目

今回の研究を理解するためには、DASHという評価尺度について知っておく必要があります。
DASHは、Disabilities of the Arm, Shoulder and Hand の略称です。
腕・肩・手の症状や機能面の困難を評価するための質問票です。[2]
過去1週間の状態について30項目で評価し、0~100点のスコアを計算します。
点数が高いほど、症状や機能面の困難が大きいことを意味します。
DASHは肩の痛みだけを測定するものではありません。
腕、肩、手の機能をまとめて評価する尺度であり、特定の関節疾患や神経障害を診断する検査ではありません。
また、歯科治療の精密さや、実際の治療技術を測定する検査でもありません。
今回の研究では、通常の30項目からなるDASHを使用しており、仕事に特化した追加モジュールは使用されていません。
研究対象者276人は全員、DASHスコアを計算するために必要な項目数を回答していました。
そして、276人のうち180人、65.2%がDASHスコア20点超だったと報告されています。
この数字を見ると、歯科医師の65.2%に医学的な上肢機能障害があったように思えるかもしれません。
しかし、ここにも注意が必要です。
今回の研究で使用された20点という境界は、歯科医師の機能障害を診断するために確立された基準ではありません。
研究者が探索的な解析のために設定した区切りです。
DASHは本来、連続した数値として症状や機能の状態を評価する尺度です。
20点を超えるかどうかだけで二つの集団に分けると、元のスコアが持つ情報の一部が失われます。
例えば、21点の人と60点の人は同じ群に分類されます。
一方、20点の人と21点の人は非常に近い状態であっても、二値化すると別の群になります。
そのため、DASH20点超という数字を、医学的に確定した障害の有病率として解釈することは適切ではありません。
また、今回の研究では二つの異なる質問票が使用されています。
Nordic筋骨格系質問票は、どの身体部位に症状があったかを把握するためのものです。
一方、DASHは腕・肩・手の症状や機能面の困難をまとめて数値化するものです。
評価している内容も、評価期間も異なります。
したがって、肩の症状58.7%とDASH20点超65.2%を、同じ現象の割合として単純に比較することはできません。
6.世界の歯科医療者にも筋骨格系症状は多いのか

今回のイラン研究だけを見ると、特定の地域や職場環境による結果なのではないか、と考える人もいるでしょう。
そこで、世界各国の研究を確認してみます。
2022年に発表されたChennaらの系統的レビュー・メタ解析では、歯科医療者の筋骨格系障害に関する88論文から89の有症割合推定値が統合されました。
その結果、筋骨格系障害の統合推定有症割合は78.4%、95%信頼区間74.8~82.0%でした。[3]
かなり高い数字です。
ただし、この研究には歯科医師だけでなく、歯科衛生士、歯科学生、歯科補助職なども含まれています。
さらに、研究間の異質性が非常に大きく、I²は99.82%でした。
異質性とは、研究ごとの結果がどの程度ばらついているかを示すものです。
このように異質性が大きい場合、統合された一つの数字を、世界共通の確定した有症率として扱うことには注意が必要です。
一方、2018年に発表されたイランの歯科医師を対象とする系統的レビュー・メタ解析では、23研究、計2,531人のデータが統合されています。
その研究では、首51.9%、肩33.2%、手首・手33.7%、腰37.3%という推定値が報告されました。[4]
今回の276人研究では肩が58.7%でしたから、以前のメタ解析よりも高い割合です。
しかし、この差をもって「近年になって歯科医師の肩の不調が増えた」とは言えません。
調査対象者、地域、質問票、症状の定義、評価期間、標本抽出方法などが異なるためです。
さらに、2018年にはLietzらによって、西洋諸国の歯科医療者を対象とした系統的レビュー・メタ解析も発表されています。
このレビューでは41研究が採用され、そのうち30研究がメタ解析に含まれました。
部位別の統合推定有症割合は、首58.5%、腰56.4%、肩43.1%、背中上部41.1%でした。[5]
こちらも歯科医師だけを対象とした全国調査ではありません。
しかし、複数の国や研究において、首、肩、腰、手首などの筋骨格系症状が繰り返し問題となっていることは分かります。
歯科医療者の身体的負担は、イランだけに特有の問題ではない可能性があります。
ただし、どの部位が最も多いか、症状の強さがどの程度か、実際に仕事へ支障をきたす人がどのくらいいるかは、研究によって異なります。
症状を経験した割合と、職業によって特定の病気が発生した割合は同じではありません。
こうした区別を保ちながら、歯科診療という仕事の身体的な特徴を考える必要があります。
第2部 歯科診療はなぜ首・肩・手首に負担をかけるのか
7.歯科診療は「動いている仕事」であると同時に「動けない仕事」

歯科医師は、診療中に器具を使って手を動かしています。
そのため、歯科診療は手先を頻繁に動かす仕事だと考えられがちです。
しかし、人間工学の観点から見ると、もう一つ重要な特徴があります。
それは、身体の一部を長時間ほとんど動かさずに保つ必要があることです。
筋肉の活動には、身体を動かす際の動的な活動と、姿勢を維持する際の静的な活動があります。
例えば、重い物を持ち上げる場合には、比較的大きな力を発揮する必要があります。
一方、腕を一定の位置に保つ場合には、大きな動きがなくても筋肉が活動し続けます。
歯科診療では、患者さんの口腔内を観察するために頭部を傾け、体幹を安定させ、肩や腕の位置を維持しながら指先を動かします。
一つ一つの動作は小さくても、それが長時間繰り返されることがあります。
しかも、処置中には自由に姿勢を変えられるとは限りません。
根管の入口を確認しているとき、形成面を観察しているとき、細かな操作を続けているときには、視野や器具の位置を保つ必要があります。
そのため、身体の負担を考える際には、どのくらい大きな力を出したかだけでなく、どのような姿勢を、どのくらいの時間維持していたかという点が重要になります。
2026年に『International Dental Journal』に掲載されたMaksymの総説でも、歯科診療における頸部前屈、体幹前傾、上肢の反復運動、長時間の静的姿勢などが、職業性筋骨格系障害と関連する要素として整理されています。[6]
ただし、筋肉が活動していること自体が病気を意味するわけではありません。
人間は姿勢を維持するためにも筋肉を使います。
重要なのは、その活動がどの程度続くのか、回復する機会があるのか、他の身体的・心理的負荷と組み合わさっていないか、といった点です。
歯科診療の身体的負担は、単なる「姿勢の良し悪し」だけでは説明できないのです。
8.実際の診療では、首はどのくらい曲がっているのか

歯科診療中の身体負担を理解するためには、実際の姿勢や筋肉の活動を測定した研究が役立ちます。
2012年、Åkessonらは、女性歯科衛生士12人の実際の診療中の身体負荷を調べました。[7]
研究では、筋電図、傾斜計、関節角度計などを用いて、首、肩、手首・手の状態を測定しています。
その結果、頭部前屈角度の90パーセンタイル値は46度でした。
90パーセンタイル値とは、測定値を小さい順に並べたとき、およそ90%がその値以下になる位置のことです。
したがって、対象者が一日中46度の角度で頭を傾けていたという意味ではありません。
それでも、実際の診療の中で、相当程度の頭部前屈が生じていたことを示す客観的な測定結果です。
さらに、この研究では、前腕伸筋群や僧帽筋の筋活動も測定されています。
手用スケーリングなどの作業では、前腕伸筋群の筋活動が十分に休止している時間が極めて少ない条件が報告されました。
一部の作業条件では、筋休止時間が0.1%程度でした。
つまり、器具を使って細かな作業を繰り返す間、前腕の筋肉がほとんど休止しない状態が観察されたのです。
ただし、この研究の対象は歯科衛生士12人です。
今回のイランの歯科医師276人を直接測定したわけではありません。
また、筋休止時間が少ないことを示したからといって、将来の筋骨格系障害が必ず発生すると証明したわけでもありません。
それでも、この研究は、歯科医療の仕事が実際にどのような筋活動を必要としているのかを理解するうえで重要です。
診療中に身体が大きく動いていなくても、筋肉が休んでいるとは限らないのです。
9.診療システムの違いで、首を曲げる時間は変わるのか

歯科医師の姿勢を考えるとき、本人の癖や習慣に注目することが多いかもしれません。
しかし、診療姿勢は個人の意識だけで決まるものではありません。
診療台の位置、患者さんの頭の向き、術者用スツール、器具の供給方式、助手との位置関係などによって、身体に必要な姿勢は変わります。
2014年、Blancらは歯科医師8人について、異なる診療システムでスケーリングを行った際の筋活動と関節角度を調べました。[8]
この研究で比較されたのは、単に診療台の高さや位置だけではありません。
カート式の器具供給方式や、患者さんの上方から器具を供給する方式で助手を伴わない診療と、助手を伴うBeach式診療システムなど、作業環境全体の異なる条件が比較されました。
その結果、診療システムによって身体的負荷に大きな違いが認められました。
例えば、頸部を20度を超えて前屈させた時間の割合は、比較対象の診療環境では40%だったのに対し、助手を伴うBeach式診療システムでは9%でした。
頸部を側屈させた時間の割合は、比較対象の診療環境では30%だったのに対し、Beach式診療システムでは4%でした。
また、左僧帽筋の活動が最大随意収縮の10%を超えていた時間の割合は、比較対象の診療環境で28%、Beach式診療システムで9%でした。
さらに、左側腰部の筋活動が最大随意収縮の10%を超えていた時間の割合は、15%対2%という違いも報告されています。
これらの数値は、比較された診療システムの間で、測定された姿勢や筋活動に違いがあったことを示しています。
ただし、ここで重要な注意点があります。
今回の実験では、診療台の構成、器具の供給方式、助手の有無など、複数の条件が同時に異なっていました。
そのため、頸部前屈が40%から9%になった理由を、「診療台の位置だけを変えたから」と説明することはできません。
また、助手がいたことだけによる効果とも断定できません。
診療システム全体の違いによって、身体的負荷が変化したと理解する必要があります。
さらに、この研究は8人の短時間の作業測定です。
頸部前屈や筋活動が減少したからといって、長期的な肩こりや頸部痛の発症率が低下することまで確認したわけではありません。
それでも、診療環境の構成によって身体への負担が変化し得ることを客観的に示した研究として重要です。
歯科医師本人が常に「姿勢を正そう」と意識していても、患者さんの口腔内が見えにくい位置にあれば、自然に身体を傾けることになるかもしれません。
器具を取るたびに身体をひねる必要がある配置なら、その動作を繰り返すことになります。
このような問題は、個人の意識だけでは解決しにくいでしょう。
身体を診療環境に無理に合わせるのではなく、診療環境そのものを身体に合わせて調整する。
この発想こそ、歯科診療における人間工学の重要な部分だと思います。
10.根管治療では、どのような姿勢が首の負担に関係するのか

