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歯医者で「ぬいぐるみ」を持つと痛みが減る?――子ども90人の研究で見えた「22人中1人」の意味

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チャットボット チャットボット

2026年11月05日

歯医者で「ぬいぐるみ」を持つと痛みが減る?――子ども90人の研究で見えた「22人中1人」の意味

(歯科助手さんの治療見学ノート)

はじめに――歯医者さんの診療台で、ぬいぐるみをぎゅっと抱いたら?

子どもの頃、怖いときにお気に入りのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたことはありませんか?

ふわふわした手触り。

いつも一緒にいる安心感。

何も話してくれなくても、そばにあるだけで少し気持ちが落ち着く。

そんな経験をしたことがある方もいらっしゃると思います。

では、歯医者さんの治療中にも、ぬいぐるみは役に立つのでしょうか。

歯科医院の診療室には、子どもにとって見慣れないものがたくさんあります。

大きな診療台、明るいライト、歯を削る器械の音、口の中に水を出す器具、唾液や水を吸い取るバキューム。

大人にとっては当たり前の光景でも、初めて歯医者さんへ来た子どもには、何をする場所なのか分からないこともあります。

「痛くないかな?」

「何をされるのかな?」

「いつ終わるのかな?」

そんな不安を感じることもあるでしょう。

歯科助手として診療について学んでいると、歯科治療では器具や材料の準備だけでなく、患者さんがどのような気持ちで診療台に座っているのかにも目を向けることが大切なのだと感じます。

特に子どもの場合は、治療内容を理解してもらうための説明や、怖さを和らげるための工夫が重要になることがあります。

そんななか、2026年10月31日、トルコの研究者たちが、とても興味深い臨床研究を発表しました。

研究に参加したのは、6〜10歳の子ども90人。

歯の治療中に、粘土、スライム、ぬいぐるみのいずれかを手に持ってもらい、通常の行動支援だけを受けた子どもたちと比較したのです。

その結果、ぬいぐるみを持っていた22人のうち、治療後に痛みを申告したのは、わずか1人でした。

一方、通常の行動支援だけを受けた24人では、9人が痛みを申告しました。

数字だけを見ると、かなり大きな違いがあるように感じます。

「やっぱり、ぬいぐるみには痛みを減らす効果があるのでは?」

そう思われるかもしれません。

しかし、この研究には、もう一つ大切な結論があります。

研究者たちは、ぬいぐるみが歯科治療中の痛みを軽減する効果を証明できたとは結論していないのです。

痛みを申告した子どもは少なかったのに、なぜ効果が証明されたとは言えないのでしょうか。

そして、そもそも、手で柔らかい物を触ることが、痛みの感じ方に関係する可能性はあるのでしょうか。

今回は、2026年の新しい臨床研究を中心に、子どもの痛みと歯科恐怖、触覚を使った注意転換、心拍数やストレスホルモン、そして安心して歯科治療を受けるための工夫について、歯科助手の視点から詳しく見ていきたいと思います。