歯科治療の中でも、根管治療は非常に細かな視野と操作が必要になる処置の一つです。
根管の入口を確認し、根管長を測定し、根管内を形成・洗浄し、最終的に根管充填を行います。
特に上顎大臼歯では、歯の位置や根管の形態によって、術野を観察するための視線や器具の角度が制限されることがあります。
2022年、Adulyawatらは、歯内療法の経験が5年未満の歯科医師24人を対象に、根管治療中の頸部姿勢と不快感の関係を調べました。[9]
研究では、上顎大臼歯を模したファントム模型を使用し、一回の根管治療を実施しました。
診療中の姿勢を動画で記録し、治療段階ごとの頸部姿勢と治療時間、頸部不快感を評価しています。
その結果、不良姿勢と評価された姿勢の回数と、治療終了時の頸部不快感との間には、r=0.43の相関が認められました。
治療時間と頸部不快感との相関はr=0.58でした。
さらに、根管へのアクセス形成に相当する段階では、不良姿勢の回数とその段階終了時の頸部不快感との相関がr=0.75でした。
同じ段階の作業時間と頸部不快感との相関はr=0.70でした。
これらの結果は、根管治療中の頸部姿勢や作業時間と、治療直後の頸部不快感との間に関連があることを示しています。
ただし、これは模型を使用した実験です。
実際の患者さんを対象に何年も追跡し、頸椎疾患の発症を確認した研究ではありません。
また、相関があることと、特定の姿勢だけが頸部痛の原因になったことは同義ではありません。
それでも、根管治療では視野の確保と術者の姿勢が密接に関係することを考えるうえで、興味深い研究です。
根管治療におけるラバーダムの使用、照明、ミラーによる間接視、拡大装置、患者さんの頭位などは、精密な治療を実現するための要素です。
それらを適切に組み合わせることが、術者の身体的負担を減らす可能性もあります。
ただし、それぞれの方法について筋骨格系障害の予防効果がどの程度あるかは、個別に検証する必要があります。
精密な治療を行うために無理な姿勢を取り続けるのではなく、精密な治療と無理の少ない診療姿勢をどう両立させるか。
これは歯科医療者にとって重要な課題です。
11.強く握るほど、歯石を効率よく取れるわけではない

歯科医療者の身体的負担を考えるとき、首や肩だけでなく、指先の使い方にも注目する必要があります。
歯石除去では、スケーラーを保持し、器具先端を歯面に適切に接触させながら操作します。
このとき、指先で器具をつまむ力と、器具先端が歯面に加える力は同じものではありません。
2007年、Dongらは、歯科医師6人と歯科学生6人を対象に、スケーリング時のつまみ力と器具先端に発生する力を測定しました。[10]
その結果、歯科学生の最大つまみ力の平均は35.7±3.8Nでした。
一方、歯科医師では24.5±4.1Nでした。
歯科学生のほうが、器具を強くつまんでいたのです。
しかし、器具先端に発生する力は、経験豊富な歯科医師のほうが大きい結果でした。
つまり、経験豊富な歯科医師は、比較的小さなつまみ力で、必要な操作力を器具先端に伝えていた可能性があります。
この違いは、歯科医療における熟練した手技を考えるうえで興味深いものです。
細かな処置を正確に行うためには、ただ強く握ればよいわけではありません。
必要な方向に、必要な力を、適切なタイミングで伝えることが重要です。
もちろん、この研究は12人の小規模研究です。
経験を積めば必ず上肢障害のリスクが下がる、ということまで示したものではありません。
一方、器具そのものの形状も、指先の負担に影響する可能性があります。
2006年、Dongらは24人の歯科医師・歯科衛生士を対象に、スケーラーのハンドルの直径と重量が、前腕の筋活動やつまみ力に与える影響を調べました。[11]
比較された条件では、直径10mm、重量15gの器具で筋活動とつまみ力が最も小さくなりました。
研究では、ハンドル径を10mmより大きくしても追加的な利益は確認されませんでしたが、重量をさらに軽くすることの効果については、十分な上限や下限を特定できていません。
さらに、2023年にSuedbeckとLudwigが発表した系統的レビューでも、軽量で太いハンドルがつまみ力を減らす可能性が示されています。[12]
このレビューでは6件の研究が採用され、各研究の参加人数は12~24人でした。
ただし、レビューは全体のエビデンスを弱いものと評価しています。
特定のハンドル形状によって、長期的な手根管症候群や腱鞘炎を予防できると確定したわけではありません。
それでも、器具の選択が単なる使いやすさだけでなく、身体への負荷にも関係する可能性は重要です。
歯科医療者が長く健康に働くためには、技術の習得だけでなく、毎日使用する器具の設計にも注意を向ける必要があるでしょう。
12.手首の症状があることと、手根管症候群は同じではない
今回のイラン研究では、53.6%の歯科医師が過去12か月間に手首・手の筋骨格系症状を経験したと回答しています。
しかし、この数字を「半数以上の歯科医師が手根管症候群だった」と解釈してはいけません。
手首や手には、筋肉、腱、腱鞘、神経、関節など、さまざまな組織があります。
痛みやしびれが生じる原因も一つではありません。
例えば、手根管症候群は、手首の手根管という部位で正中神経が圧迫されることによって生じる神経障害です。
典型的には、親指、人差し指、中指などのしびれや感覚の異常が問題となります。
症状が進行すると、手指の細かな動作や物をつまむ動作に影響することもあります。
一方、手首の痛みには、腱や腱鞘の問題、関節の障害、別の部位からの関連痛など、さまざまな原因が考えられます。
2023年、Kostaresらは、歯科医師の手根管症候群について系統的レビュー・メタ解析を発表しました。[13]
この研究では10件の観察研究、計3,547人のデータが統合されています。
手根管症候群の統合推定有症割合は9.87%、95%信頼区間6.84~14.03%でした。
ただし、研究間の異質性は大きく、手根管症候群の判定方法も研究によって異なっていました。
例えば、病歴に加えて臨床診察や電気生理学的検査などを用いた研究と、質問票を中心に判定した研究とでは、推定有症割合が異なります。
この9.87%という数字も、すべての歯科医師に共通する確定した有病率ではありません。
そして、今回のイラン276人研究における手首・手の症状53.6%とは、測定対象が違います。
イラン研究では、神経伝導検査などを用いて手根管症候群を確定診断したわけではありません。
このように、症状の有無と具体的な病気の診断は区別する必要があります。
歯科医師自身に手指のしびれ、筋力低下、細かな作業の困難さなどが現れた場合には、単なる職業疲労と決めつけず、適切な医療機関で評価を受けることが重要です。
13.マイクロスコープは、術者の姿勢を改善するのか

歯科用マイクロスコープは、根管治療や精密な歯科処置で使用される拡大装置です。
患者さんにとっては、より細かな部分まで観察するための機器という印象が強いでしょう。
しかし、マイクロスコープや拡大ルーペは、術者の診療姿勢という観点からも研究されています。
2020年、中国のLiuらは、補綴歯科医師20人を対象に、拡大装置が診療姿勢に与える影響を調べました。[14]
研究では、模型上でラミネートベニアの歯牙形成を行い、裸眼、2.5倍の拡大ルーペ、8倍のマイクロスコープという条件を比較しました。
ここで重要なのは、姿勢の評価方法が二つあったことです。

一つは、歯科医師自身による主観的な姿勢評価です。
もう一つは、撮影した写真を用いて、専門家が評価した姿勢スコアです。
主観的な姿勢評価では、裸眼4.55点、ルーペ7.90点、マイクロスコープ9.00点でした。
この評価では、高い点数ほど姿勢が良いと感じられたことを意味します。
一方、専門家による姿勢評価では、裸眼16.38点、ルーペ15.15点、マイクロスコープ13.60点でした。
こちらは、低い点数ほど良い姿勢と評価される尺度です。
つまり、二つの評価方法では点数の方向が逆になっています。
主観的評価では高得点が良い結果であり、専門家評価では低得点が良い結果です。
この違いを踏まえても、今回の研究ではマイクロスコープ使用時に比較的良好な姿勢が認められました。
特に、頭頸部の前後方向の位置や肘の位置などについて、マイクロスコープ使用時に良い評価が報告されています。
ただし、この研究は20人の模型実験です。
マイクロスコープを使えば肩こりや頸部痛が必ず治る、という結果ではありません。
また、長期的な筋骨格系障害の発症率を調べた研究でもありません。
拡大装置の効果は、作業距離、視線の角度、患者さんの位置、術者の体格、装置の調整状態などによって変わる可能性があります。
拡大してよく見えることと、身体にとって無理の少ない姿勢で診療できることは、必ずしも同じではありません。
マイクロスコープやルーペを導入する場合には、単に倍率や光学性能だけでなく、術者がどのような姿勢で使用することになるのかを考える必要があります。
14.歯科助手との四手診療も、術者の姿勢に関係する

歯科診療では、歯科医師が一人で作業するとは限りません。
多くの場面で歯科助手が補助につき、器具の受け渡しや吸引操作などを行っています。
このような診療は、四手診療と呼ばれます。
術者が処置に集中できるという意味で、診療補助は重要です。
しかし、人間工学の観点からは、術者と助手が同時に作業することで、双方の姿勢に制約が生じる可能性があります。
2020年、Partidoらは、歯科医師と歯科助手の31組を対象に、四手診療中の姿勢を評価しました。[15]
研究では、診療中の写真を用いて、術者と助手の姿勢に関する評価を行っています。
その結果、歯科助手の頭部姿勢と歯科医師の骨盤の位置、歯科助手の肩の位置と歯科医師の頭部姿勢などに関連が認められました。
これは、歯科医師と歯科助手の姿勢が互いに無関係ではないことを示唆しています。
ただし、横断的な姿勢評価であり、歯科助手の姿勢が歯科医師の痛みを引き起こしたと証明したものではありません。
ここで考える必要があるのは、術者だけが楽な姿勢になれば、それで診療環境が改善したと言えるのかという問題です。
歯科医師が無理の少ない姿勢で治療できるようになっても、その代わりに歯科助手が過度に身体を傾けたり、腕を伸ばし続けたりするようであれば、診療チーム全体の身体負担は十分に改善していないかもしれません。
国際歯科連盟FDIが公開している人間工学・姿勢に関する資料でも、術者の姿勢だけでなく、患者さんの位置、器具の配置、助手との連携、作業環境などが取り上げられています。[16]
身体的な負担を減らすためには、歯科医師、歯科衛生士、歯科助手をそれぞれ独立した存在として考えるだけでなく、同じ診療空間で働くチームとして考える必要があります。
第3部 BMIが高い歯科医師ほど上肢機能に問題があるのか
15.今回の研究で過体重・肥満とされた人は何人か

ここからは、今回の『Scientific Reports』論文の中心的な研究課題であるBMIと上肢機能の関連について考えます。
BMIとは、Body Mass Indexの略称で、体重を身長の二乗で割って計算する体格指数です。
今回の研究では、WHOの成人BMI分類が使用されました。
BMI18.5未満を低体重、18.5以上25未満を標準体重、25以上30未満を過体重、30以上を肥満としています。
調査対象276人の内訳は、低体重18人、標準体重104人、過体重101人、肥満53人でした。
割合にすると、低体重6.5%、標準体重37.7%、過体重36.6%、肥満19.2%です。
過体重と肥満を合わせると154人、55.8%でした。[1]
ただし、ここで日本の読者に知っておいていただきたい点があります。
日本肥満学会では、BMI25以上を肥満と分類しています。[17]
一方、WHOの分類では、BMI25以上30未満は過体重と呼ばれます。
したがって、今回の論文で「肥満19.2%」と書かれている場合、それはWHOのBMI30以上という区分です。
日本の肥満分類と、そのまま同じ意味で比較することはできません。
日本のBMI25以上という分類に合わせれば、今回の対象者では154人、55.8%が該当します。
ただし、これはイランの研究対象者の数字であり、日本の歯科医師における肥満の割合ではありません。
さらに、今回の研究では身長と体重が自己申告でした。
研究者が身長計や体重計で実測したわけではありません。
自己申告には誤差が生じる可能性があり、BMI区分が正しく分類されていない人が含まれていた可能性もあります。
そのため、BMIと機能障害の関連を考える際には、体格の測定方法にも注意が必要です。
16.過体重群1.84、肥満群2.98――調整オッズ比の意味

今回の研究では、DASHスコアが20点を超えた人について、BMI区分との関連が調べられました。
その結果、標準BMI群と比較して、過体重群の調整オッズ比は1.84でした。
95%信頼区間は1.02~3.32、p値は0.04です。
肥満群の調整オッズ比は2.98でした。
95%信頼区間は1.42~6.25、p値は0.004です。
この解析では、性別、年齢、歯科医師としての経験年数が調整されています。
また、低体重18人は解析から除外されているため、ロジスティック回帰分析の対象は258人です。[1]
ここで、オッズ比の意味を正しく理解する必要があります。
オッズは、ある状態に該当する確率を、該当しない確率で割った値です。
そのため、オッズ比2.98という数字は、該当する確率がそのまま2.98倍という意味ではありません。
ましてや、「肥満の歯科医師は肩が3倍痛くなる」という意味ではありません。
今回の解析で対象となったのは、肩の症状ではなく、研究者が設定したDASH20点超という状態です。
さらに、DASH20点超に該当した人は、全体の65.2%と高い割合でした。
このように結果が高頻度の場合、オッズ比を有病割合の比として解釈すると、関連の大きさを誇張するおそれがあります。
95%信頼区間にも注目する必要があります。
過体重群の95%信頼区間は1.02~3.32で、下限は1に近い値でした。
肥満群についても1.42~6.25と、幅のある推定です。
これは、研究結果に不確実性があることを示しています。
また、統計学的な有意差が認められたことだけで、医学的に重要な差が確定したとは限りません。
結果を評価する際には、効果の大きさ、信頼区間、研究方法、調整した要因、評価尺度の妥当性などを合わせて検討する必要があります。
17.BMIが高いことは、上肢機能障害の原因なのか

BMIとDASHスコアに関連が認められたとしても、なぜその関連が生じたのかは別の問題です。
いくつかの可能性が考えられます。
まず、体格によって身体の動かし方や筋肉・関節への機械的な負担が異なる可能性があります。
例えば、作業姿勢や身体の重心、腕や体幹の位置などが変われば、必要な筋活動も変化するかもしれません。
しかし、今回の研究では、関節負荷や筋電図、実際の診療姿勢を測定していません。
したがって、BMIが高い歯科医師に、どのような機械的負担が生じていたのかは分かりません。
次に、肥満と関連する代謝・炎症の経路が、筋骨格系症状に関係する可能性があります。
脂肪組織は単なるエネルギーの貯蔵場所ではなく、さまざまな生理活性物質を分泌します。
肥満と慢性的な低度炎症との関連は、一般的な医学研究でも検討されています。
しかし、今回の研究では炎症マーカーや体脂肪率、筋肉量などを測定していません。
そのため、炎症がBMIとDASHとの関連を説明していると結論づけることはできません。
さらに重要なのが、逆因果の可能性です。
例えば、先に肩や腕の症状が現れ、身体活動が減少した結果として体重が増加した可能性も考えられます。
この場合、BMIの増加が機能障害を引き起こしたのではなく、身体機能の問題がBMIの変化に関係したことになります。
横断研究では、どちらが先に起こったのかを確認することができません。
また、BMIと上肢機能の両方に関係する別の要因が存在する可能性もあります。
運動習慣、筋力、年齢、診療時間、ストレス、作業環境、併存疾患などです。
今回の研究では一部の変数を調整していますが、すべての要因を十分に評価したわけではありません。
したがって、今回の研究から言えるのは、調査対象者においてBMI区分とDASH20点超との間に関連が報告された、ということまでです。
肥満が歯科医師の上肢機能障害を引き起こす原因であると証明した研究ではありません。
当然ながら、減量すれば肩や手首の症状が改善することを示した研究でもありません。
18.先行研究でも、BMIと筋骨格系症状の関連は一致していない
今回の研究の結果は、すべての先行研究と一致しているわけではありません。
例えば、2011年に発表されたSorianoらのブラジルの歯科医師150人を対象とする研究では、累積外傷性障害と過体重・肥満との間に、統計学的に有意な関連は認められませんでした。[18]
一方、2025年に発表されたMamani Pomariらのペルーの若手歯科医師222人の横断研究では、BMIとQuickDASHによる上肢機能障害指標との間に関連が報告されています。[19]
ただし、このペルー研究については、公開されている第1版の査読状況と、調整後の推定値の大きさについて慎重な評価が必要です。
2026年11月時点で確認できた公開ページでは、第1版は査読待ちと表示されています。
また、調整後の推定値に非常に大きな値が報告されており、その安定性やモデルの妥当性を十分に確認せず、BMIの強い効果を裏付ける研究として扱うことは適切ではありません。
さらに、研究ごとに評価しているものも異なります。
肩や手首の痛みの有無を調べた研究と、DASHによる機能評価を行った研究は、同じものを測定しているわけではありません。
QuickDASHはDASHの短縮版ですが、使用された項目や仕事に関する追加モジュールの有無によって、評価内容が異なる場合があります。
対象者の年齢、性別、経験年数、勤務環境、BMIの分布、交絡要因の調整方法なども違います。
そのため、ある研究で関連があり、別の研究で関連が認められなかったからといって、どちらか一方を直ちに誤りと判断することはできません。
医学研究では、結果が一致しない理由を検討すること自体が重要です。
今回のイラン研究は、BMIと上肢機能の関連を考える一つの材料になりますが、それだけで結論が確定したわけではありません。
19.原著の統計結果には、無視できない不整合がある