1.歯科治療の痛みは、歯だけで決まるわけではありません

歯が痛むとき、私たちは「どこが痛いのか」「どのくらい痛いのか」と考えます。

もちろん、虫歯の深さや歯の神経の状態、歯ぐきの炎症、治療によって加わる刺激などは、痛みに大きく関係します。

しかし、人が感じる痛みは、身体に加わる刺激の強さだけで単純に決まるわけではありません。

同じような刺激を受けても、人によって感じ方が違うことがあります。

また、同じ人であっても、安心しているときと、何か怖いことが起こるのではないかと緊張しているときでは、痛みの体験が異なる場合があります。

痛みには、身体から神経を通じて伝わる情報だけでなく、注意、感情、過去の経験、これから起こることへの予測なども関係するからです。

例えば、何かに夢中になっているときには、ちょっとした身体の違和感があまり気にならないことがあります。

反対に、これから痛いことが起こるのではないかと考えていると、小さな刺激にも意識が向きやすくなることがあります。

ただし、ここで誤解してはいけないことがあります。

痛みは「気の持ちよう」で片づけてよいものではありません。

子どもが痛いと言っているのに、「気にしなければ痛くないよ」「怖がっているだけだよ」と決めつけることは適切ではありません。

痛みは、本人が実際に経験している感覚です。

必要な麻酔を使用し、治療中の痛みを適切に管理することが基本になります。

そのうえで、痛みの感じ方には心理的な要素も関係するため、歯科医療では治療技術だけでなく、患者さんの不安や緊張への対応も大切になります。

注意を別のものへ向ける「注意転換」

今回の研究を理解するために知っておきたい言葉があります。

それが、注意転換(distraction)です。

注意転換とは、痛みや不快感を伴う可能性のある処置から、別の物事へ意識を向ける方法です。

例えば、好きな音楽を聞いてもらう方法があります。

映像を見てもらったり、話しかけたり、数を数えたりする方法もあります。

VR(仮想現実)を利用した研究も行われています。

今回の研究で注目されたのは、それらとは少し違う方法でした。

触覚による注意転換(tactile distraction)です。

つまり、手で物に触れる感覚を利用する方法です。

粘土を握る。

スライムを触る。

ぬいぐるみを抱く。

どれも触覚を利用していますが、手の動かし方や感触は異なります。

また、ぬいぐるみには単に柔らかいというだけでなく、親しみや安心感が関係する可能性もあります。

今回の研究者たちは、こうした感覚の違いが、歯科治療中の子どもの体験にどのような影響を与えるのかを調べようと考えたのです。

2.トルコの研究者が、6〜10歳の子ども90人を調べた

今回の中心となる研究は、2026年10月31日に『BMC Oral Health』で公開されました。

論文名は、

Tactile distraction using sensory materials during restorative dental treatment in children: effects on pain perception, heart rate, and salivary cortisol

です。

日本語にすると、

「小児の修復歯科治療中に感覚刺激物を使った触覚性注意転換を行うことが、痛みの知覚、心拍数、唾液コルチゾールに与える影響」

という内容です。

研究を行ったのは、トルコのAfyonkarahisar Health Sciences Universityの研究者たちです。

研究デザインは、前向き非ランダム化比較臨床研究でした。

少し難しい言葉ですが、研究の結果を正しく理解するためには重要です。

前向き研究とは?

前向き研究とは、研究の計画に従って参加者を観察し、その後に得られた結果を調べる方法です。

過去の診療記録だけを集めて比較する研究とは異なります。

今回の研究では、歯科治療前に子どもの歯科恐怖などを評価し、治療中の心拍数、治療後の痛み、治療前後の唾液コルチゾールを調べました。

非ランダム化とは?

一方、非ランダム化とは、参加者を完全に無作為な方法で各グループへ割り当てていないことを意味します。

今回の研究では、子どもたちが来院した順番に従って、4つのグループへ交互に割り当てられました。

コンピューターによる無作為割付や、次の割付先を分からなくする方法は使用されていません。

そのため、グループの間に、研究者が測定できていない違いが残る可能性があります。

この点は、後で研究の限界として詳しく説明します。

参加した子どもの年齢と人数

最初に登録されたのは100人でした。

しかし、2回目の予約に来られなかった子ども、保護者が同意を撤回した子ども、十分な唾液検体が採取できなかった子どもなどがいたため、最終的な解析対象は90人になりました。