ここで、今回の『Scientific Reports』論文を読むうえで、避けて通れない問題について説明しておきたいと思います。
今回の原著は2026年11月2日に公開された、査読・受理後の早期公開版です。
正式な最終編集版への置き換えが予定されている段階ですが、公開されたPDFには、統計解析の結果や記載方法に不整合が認められます。
これは、研究の結論を評価するうえで重要な問題です。
本来の主解析の結果が示されていない
まず、研究のMethodsでは、連続値のDASHスコアを目的変数とした重回帰分析が主解析として定義されています。
BMI区分と連続DASHスコアとの関連を、性別、年齢、経験年数などで調整して検討するという方法です。
しかし、公開PDFのResultsでは、この主解析について、回帰係数B、95%信頼区間、決定係数R²などの具体的な結果が提示されていません。
その代わり、これらの結果を記載するよう求める編集途中の文章が残っています。
つまり、論文の中心に位置づけられた解析について、公開されている結果を十分に確認することができません。
これは、単にp値が有意ではなかったという問題とは違います。
解析結果そのものが掲載されていないため、読者が検証できないという問題です。
DASHの平均値・標準偏差に矛盾がある
さらに、Table 3には、DASHスコアの区分別の人数、平均値、標準偏差が掲載されています。
しかし、0~20点の群に平均3点・標準偏差9点、21~40点の群に平均4点・標準偏差29点、40点超の群に平均8点・標準偏差61点という記載があります。
21~40点に分類されている人の平均点が4点になることは、数学的に不可能です。
40点を超える人たちの平均点が8点になることもありません。
また、0~20点という範囲で、平均3点・標準偏差9点という組み合わせも、その範囲のデータとして成立しません。
数値の配置や編集の過程に問題があった可能性は考えられます。
しかし、どの値が本来の平均値や標準偏差だったのかは、公開された情報だけでは確定できません。
したがって、読者の側で数字を推測して補正することは避けるべきです。
別の表でも、平均値とp値が一致しない
Table 4では、性別、年齢、経験年数ごとのDASH平均値などが示されています。
しかし、それぞれの群の人数と平均値から全体平均を再計算すると、同じ276人のデータであるにもかかわらず一致しません。
性別区分から計算した全体平均は約25.86点。
年齢区分から計算すると約26.38点。
経験年数区分から計算すると約26.42点になります。
この差は、単純な小数点以下の丸め誤差だけでは説明しにくいものです。
さらに、掲載された人数、平均値、標準偏差を用いて通常のt検定や一元配置分散分析を再計算すると、論文に掲載されたp値とも一致しません。
掲載された要約統計量から再計算すると、性別の比較はp値約0.61、年齢群の比較は約0.40、経験年数群の比較は約0.63となります。
一方、論文に掲載されたp値は、それぞれ0.34、0.12、0.08です。
原著のResults本文には、こうした不一致に言及する記述まで残っています。
しかし、修正後の結果は提示されていません。
解析人数の編集メモも残されている
Methodsでは、DASH20点超に関するロジスティック回帰分析の対象人数について、276人か258人かを指定するための編集途中の文章が残っています。
一方、Table 5の注記では、低体重18人を除外した258人を解析対象にしたことが明記されています。
そのため、今回の副次解析については258人という人数を採用することができます。
しかし、本文に編集途中の文章が残っていることは、公開版の完成度について注意を要する点です。

研究不正と断定することはできない
これらの問題は、論文の結果を評価するうえで無視できません。
ただし、掲載された数値に不整合があることだけで、研究者が意図的にデータを操作した、あるいは研究不正を行ったと断定することもできません。
編集上の問題や、結果表の作成過程における誤りなど、複数の可能性があります。
今後、最終編集版で修正される可能性もあります。
医学論文を読む際には、研究者の結論をそのまま信じることも、記載上の問題を見つけた瞬間に研究全体を否定することも、どちらも適切ではありません。
確認できた事実と、まだ分からないことを区別する必要があります。
今回の研究では、肩58.7%などの部位別症状について、掲載された人数と割合は一致しています。
したがって、これらは原著が報告した自己申告結果として紹介できます。
一方、BMIとDASH20点超の関連については、論文で報告された副次的・探索的解析として扱い、主解析の欠落や統計上の不整合を踏まえて慎重に解釈する必要があります。
研究の内容が興味深いことと、研究結果を無条件に信用できることは同じではありません。
医療者が研究を紹介する際には、この区別を大切にしたいところです。
第4部 身体の不調を抱えながら診療を続けるという問題

20.歯科医師は身体が痛くても仕事を休まないのか
筋骨格系症状が多く報告されているとしても、実際に仕事へどの程度の影響があるのでしょうか。
この問題について、フィンランドで興味深い研究が行われています。
2024年に発表されたAl-Emaraらの研究では、歯科医師や歯科学生を対象に、筋骨格系症状と労働能力、病気休暇との関係を調べています。[20]
1,200人に質問票を送り、255人から回答を得ました。
回答率は21%です。
その結果、回答者の90%が過去1年間に筋骨格系症状を経験したと報告しました。
一方、病気休暇を取得した人は11%でした。
筋骨格系症状の有無や程度は、自己評価による現在の労働能力、将来の労働能力、症状に関連した仕事上の支障と関連していました。
この結果は、身体に不調があっても、仕事を続けている歯科医療者が少なくない可能性を示しています。
もちろん、90%が症状を経験し、11%が病気休暇を取得したからといって、差の79%がすべて仕事の能力低下を経験していたという意味ではありません。
症状の強さも、休暇を必要とする程度も、人によって異なります。
また、病気休暇を取得しなかった理由も、この数字だけでは分かりません。
それでも、仕事を休んでいないことが、必ずしも健康上の問題がないことを意味しないという点は重要です。
職場の健康問題を考える際には、欠勤の有無だけでなく、勤務している間の身体的な負担や機能への影響も評価する必要があります。
21.プレゼンティーズム――出勤していても、健康とは限らない
職業健康の分野では、プレゼンティーズムという概念があります。
これは、健康上の問題を抱えた状態で出勤し、本来の能力を十分に発揮しにくくなっている状況を指します。
一方、健康上の問題によって仕事を休むことは、アブセンティーズムと呼ばれます。
歯科診療のように、集中力と精密な身体操作を必要とする仕事では、単に出勤しているかどうかだけで、職業健康を評価することは十分ではないかもしれません。
例えば、首の痛みがあるために、一定の姿勢を長く保つことが難しい場合があります。
手指のしびれがあれば、細かな操作に不安を感じることも考えられます。
ただし、ここで重要なのは、症状がある歯科医師の治療が危険だと決めつけないことです。
今回のイラン研究でも、フィンランドの研究でも、筋骨格系症状と実際の治療ミスや治療成功率との関係を直接調べたわけではありません。
したがって、肩こりがある歯科医師は治療の質が低い、という結論にはできません。
一方、職業健康の問題を単に病気休暇の日数だけで評価することにも限界があります。
症状の有無、機能への影響、仕事への支障、将来の労働能力などを、必要に応じて別々に考えることが重要です。
なお、フィンランドの研究は回答率が21%と低く、症状がある人ほど回答した可能性があります。
そのため、90%という数字をフィンランド全体の歯科医師の有症率として一般化することはできません。
それでも、筋骨格系症状と労働能力との関係を考えるための重要な研究です。
22.身体の不調は、歯科医師の早期引退にも関係していた

歯科医師の職業健康を考える際には、日々の肩こりや首の痛みだけでなく、何歳まで診療を続けられるかという問題にも目を向ける必要があります。
2010年、英国の『British Dental Journal』に、健康問題によって引退した歯科医師を対象とする研究が発表されました。[21]
研究者は、健康問題による引退者207人に質問票を送り、189人から回答を得ました。
回答者の平均引退年齢は51.5歳でした。
健康問題による引退の原因として最も多かったのは、筋骨格系障害で55%でした。
次いで、精神・行動の障害が28%でした。
また、回答者の90%は、自分の健康問題が仕事と関連していると考えていました。
さらに、34%は完全な引退の代わりに、短時間勤務という選択肢があれば希望したと回答しています。
この研究は、筋骨格系障害が歯科医師の職業継続に影響し得ることを示しています。
ただし、55%という数字には注意が必要です。
これは、すでに健康問題によって引退した歯科医師の中で、筋骨格系障害が引退理由として多かったという結果です。
歯科医師全体の55%が筋骨格系障害で引退するという意味ではありません。
また、この研究に参加したのは、生命を脅かすような重い病気などを除いた、特定の健康問題による引退者です。
そのため、一般の歯科医師全体における引退理由の割合として扱うことはできません。
それでも、この結果から考えさせられることがあります。
歯科医師は、知識や技術を長年かけて身につけていきます。
しかし、知識や技術が十分にあっても、身体の健康状態によって診療の継続が難しくなる場合があります。
しかも、勤務量や診療内容を調整できれば、完全に引退せずに働き続けられた可能性がある人もいたことになります。
歯科医師の職業寿命を考える際には、単に何歳まで働くかだけでなく、どのような環境で、どのような負担を受けながら働くかという問題が重要になります。
23.慢性疼痛は、単に姿勢が悪いから起こるのか
ここまで、歯科診療中の姿勢や身体的負荷について説明してきました。
しかし、痛みの原因を姿勢だけに求めることには注意が必要です。
日本の『慢性疼痛診療ガイドライン』では、慢性腰痛と職業との関連について、身体的負荷の大きい職業との関連には中等度のエビデンスがあると整理しています。[22]
一方で、労働中の不良姿勢や特定の作業が、腰痛の独立した危険因子として必ずしも特定されているわけではないとも説明しています。
さらに、職場の心理社会的要因も、腰痛の発症や予後に関係するとされています。
仕事量、職場の人間関係、仕事への満足度、精神的ストレス、周囲からの支援などです。
ただし、このガイドラインの該当部分は、主として腰痛についての知見です。
歯科医師の肩の症状が、同じ仕組みで発生していることを直接証明したものではありません。
それでも、慢性疼痛を考えるうえで重要な視点を与えてくれます。
現在、慢性疼痛は、身体的な要因だけでなく、心理的・社会的な要因も関係する問題として理解されています。
これを生物心理社会モデルと呼びます。
痛みが存在するからといって、必ず明確な組織損傷があるとは限りません。
また、画像検査で明らかな異常が認められない場合でも、本人が感じる痛みや生活上の困難が存在することはあります。
だからといって、痛みを単なる心理的な問題として扱うべきではありません。
身体的な負荷、神経系の働き、生活習慣、心理社会的な環境などを総合的に評価することが重要です。
歯科医師の職業性筋骨格系症状についても、「姿勢を正せばすべて解決する」と単純化するのではなく、実際の身体負荷と職場環境を合わせて考える必要があります。
24.歯科医師の職業健康は、首や肩の問題だけではない
歯科医師の仕事には、筋骨格系の負担以外にも、さまざまな職業健康上の問題があります。
その一つが、診療中の騒音です。
ブランデンタルクリニックでは以前、東京科学大学の研究を取り上げ、歯科診療中の騒音が歯科医師の集中力やストレス反応に与える影響について解説しました。
その研究では、44人の歯科医師・研修歯科医師への質問票調査と、11人を対象とするランダム化クロスオーバー試験が実施されました。[23]
騒音条件では、計算課題の作業量や誤答率、唾液中のストレス関連指標に変化が認められました。
ただし、実際の歯科治療の成功率や医療事故を測定した研究ではありません。
また、短時間の騒音曝露が長期的な肩や首の障害を引き起こすと証明したものでもありません。
今回の記事では詳しい説明を繰り返しませんが、歯科医師の職業健康には、身体的負担だけでなく、音環境や精神的な作業負荷も関係し得ることを考える必要があります。
詳しくは、以前公開した以下の記事で解説しています。
歯科診療の騒音で歯科医師の集中力は落ちる?作業成績・ストレスとBGMの可能性
また、歯科用ライトと眼の健康に関する問題についても、別の記事で取り上げています。
歯科医師の眼疾患リスクは3.6倍:デンタルライトの網膜損傷と視力を守るための提言
歯科医師が長く健康に働くためには、首や肩だけでなく、診療環境全体を考える必要があるのです。
第5部 身体的負担を減らすために、何ができるのか
25.人間工学とは何か――身体を仕事に合わせるのではなく、仕事を身体に合わせる
ここまでの研究から、歯科医療者の首、肩、手首などには、一定の身体的負荷がかかり得ることが分かります。
では、その負担を減らす方法はあるのでしょうか。
ここで重要になるのが、人間工学という考え方です。
人間工学は、作業する人の身体的・認知的な特徴に合わせて、道具、設備、作業方法、職場環境などを設計するための学問です。
英語ではErgonomicsと呼ばれます。
歯科診療においては、診療台、術者用スツール、患者さんの位置、器具の配置、拡大装置、照明、助手との連携、診療時間の組み立てなどが検討対象になります。
人間工学という言葉から、特別な椅子や高価な器具を想像する人もいるかもしれません。
しかし、本来の目的は、特定の製品を使用することではありません。
人間の身体や能力に合わせて、無理の少ない作業環境をつくることです。
例えば、患者さんの口腔内が見えにくい場合に、歯科医師が無理に首を曲げるのではなく、患者さんの頭位や診療台の位置を調整するという考え方があります。
器具を取るたびに身体をひねる必要があるなら、器具の配置を見直すことも考えられます。
もちろん、すべての患者さんに同じ診療姿勢を適用できるわけではありません。
高齢の患者さんや、身体の状態によって診療台を十分に倒せない患者さんもいます。
患者さんの安全や快適さを確保しながら、術者にとって無理の少ない作業方法を検討する必要があります。
人間工学は、患者さんのことを考えずに歯科医師だけが楽をするためのものではありません。
患者さんへの適切な治療と、医療者の健康を両立させるための考え方です。
26.2018年のコクランレビューでは、予防効果の証拠は十分ではなかった
人間工学的な対策には、実際にどの程度の科学的根拠があるのでしょうか。
2018年、コクランは、歯科医療者の職業性筋骨格系障害を予防するための人間工学的介入について系統的レビューを行いました。[24]
このレビューでは、採用条件を満たした研究は2件で、参加者は合計212人でした。
研究はイランと米国で行われています。
一つは、教育、作業環境の変更、運動などを組み合わせた介入研究でした。
もう一つは、歯石除去に使用する器具の形状などを比較した研究でした。
しかし、研究数が少なく、方法上の問題や追跡期間の短さなどもあり、筋骨格系障害の予防効果について明確な結論を出すことはできませんでした。
また、このレビューでは、認知的な人間工学や組織的な人間工学による予防効果を評価した研究は採用されていませんでした。
ここから分かるのは、人間工学的な対策が無意味だということではありません。
有効性を十分に評価した質の高い研究が不足していたということです。
実際の診療現場では、特定の姿勢が楽だと感じられたり、器具の配置を変えたことで作業しやすくなったりすることがあります。
しかし、そうした実感と、長期的に筋骨格系障害の発症が減ったことを科学的に証明することは別の問題です。
その違いを理解する必要があります。
27.2026年の新しいレビューでは、9件のランダム化比較試験を評価

2026年9月10日、『BMC Oral Health』に、歯科医療者の人間工学的介入について新しい系統的レビューが発表されました。
Jailanらによる研究です。[25]
このレビューでは、2024年12月までの文献を検索し、9件のランダム化比較試験を採用しました。
検討された介入には、姿勢教育、ストレッチ、拡大ルーペ、マイクロスコープ、プリズム眼鏡、人間工学的なスツール、職場環境の改善などが含まれていました。
一部の教育介入では、姿勢に関する知識や姿勢評価の改善が報告されています。
ストレッチでは、10週間程度の介入によって上肢の痛みが軽減した研究もありました。
また、器具や光学装置による介入では、姿勢の改善や僧帽筋の活動量の変化などが報告されています。
しかし、多くの研究は小規模で、追跡期間も短く、模型実験を中心としたものもありました。
さらに、人間工学的な介入は参加者自身が何を行っているかを認識しやすいため、盲検化が難しいという問題があります。
痛みや不快感を自己申告する場合には、期待や心理的な影響が結果に関係する可能性もあります。
レビューでは、エビデンスの確実性は全体として低~中程度と評価されました。
つまり、人間工学的な対策には有望な結果があるものの、すべての方法について長期的な予防効果が確立しているわけではありません。
一方、このレビューで比較的注目されたのが、中国で行われた参加型人間工学の介入試験でした。
28.中国の12か月介入研究――235件の改善とは何を意味するのか