女の子46人、男の子44人です。

平均年齢は7.63歳でした。

対象になったのは、上顎第二乳臼歯に虫歯があり、局所麻酔を使用した修復治療が必要な子どもたちです。

上顎第二乳臼歯とは、上の乳歯の歯列で一番奥にある歯です。

乳歯はいずれ永久歯へ生え変わりますが、だからといって虫歯を放置してよいわけではありません。

今回の研究では、虫歯は象牙質までにとどまり、歯の神経が露出するような深い虫歯は対象になっていませんでした。

さらに、以前に歯科治療を受けた経験がなく、比較的協力的に治療を受けられる子どもたちが選ばれています。

強い拒否や泣きによって治療を進めることが難しい子ども、神経発達症などのある子どもについては、研究の対象から外されています。

つまり、今回の研究は、歯医者さんが怖くて治療を受けられない子ども全般について調べたものではありません。

ここは、結果を読み解くうえで忘れてはいけない部分です。

3.粘土・スライム・ぬいぐるみ――4つのグループで比較

研究では、90人を4つのグループに分けました。

  • ぬいぐるみ群:22人
    治療中にぬいぐるみを手に持ったり、抱いたりすることができました。原著論文には、サル型のぬいぐるみを抱えている子どもの写真が掲載されています。
  • 粘土群:22人
    手で握ったり、押したり、形を変えたりすることのできる粘土を持ってもらいました。
  • スライム群:22人
    粘土とは異なる、柔らかく流動的な感触のあるスライムを使用しました。
  • 通常の行動支援群:24人
    追加の感覚刺激物は渡されず、通常の行動支援を受けました。

ここは大切なところです。

今回の研究は、「何も説明せずに治療を受けた子ども」と「ぬいぐるみを持った子ども」を比較したものではありません。

どのグループでも、これから行うことを説明したり、子どもの不快感を確認したりする基本的な行動支援が行われていました。

ぬいぐるみなどの感覚刺激物は、その基本的な支援に追加されたものです。

ぬいぐるみは、いつから持っていたの?