2022年、Linらは中国南部の歯科医療者を対象に、人間工学的な職場改善の効果を調べたクラスターランダム化比較試験を発表しました。[26]
この研究では、5病院の29部門が介入群と対照群に割り付けられました。
14部門が介入群、15部門が対照群です。
当初の割付対象は、介入群125人、対照群138人の計263人でした。
その後、ベースライン質問票への回答者は218人となりました。
さらに、年齢や妊娠などの参加条件に基づいて適格者を絞り込んだ結果、200人が研究対象となりました。
その内訳は介入群97人、対照群103人です。
12か月後には、介入群88人、対照群99人の計187人を追跡できました。
なお、この187人は歯科医師だけではありません。
職種別の内訳は、歯科医師89人、デンタルナース60人、歯科助手38人でした。
したがって、この研究は歯科医師のみを対象とした介入試験ではなく、複数の職種を含む歯科医療者の研究です。
今回のイラン276人研究は臨床歯科医師のみを対象としているため、この違いは重要です。
ここで、介入群と対照群の違いにも注意する必要があります。
研究開始前には、両群とも45分間の基本的な人間工学教育を受けていました。
つまり、対照群は何の教育も受けていない集団ではありません。
そのうえで介入群には、職場の管理者、従業員代表、人間工学の専門家などが協力して作業環境を改善する、参加型人間工学の介入が追加されました。
参加型人間工学とは、専門家が一方的に姿勢を指導するのではなく、実際に作業する人たちが問題を把握し、改善に関わる方法です。
介入群の各部門では、管理者、従業員代表、訓練を受けた人間工学の専門家による作業グループが設けられました。
作業グループは、診療現場の負担を観察し、改善すべきリスク要因を優先順位づけし、具体的な対応策を検討しました。
さらに、人間工学の専門家による定期的な職場訪問も行われ、介入内容が実際に実施されているかを確認しながら調整されました。
研究では、頸部の姿勢、手首の位置、反復動作、器具の使い方、休憩時のリラクゼーション、作業時間の組み直しなどについて改善が図られました。
そして、研究では合計235件の人間工学的な変化が報告されています。
ただし、この235件は、独立した設備改修を235件行ったという意味ではありません。
また、235種類の新しい改善策を導入したという意味でもありません。
原著では、頭頸部を過度に曲げたりひねったりするリスク要因、手首が偏位した状態で作業するリスク要因、反復動作、仕事に追いつけないという負担、仕事上のストレスなどについて、介入前後の状態を比較しています。
具体的には、頭頸部の過度な屈曲・回旋に関するリスク要因では48件、手首の偏位・屈曲では35件、仕事上のストレスでは27件などの改善に相当する変化が記録されています。
これらの身体部位別・作業要因別の変化を合計したものが235件です。
したがって、研究では複数の職業性リスク要因について、合計235件の改善に相当する変化が記録されたと説明するのが正確です。
その後、研究者は筋骨格系症状、身体的負荷、労働能力などを12か月間追跡しました。
研究結果では、介入群において、頸部や手首・手などの筋骨格系症状が軽減する方向の変化が認められました。
12か月時点では、頸部症状の回復・軽減に関するオッズ比が2.93、95%信頼区間1.25~4.03でした。
手首・手では2.33、95%信頼区間1.08~4.21でした。
これは、介入群で症状の改善に関するオッズが高かったことを示すものです。
痛みが2.93倍減少した、あるいは2.33倍減少したという意味ではありません。
また、肩や腕についても改善方向の結果がありましたが、12か月時点ですべての部位に明確な統計学的有意差が認められたわけではありません。
労働能力についても注意が必要です。
研究では、労働能力指数であるWAIも評価されています。
介入群では9か月時点で労働能力指数の改善が報告されました。
一方、介入群と対照群を比較した効果は明確とは言えず、12か月時点での群間差も統計学的に確実な改善とは評価できませんでした。
したがって、今回の介入によって、すべての歯科医療者の仕事の能力が向上したとまでは言えません。
なお、著者らは割付に基づく解析の原則を採用したと記載していますが、結果表には追跡完了者187人に基づく集計が示されています。
当初割り付けられた263人全員のデータを、具体的にどのように解析へ反映したかについては、公開された記述だけでは十分に明確ではありません。
これは研究結果を直ちに否定する理由ではありませんが、介入効果の厳密な評価においては注意すべき点です。
それでも、この研究には重要な意義があります。
単に「姿勢に気をつけましょう」と指導するだけでなく、実際の職場環境を組織的に改善し、一定期間追跡して評価したことです。
しかも、対照群にも基本的な人間工学教育が行われていました。
そのため、この試験が検討したのは、基本的な教育に加えて参加型の職場改善を行うことの効果です。
歯科医療者の身体的負担は、個人の姿勢だけでなく、仕事の進め方や職場環境を変えることによって軽減できる可能性があります。
29.診療台・スツール・患者さんの位置をどう考えるか
歯科診療の人間工学では、診療台の高さと患者さんの位置が重要になります。
患者さんの口腔内を観察するためには、術者の視線と作業する部位との関係を調整しなければなりません。
このとき、歯科医師が常に身体を患者さんへ近づける方法だけでは、首や体幹の前傾が大きくなる可能性があります。
患者さんの頭位や診療台の高さを調整することで、術者の姿勢が変わることがあります。
もちろん、患者さんの身体状態や処置内容によって、理想的な位置は異なります。
すべての患者さんに同じ角度や高さを適用できるわけではありません。
また、術者用スツールの調整も重要です。
座面が高すぎたり低すぎたりすれば、足の位置や体幹の角度が変わります。
ペダルの位置によって、片側に身体の重心を移す必要が生じる場合もあります。
FDIの人間工学資料でも、足底の接地、腕や肩の位置、手首を極端に曲げないこと、患者さんの位置などが説明されています。[16]
さらに、米国歯科医師会ADAも、歯科診療における人間工学について、診療姿勢、患者さんの位置、拡大装置、スツールの調整などを取り上げています。[32]
ただし、ここで注意したいのは、「正しい姿勢」とは、一つの姿勢を長時間動かずに維持することではないという点です。
一見すると整った姿勢であっても、同じ姿勢を長時間保つことは筋肉の負担になり得ます。
そのため、無理の少ない姿勢を基本にしながら、必要に応じて姿勢を変えられることも重要です。
患者さんの安全を確保し、適切な治療を行いながら、術者が極端な姿勢を長時間続けなくてもよい環境を考える必要があります。
30.高価な人間工学的スツールを買えば解決するのか
人間工学に配慮したスツールや診療器具は、さまざまな形で販売されています。
しかし、特定の製品を使用すれば、必ず筋骨格系の負担が減ると考えるのは早計です。
2019年、López-Nicolásらは、歯科医師36人を対象に、臼歯部のコンポジットレジン修復を想定した模型実験を行いました。[27]
研究では、通常の椅子を使用する条件と、人間工学的スツール、拡大レンズ、両者の組み合わせを使用する条件を比較しました。
筋活動は、表面筋電図によって測定されています。
評価対象となったのは、中部僧帽筋と腰部脊柱起立筋です。
その結果、拡大レンズを単独で使用した条件では、比較的低い筋活動が認められました。
一方、特定の人間工学的スツールを使用した条件では、拡大レンズ単独条件よりも筋活動が大きくなる場合がありました。
スツールと拡大レンズを組み合わせた場合の効果も、筋肉や作業段階によって異なっていました。
この研究から、人間工学的スツールそのものが有害だと結論づけることはできません。
また、すべてのスツールや拡大装置に同じ結果が当てはまるわけではありません。
研究は36人の模型実験であり、慢性的な肩こりや腰痛の発症率を長期間追跡したものではありません。
それでも、人間工学的な器具を使用したからといって、必ず筋活動が小さくなるわけではないことを示しています。
使用する人の体格、座面の高さ、作業内容、診療姿勢などによって、筋肉への負担が変わる可能性があります。
人間工学という名前がついているからといって、すべての人に最適な器具とは限りません。
器具そのものの設計と、実際に使用する人への適合性は別の問題です。
スツールであっても、ルーペであっても、マイクロスコープであっても、導入した時点で人間工学的な問題が解決するわけではありません。
使用者の身体に合わせて調整し、実際の作業姿勢を確認する必要があります。
また、身体的負担を減らす目的で導入した器具が、別の部位への負担を増やしていないかという視点も重要です。
31.ストレッチや筋力トレーニングは有効なのか
歯科診療による身体的負担を減らす方法として、ストレッチや筋力トレーニングが紹介されることがあります。
これらについても、科学的な根拠を整理する必要があります。
日本の『慢性疼痛診療ガイドライン』では、慢性疼痛患者に対する一般的な運動療法について、24件のランダム化比較試験を用いたメタ解析が紹介されています。[22]
対象には慢性腰痛、慢性頸部痛、変形性膝関節症などの患者が含まれていました。
一般的な有酸素運動や筋力増強運動は、無治療と比較して痛みや機能障害を改善する効果が認められています。
一方、他の運動療法と比較した場合には、明確な優位性があるとは限りませんでした。
また、ガイドラインのこの評価では、一般的な肩こりは対象から除外されています。
ここで重要なのは、慢性疼痛を持つ人に対する運動療法の効果と、健康な歯科医師が将来の職業性筋骨格系障害を予防する効果は、異なる研究課題だということです。
慢性疼痛の治療として有効な方法が、すべての歯科医療者の予防策として同じように有効であるとは限りません。
一方、2026年の人間工学介入レビューには、ストレッチによって上肢の痛みが軽減した研究も含まれています。[25]
ただし、研究規模や期間に限界があり、長期的な予防効果については十分な検証が必要です。
歯科診療では、比較的小さな筋活動を長時間続ける場面があります。
そのため、筋力だけでなく、筋持久力や身体活動の習慣、回復の機会なども考える必要があるでしょう。
ただし、どの運動を何分間、週に何回行えば、歯科医師の肩や首の障害が確実に減るかという具体的な方法については、十分な根拠があるとは限りません。
また、すでに痛みや神経症状がある場合には、状態に応じた医学的評価や運動指導が必要です。
重要なのは、運動を行っているからといって、不適切な作業環境を放置してよいわけではないということです。
個人の身体機能の維持と、職場の作業環境の改善は、両方を考える必要があります。
32.歯科医師は自分の診療姿勢を正確に把握できるのか
自分では正しい姿勢で診療していると思っていても、実際には首や体幹を大きく傾けていることがあるかもしれません。
この問題について、写真を利用した研究があります。
2018年、PartidoとWrightは歯科学生135人を対象に、診療姿勢の写真を用いた自己評価と教育の効果を調べるランダム化比較試験を実施しました。[28]
参加者の姿勢を撮影し、写真を用いて自己評価することで、姿勢に関する認識や評価の正確性が改善するかを調べています。
その結果、教育を受けた学生では、姿勢評価と自己評価の正確性に改善が認められました。
ただし、姿勢の改善が長期間続くかどうかは別の問題です。
Partidoは、その後、歯科衛生士学生を対象に、写真を用いた自己評価の効果が持続するかを調べる研究も行っています。
この研究は2019年9月にオンライン公開され、2020年に『European Journal of Dental Education』の24巻1号に掲載されました。[29]
研究では、最初の4週間に姿勢評価の正確性や姿勢スコアの改善が認められました。
しかし、3か月後には、初期の改善が低下したことが報告されています。
この結果は、一度姿勢を教えるだけで、長期間にわたって良好な状態が維持されるとは限らないことを示唆しています。
歯科医療者は、日々の診療に集中しています。
患者さんの治療を行っている間、自分の頭や肩、体幹がどのような位置にあるかを常に意識することは難しいでしょう。
そのため、必要に応じて客観的な方法で作業姿勢を確認し、継続的に見直す仕組みには意味があるかもしれません。
ただし、写真による評価を実施すれば、将来の筋骨格系障害の発症率が必ず下がると証明されたわけではありません。
姿勢教育による短期的な改善と、長期的な健康への効果は区別して考える必要があります。
33.歯科医院全体で身体的負担を減らすには

これまで紹介した研究を振り返ると、歯科医療者の身体的負担を減らすためには、個人の努力だけでなく、職場環境を総合的に考える必要があることが分かります。
歯科医師が肩や首の症状を感じたとき、「姿勢に気をつける」「ストレッチをする」という対策は考えられます。
しかし、診療台の高さが合っていない場合や、器具を取るたびに身体をひねる必要がある場合、個人の努力だけでは改善が難しいかもしれません。
また、長時間同じ姿勢が続く診療予定になっている場合には、作業の組み合わせや休憩の取り方を検討する必要があるでしょう。
中国の参加型人間工学研究が示唆しているのは、職場の問題を作業者自身が把握し、組織的に改善することの重要性です。
実際の診療現場では、歯科医師だけでなく、歯科衛生士や歯科助手もさまざまな身体的負担を受けています。
歯科医師の負担を軽減するために、歯科助手が無理な姿勢を続けるようになれば、職場全体の改善とは言えません。
また、歯科衛生士が長時間同じ姿勢でメンテナンスを行う場合には、衛生士自身の作業環境も検討する必要があります。
こうした問題を考える際には、誰か一人の姿勢を改善するのではなく、診療チーム全体の作業を見直すことが重要です。
さらに、改善したあとに、その効果を確認することも必要でしょう。
姿勢が変わったのか。
身体の不快感が軽減したのか。
仕事がしやすくなったのか。
別の身体部位に負担が移っていないか。
これらは別々の評価項目です。
新しい器具を導入したことや、姿勢に関する研修を実施したことだけで、健康対策が成功したとは限りません。
実際の作業や身体の状態がどう変わったかを確認する必要があります。
34.身体の不調を「職業病だから仕方ない」と放置してよいのか
歯科医療者に筋骨格系症状が多いことを知ると、肩や首の不調は職業上避けられないものだと考えてしまうかもしれません。
しかし、症状が多く報告されていることと、治療や評価の必要がないことは違います。
筋肉の一時的な疲労や違和感であれば、作業負荷の調整や休息によって軽減することもあります。
一方、痛みが長く続く場合、しびれが進行する場合、筋力が低下する場合、日常生活や診療に支障が出る場合などには、適切な医学的評価が必要になることがあります。
また、首や肩の痛みの原因が、必ずしも歯科診療中の姿勢だけにあるとは限りません。
頸椎の疾患、肩関節の疾患、末梢神経の障害、炎症性疾患など、さまざまな原因が考えられます。
職業性の負荷が疑われる場合でも、医学的な診断を省略してよいわけではありません。
また、症状を軽視して無理に働き続けることが、必ずしも望ましいとは限りません。
一方で、痛みがあるからといって、すべての仕事や身体活動を直ちに中止する必要があるとも限りません。
症状の原因、程度、機能への影響、治療の必要性などを評価し、適切な対応を考える必要があります。
歯科医師も、他の医療者と同じように、健康上の問題があれば必要な医療を受ける立場にあります。
治療する側の人間であるからこそ、自分自身の健康上の問題を過小評価しないことも重要だと思います。
第6部 歯科医療者の健康を守ることは、歯科医療を守ることにつながるのか
35.身体の不調と歯科治療の質は、どのような関係にあるのか
歯科診療は、精密な手作業と集中力を必要とする仕事です。
患者さんの口腔内を観察し、病態を判断し、必要な処置を安全に実施するためには、知識や技術だけでなく、身体的な作業能力も必要になります。
では、歯科医師の肩や首に不調があると、治療の質が低下するのでしょうか。
この疑問には、慎重に答える必要があります。
今回の276人研究では、肩や首の症状、DASHスコアなどを調べていますが、実際の治療成功率や医療事故、処置の精度を測定していません。
したがって、今回の研究を根拠に、肩こりがある歯科医師の治療は危険だと説明することはできません。
また、肩や首に症状があっても、適切に治療を行っている歯科医師はいるでしょう。
一方、身体的な不調が強くなれば、作業姿勢の維持や細かな操作に影響する可能性は考えられます。
長期間にわたって診療を続ける場合には、身体の状態が職業継続に関係することも、英国の早期引退研究などから示唆されています。
ここで重要なのは、身体の不調を単純に治療の質の問題へ結びつけることではありません。
適切な歯科医療を長期的に提供するためには、その仕事を担う医療者が健康に働き続けられる環境も必要だということです。
患者さんに良い治療を提供することと、医療者の身体を守ることは、必ずしも対立する目標ではありません。
むしろ、どちらも長期的な歯科医療の提供体制を考えるうえで重要な要素だと思います。
36.日本の歯科医院でも、職業健康をどう考えるべきか
日本でも、歯科医療者の働き方や職場環境に関する研究が行われています。
例えば、2021年に発表された相田らの宮城県の研究では、歯科衛生士と歯科医師との間で、歯科衛生士の離職関連要因について認識の違いがあることが報告されました。[30]
この研究では、宮城県の歯科衛生士1,334人、歯科医師1,185人を対象に質問票が送付されました。
回答者のうち、欠損値のない歯科衛生士303人、歯科医師174人のデータが解析されています。
歯科衛生士側では、人間関係の問題78.2%、時間面の労働条件68.6%、給与面の待遇58.4%などが、離職に関連すると考える要因として多く挙げられていました。
さらに、有給休暇、残業時間、昼休み・休憩時間などについて、歯科衛生士と歯科医師の認識には差がありました。
また、2026年には、東北6県の歯科衛生士152人を対象とした研究も発表されています。[31]
この研究では、職場の安全性や労働時間の評価、歯科医師との人間関係などが、就業継続意向と関連していました。
例えば、職場の安全性の評価と就業継続意向との関連について、調整オッズ比2.19、95%信頼区間1.27~4.06という結果が報告されています。
ただし、これらの研究は、肩や首の痛みを直接調べたものではありません。
また、職場の安全性が高ければ筋骨格系障害が減ると証明した研究でもありません。
就業継続意向と実際の離職率も同じものではありません。
それでも、歯科医療者が健康に、そして長く働き続けるためには、身体的な作業環境だけでなく、労働時間や職場の運営も考える必要があるという視点を与えてくれます。
歯科医院の院長は、患者さんへの治療だけでなく、医院で働く人たちの環境を考える立場でもあります。
ただし、院長自身が働きやすいと感じる環境が、必ずしも歯科衛生士や歯科助手にとって働きやすい環境であるとは限りません。
それぞれの職種で、担当する作業も、身体への負担も異なります。
患者さんの口腔内を観察する歯科医師。
同じ姿勢で歯周組織の管理や口腔衛生処置を行う歯科衛生士。
術者の作業に合わせて器具の受け渡しや吸引操作を行う歯科助手。
同じ歯科医院で働いていても、必要な身体動作は同じではありません。
そのため、職業健康を考える際には、職種ごとの作業内容を把握し、身体的な負担を評価することが重要です。
さらに、診療環境を改善する場合には、実際にその環境で働く人たちの意見を聞くことにも意味があるでしょう。
以前の院長コラムでは、歯科衛生士の人材不足や、働き続けられる職場環境について詳しく取り上げました。
歯科衛生士は増えているのになぜ足りない?14万9579人でも不足する「需要が供給を追い越す構造」
今回の研究を通じて改めて考えたいのは、歯科医療者の健康を個人の努力だけに任せるのではなく、職場全体の課題として捉える必要があるのではないか、ということです。
37.今後、歯科医師の身体負担を解明するために必要な研究
今回のイラン研究には、興味深い結果がある一方、多くの未解決の問題も残されています。
今後、歯科医師の身体的負担について科学的な理解を深めるためには、どのような研究が必要でしょうか。
まず、長期間の追跡研究が必要です。
今回の研究では、BMIとDASHスコアを同じ時点で評価しています。
そのため、BMIの変化と身体機能の変化の時間的な関係を明らかにすることができません。
今後、歯科医師を数年間追跡し、体格、身体活動、診療内容、勤務時間、筋骨格系症状、機能評価などの変化を調べれば、より詳しい関連を検討できる可能性があります。
次に、客観的な身体負荷の測定が重要です。
筋電図、動作解析、関節角度、筋力、診療時間などを測定することで、どのような診療作業でどの部位に負担がかかるのかを調べられます。
また、診療内容による違いも検討する必要があります。
根管治療、歯周治療、口腔外科、補綴治療などでは、必要な姿勢や器具の操作方法が異なります。
ただし、今回のイラン研究から、特定の診療科が最も危険であると判断することはできません。
さらに、予防策の効果を検証する介入試験も必要です。
姿勢教育、作業環境の改善、運動療法、休憩の調整、拡大装置の使用などが、短期的な筋活動だけでなく、長期的な痛み、機能障害、労働能力、勤務継続にどのような影響を与えるかを調べる必要があります。
BMIについても、減量によって上肢機能が改善するのか、身体活動の変化がどの程度関係するのか、別の要因が影響していないかを検証する必要があります。
そして、今後の研究では、主解析の結果、対象人数、欠測値、統計解析の方法などを透明性の高い形で報告することも重要です。
今回の原著のように、主要な解析結果が確認できなかったり、結果表の数値が一致しなかったりすると、研究の解釈が難しくなります。
医学研究の価値は、興味深い結論だけで決まるものではありません。
その結論に至る方法と結果を、第三者が確認できることも重要です。