粘土、スライム、ぬいぐるみは、治療前の評価が終了したあと、表面麻酔を行う直前に渡されました。

そして、治療が終了するまで持っていてもらいました。

つまり、虫歯を削っている間だけでなく、局所麻酔を行うときにも持っていたということです。

子どもがどのような反応を示したかについては、痛みの自己申告、心拍数、唾液コルチゾールなどを使って評価しました。

なお、今回の研究で主要評価項目として設定されていたのは、唾液コルチゾールによる生理的なストレス反応でした。

痛みの自己申告と心拍数は副次的な評価項目です。

つまり、研究は最初から「ぬいぐるみを持った子どもの痛みの申告割合」だけを調べるために設計されたものではありません。

この点も、数字の解釈では重要になります。

4.全員が局所麻酔を受け、同じ種類の虫歯治療を受けていた

歯科助手として気になるのは、実際にどのような治療が行われていたかということです。

今回の研究では、上顎第二乳臼歯の2面にわたる虫歯を、コンポジットレジンで修復する治療が行われました。

コンポジットレジンとは、虫歯などで失われた歯の形を補うために使われる、歯科用の白い修復材料です。

虫歯の部分を取り除き、必要な処理を行ったうえで、レジンを充填し、形を整えます。

今回の研究では、虫歯は象牙質までの範囲で、歯の神経が露出するような症例は含まれていません。

また、歯の神経に直接処置を行う生活歯髄療法や、抜歯なども対象外でした。

治療の種類をできるだけ揃えることで、処置内容の違いが研究結果に影響することを減らそうとしたのです。

麻酔は、どのグループでも行われました

今回、すべての子どもに表面麻酔と局所浸潤麻酔が行われています。

研究で使用されたのは、10%リドカインスプレーによる表面麻酔と、4%アルチカインにエピネフリンを配合した局所麻酔薬でした。

これはトルコで行われた研究の条件です。日本のすべての歯科医院で同じ製剤を使用するという意味ではありません。

表面麻酔は、主に口の粘膜の表面へ作用させる麻酔です。

局所麻酔注射の針が粘膜へ入るときの刺激を和らげる目的などで使用されます。

一方、注射による局所麻酔は、歯や周囲の組織から伝わる痛みの信号を抑えるために行います。

つまり、ぬいぐるみや粘土が麻酔の代わりとして使われたわけではありません。

必要な麻酔を行ったうえで、触覚による注意転換を追加する意味があるかどうかを調べた研究なのです。

また、すべての治療は同じ小児歯科医が担当し、治療方法も基本的に統一されていました。

注射器が子どもの目に直接入りにくいようにする配慮も、すべてのグループで行われています。

具体的には、注射の際に子どもの鼻の下へ紙製のティッシュを置き、天井を見るように伝えていました。

このように、感覚刺激物以外の条件をできるだけ揃えようとしたことが分かります。

ただし、子どもの性格やその日の気分、痛みの感じ方などを完全に揃えることはできません。

そのため、グループ間の違いが生じた理由を判断するときには、慎重さが必要です。

なお、表面麻酔の役割については、以前の「歯科助手さんの治療見学ノート」でも詳しく解説しています。

麻酔の前に表面麻酔を塗るのはなぜ?痛みを減らすための準備

今回の記事では、麻酔の仕組みそのものよりも、麻酔を含む治療中に子どもの注意や安心感を支える工夫へ目を向けていきます。

5.ぬいぐるみを持った22人のうち、痛みを申告したのは1人

いよいよ、今回の研究で最も注目したい結果です。

研究者たちは、治療終了直後に、子どもたちがどのくらい痛みを感じたのかを確認しました。

その結果、ぬいぐるみ群では、22人のうち痛みを申告したのは1人でした。

割合にすると4.5%です。

一方、他のグループでは次のような結果でした。

  • ぬいぐるみ群:1人/22人(4.5%)
  • 粘土群:4人/22人(18.2%)
  • スライム群:8人/22人(36.4%)
  • 通常の行動支援群:9人/24人(37.5%)