まとめ――歯科医師が患者さんの歯を守り続けるために
今回は、2026年11月2日に『Scientific Reports』で発表された、イランの歯科医師276人を対象とした職業健康研究を中心に、歯科医療者の筋骨格系症状について考えてきました。
今回の研究では、過去12か月間に肩の症状を申告した人が58.7%、手首・手が53.6%、首が47.8%、腕・肘が37.7%でした。
また、DASHという上肢の機能評価尺度とBMI区分との間に、探索的な関連が報告されました。
ただし、この研究は横断研究であり、BMIが機能障害の原因であると証明したものではありません。
さらに、原著には主解析の結果の欠落や統計数値の不整合が認められるため、特にBMIとの関連については慎重に解釈する必要があります。
一方、世界各国の研究では、歯科医療者の首、肩、手首、腰などに筋骨格系症状が多く報告されています。
また、筋電図や動作解析を用いた研究からは、歯科診療中に頭部前屈、静的筋活動、手指の反復動作などが生じていることも示されています。
これらの結果は、歯科診療が身体に一定の負担を与え得る仕事であることを理解するための材料になります。
そして、身体的な負担を減らすための研究も進んでいます。
姿勢教育、器具の形状、拡大装置、診療システム、運動、作業時間の調整など、さまざまな介入が検討されています。
長期的な予防効果については、まだ十分な根拠がない方法も少なくありません。
しかし、中国の参加型人間工学研究では、職場全体で作業環境を改善することによって、一部の筋骨格系症状が軽減する可能性が示されました。
ここから考えたいのは、歯科医療者の身体的負担を、単に本人の姿勢の問題として片づけてよいのかということです。
診療台や器具の配置が合っていなければ、身体に無理な姿勢を取らなければならない場合があります。
長時間同じ姿勢が続く作業環境では、個人が気をつけるだけでは十分に負担を減らせないかもしれません。
また、歯科医師の負担を減らすために、歯科衛生士や歯科助手へ負担を移すだけでは、診療チーム全体の健康を守ることにはなりません。
歯科医療は、医療者の知識と技術によって支えられています。
しかし、その知識と技術を実際の治療へ結びつけるためには、身体を使って仕事を続ける必要があります。
歯科医師が長年かけて身につけた技術を、身体的な問題によって十分に発揮できなくなるとすれば、それは本人にとっても、歯科医療全体にとっても考えるべき課題です。
もちろん、歯科医師の健康状態だけで治療の質が決まるわけではありません。
今回の研究から、肩こりのある歯科医師の治療成績が悪いと結論づけることもできません。
それでも、患者さんに適切な歯科医療を長く提供するために、治療する側の身体的な健康を考えることには十分な意味があります。
歯科医師は、患者さんの歯や口腔の健康を守る仕事をしています。
だからこそ、その仕事を担う人間自身の健康にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。
身体を無理に酷使し続けることを、歯科医療者の美徳として考える必要はありません。
患者さんの健康を守ることと、医療者の健康を守ること。
この二つを対立するものとしてではなく、良い歯科医療を長く続けるために、どちらも必要なものとして考えていきたいと思います。
参考文献・出典
- Mansourirad Y, Bayani M, Gholami M, Ghamari F. Overweight and obesity as predictors of work-related upper extremity disability among dentists in Arak, Iran: a cross-sectional study. Scientific Reports. 2026. https://doi.org/10.1038/s41598-026-79045-5
- Institute for Work & Health. DASH Outcome Measure. https://dash.iwh.on.ca/dash
- Chenna D, Pentapati KC, Kumar M, Madi M, Siddiq H. Prevalence of musculoskeletal disorders among dental healthcare providers: A systematic review and meta-analysis. F1000Research. 2022;11:1062. https://doi.org/10.12688/f1000research.124904.2
- ZakerJafari HR, YektaKooshali MH. Work-Related Musculoskeletal Disorders in Iranian Dentists: A Systematic Review and Meta-analysis. Safety and Health at Work. 2018;9(1):1–9. https://doi.org/10.1016/j.shaw.2017.06.006
- Lietz J, Kozak A, Nienhaus A. Prevalence and occupational risk factors of musculoskeletal diseases and pain among dental professionals in Western countries: A systematic literature review and meta-analysis. PLOS ONE. 2018;13(12):e0208628. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0208628
- Maksym V. Musculoskeletal Disorders in Dentists: A Practical Review and Self-Management Framework. International Dental Journal. 2026;76(5):109792. https://doi.org/10.1016/j.identj.2026.109792
- Åkesson I, Balogh I, Hansson GÅ. Physical workload in neck, shoulders and wrists/hands in dental hygienists during a work-day. Applied Ergonomics. 2012;43(4):803–811. https://doi.org/10.1016/j.apergo.2011.12.001
- Blanc D, Farre P, Hamel O. Variability of musculoskeletal strain on dentists: an electromyographic and goniometric study. International Journal of Occupational Safety and Ergonomics. 2014;20(2):295–307. https://doi.org/10.1080/10803548.2014.11077044
- Adulyawat N, et al. Poor neck posture and longer working duration during root canal treatment correlated with increased neck discomfort in dentists with less than five years’ experience in endodontics. Journal of Occupational Health. 2022;64:e12362. https://doi.org/10.1002/1348-9585.12362
- Dong H, Loomer P, Villanueva A, Rempel D. Pinch Forces and Instrument Tip Forces During Periodontal Scaling. Journal of Periodontology. 2007;78(1):97–103. https://doi.org/10.1902/jop.2007.060171
- Dong H, Barr A, Loomer P, Laroche C, Young E, Rempel D. The effects of periodontal instrument handle design on hand muscle load and pinch force. Journal of the American Dental Association. 2006;137(8):1123–1130. https://doi.org/10.14219/jada.archive.2006.0352
- Suedbeck JR, Ludwig EA. Pinch force generation during scaling by dental professionals: A systematic review. International Journal of Dental Hygiene. 2023;21(3):514–523. https://doi.org/10.1111/idh.12649
- Kostares E, Kostare G, Kostares M, Kantzanou M. Prevalence of carpal tunnel syndrome among dentists: a systematic review and meta-analysis. F1000Research. 2023;12:196. https://doi.org/10.12688/f1000research.131173.3
- Liu XQ, Liao Y, Yang Y, Zhou JF, Tan JG. Effects of loupes and microscope on the prosthodontist’s posture from ergonomic aspects. Beijing Da Xue Xue Bao Yi Xue Ban. 2020;52(5):948–951. https://doi.org/10.19723/j.issn.1671-167X.2020.05.026
- Partido BB, Henderson R, Washington H. Relationships between the postures of dentists and chairside dental assistants. Journal of Dental Education. 2020;84(9):1025–1031. https://doi.org/10.1002/jdd.12178
- FDI World Dental Federation. Ergonomics and posture guidelines for oral health professionals. 2021. FDI公式資料
- 日本肥満学会.肥満と肥満症について.日本肥満学会公式サイト
- Soriano EP, et al. Cumulative trauma disorders, overweight and obesity among Brazilian dentists. Brazilian Journal of Oral Sciences. 2011;10(2):130–135. 原著掲載ページ
- Mamani Pomari E, Gome Vilca AL, Orrego-Ferreyros LA. The role of overweight and obesity in shoulder, arm, and hand disability in young dentists: a cross-sectional study in the Peruvian Andes. F1000Research. 2025;14:211. https://doi.org/10.12688/f1000research.153163.1
- Al-Emara Z, Karaharju-Suvanto T, Furu P, Furu H. Musculoskeletal disorders and work ability among dentists and dental students in Finland. Work. 2024;78(1):73–81. https://doi.org/10.3233/WOR-230303
- Brown J, Burke FJT, Macdonald EB, et al. Dental practitioners and ill health retirement: causes, outcomes and re-employment. British Dental Journal. 2010;209:E7. https://doi.org/10.1038/sj.bdj.2010.813
- 慢性疼痛診療ガイドライン作成ワーキンググループ.『慢性疼痛診療ガイドライン』2021年.
- Kido D, Katagiri S, Tanaka A, et al. Effects of Dental Noise on Dentists’ Performance and Stress Responses: A Randomized Crossover Trial. Journal of Occupational Health. 2026;68(1):uiag054. https://doi.org/10.1093/joccuh/uiag054
- Mulimani P, et al. Ergonomic interventions for preventing musculoskeletal disorders in dental care practitioners. Cochrane Database of Systematic Reviews. 2018;CD011261. https://doi.org/10.1002/14651858.CD011261.pub2
- Jailan CJ, Ruslan NH, Mohd Aris MS, Anwar DS, Mohd Radzi NA. Individual and participatory ergonomics for dental professionals: a systematic review of randomized controlled trials. BMC Oral Health. 2026. https://doi.org/10.1186/s12903-026-09641-4
- Lin S, Tsai CC, Liu X, Wu Z, Zeng X. Effectiveness of participatory ergonomic interventions on musculoskeletal disorders and work ability among young dental professionals: A cluster-randomized controlled trial. Journal of Occupational Health. 2022;64:e12330. https://doi.org/10.1002/1348-9585.12330
- López-Nicolás M, García-Vidal JA, Medina-Mirapeix F, et al. Effect of different ergonomic supports on muscle activity of dentists during posterior composite restoration. PeerJ. 2019;7:e8028. https://doi.org/10.7717/peerj.8028
- Partido BB, Wright BM. Self-assessment of ergonomics amongst dental students utilising photography: RCT. European Journal of Dental Education. 2018;22(4):223–233. https://doi.org/10.1111/eje.12335
- Partido BB. Longitudinal effects of utilising photography on the accuracy of ergonomic self-assessments amongst dental hygiene students. European Journal of Dental Education. 2020;24(1):63–70. https://doi.org/10.1111/eje.12468
- 相田潤,草間太郎,五十嵐彩夏ほか.歯科衛生士の離職防止と復職に関連する要因:ストレスモデルと歯科医師との意識の差.口腔衛生学会雑誌. 2021;71(2):72–80. https://doi.org/10.5834/jdh.71.2_72
- 八重樫有里,糟谷昌志.東北地方における歯科衛生士の就業継続意向とその関連要因の分析.日本医療・病院管理学会誌. 2026;63(2):30–36. https://doi.org/10.11303/jsha.63.30
- American Dental Association. Workplace Ergonomics. ADA公式資料
※本記事は、2026年11月4日時点で確認できた研究論文、診療ガイドライン等に基づく解説です。研究対象、調査方法、評価尺度によって結果は異なります。個々の症状の診断や治療は、医療機関での評価に基づいて判断する必要があります。
※中心論文は2026年11月2日公開の早期公開版であり、主解析の結果や一部の結果表に確認すべき不整合があります。本文ではこれらを明示し、未確認の数値を推測して補正することはしていません。