ぬいぐるみ群が、最も低い割合になっています。

特に、通常の行動支援群37.5%と、ぬいぐるみ群4.5%の差は、約33.0パーセントポイントです。

かなり大きな違いに感じられるのではないでしょうか。

4つのグループ全体では、統計学的な差がありました

研究者たちは、治療後に何らかの痛みを申告した子どもの割合を、4つのグループ全体で比較しました。

その結果、p=0.028でした。

p値とは、仮に比較しているグループに本当の差がないとした場合に、今回のような差、あるいはそれ以上の差が統計学的にどの程度起こり得るかを表す数値です。

一般的に研究では、あらかじめ設定した有意水準が0.05であれば、p値がそれを下回ったときに統計学的に有意と判断します。

今回のp=0.028は、その基準を下回っています。

したがって、4つのグループの痛み申告割合について、全体として差が認められたという結果でした。

ただし、ここで重要な注意点があります。

4つのグループ全体で差があることと、「ぬいぐるみが通常の行動支援より優れている」と証明されたことは同じではありません。

また、約33.0パーセントポイントという数字は、今回の対象者において観察された割合の差です。

「ぬいぐるみによって痛みが33%減少した」という因果効果を示したものではありません。

今回の研究では無作為割付が行われておらず、対象人数も限られています。

そのため、ぬいぐるみを持ったことが、どの程度結果に影響したのかは確定できません。

「痛みを申告しなかった」と「ぬいぐるみのおかげで無痛だった」は違う

もう一つ、表現に注意したい点があります。

今回の研究では、治療が終わった直後に、子どもが治療全体を振り返って痛みを評価しました。

そして、痛みの評価で0点を選んだ子どもを、痛みの申告がなかった子どもとして扱っています。

そのため、

「ぬいぐるみ群の21人が痛みを申告しなかった」

とは言えます。

しかし、

「ぬいぐるみのおかげで21人の痛みが消えた」

とは言えません。

また、この評価は局所麻酔の注射だけの痛みを調べたものではありません。

麻酔と虫歯の修復処置を含む、治療全体で感じた痛みについての回答です。

「ぬいぐるみを持てば注射が痛くなくなる」という意味でもありません。

6.実は90人中68人が、痛みを申告していなかった

今回の結果を正確に理解するために、もう一つ大切な数字があります。

4つのグループの子どもたちのうち、痛みを申告したのは合計22人でした。

つまり、90人中68人、約75.6%は痛みを申告していなかったことになります。

ぬいぐるみ群だけでなく、研究全体として、痛みの申告が少ない条件だったのです。

今回の対象は、比較的協力的な6〜10歳の子どもたちでした。

治療する歯も上顎第二乳臼歯に限定され、虫歯の範囲は象牙質までで、局所麻酔が行われています。

局所麻酔から治療後の唾液採取までの時間は、平均約20分でした。

このように、処置内容が限定された比較的短時間の治療だったことも、結果に関係した可能性があります。

もちろん、どの条件がどの程度影響したのかは、今回の研究だけでは分かりません。

しかし、抜歯や歯髄の処置、長時間の治療、より強い不安を伴う治療などに、同じ数字を当てはめることはできません。

痛みの強さを測ると、4群とも中央値が0

研究では、痛みを申告したかどうかだけでなく、痛みの強さも評価しています。

使用されたのは、Wong–Baker FACES Pain Rating Scaleという方法です。

これは、子どもが顔のイラストを見ながら、自分が感じた痛みに最も近いものを選ぶ評価方法です。

小さな子どもは、自分の痛みを数字や言葉で細かく表すことが難しい場合があります。

そのため、顔のイラストを利用して、本人に痛みを伝えてもらう方法が使われます。

大切なのは、医療者が子どもの表情を見て勝手に採点するのではなく、子ども自身が自分の痛みを伝えるという点です。

今回の研究では、治療終了直後に、局所麻酔と修復処置を含む治療全体を振り返って回答してもらいました。

その結果、ぬいぐるみ群、粘土群、スライム群、通常の行動支援群のすべてで、痛みスコアの中央値は0でした。

中央値とは、数値を小さい順に並べたとき、中央に位置する値のことです。

今回の研究では、どのグループでも0点の子どもが多くいたため、中央値が0になりました。

つまり、ぬいぐるみを持っていた子どもだけが痛みを申告しなかったわけではないのです。

痛みのスコア全体比較はp=0.044、でも個別比較は?

Wong–Bakerスコアの4群全体の比較では、p=0.044でした。

こちらも一般的な有意水準0.05を下回っています。

しかし、研究者たちはさらに、どのグループ同士に違いがあるのかを調べています。

その際に使用されたのが、Bonferroni補正という方法です。

複数の組み合わせを何度も比較すると、実際には明確な差がない場合でも、偶然に有意差が出る可能性が高くなります。

その影響を考慮するために使用される方法の一つが、Bonferroni補正です。

今回の研究では、補正後に統計学的な有意差が確認された組み合わせはありませんでした。

ぬいぐるみ群とスライム群、ぬいぐるみ群と通常の行動支援群の比較でも、有意差は確認されていません。

したがって、今回の研究結果は、次のように分けて理解する必要があります。

  • 痛みの申告割合の4群全体の比較では、差が認められた。
  • 痛みの強さのスコアでも、4群全体の比較では差が認められた。
  • しかし、スコアの多重比較補正後には、特定の2群間の有意差は確認されなかった。

なお、痛みの申告割合を比較した解析と、痛みスコアの分布を比較した解析は別のものです。

後者の多重比較結果を、前者についても補正後に差がなかったという意味に置き換えることはできません。

「床効果」という研究上の難しさ

今回のように、評価した数値が尺度の下限付近に集中する現象を、統計学では床効果(floor effect)と呼びます。

例えば、多くの子どもが0点を選んでいる場合、実際に痛みの感じ方に小さな違いがあったとしても、点数として区別することが難しくなります。

反対に、少数の子どもの点数が変わるだけで、平均値や順位に影響する場合もあります。

今回の研究では、4群とも中央値が0であり、床効果が結果の解釈を難しくしていた可能性があります。

だからこそ、今回の結果を、

「ぬいぐるみには確実に効果がある」

と断定することも、

「有意差が確認されなかったので効果は絶対にない」

と断定することも適切ではありません。

ぬいぐるみ群では痛みの申告が少ない傾向が見られたものの、本当に効果があるかどうかは、さらに研究する必要がある。

これが、原著論文の結論に最も近い理解です。

7.なぜスライムや粘土より、ぬいぐるみがよさそうに見えたのでしょうか?

今回の研究結果を見て、私が特に気になったのがこの部分です。

粘土も、スライムも、ぬいぐるみも、手で触る物です。

それなら、どれでも同じように気が紛れるのではないでしょうか。

ところが、今回の研究では、痛みを申告した割合に違いがありました。

ぬいぐるみ群では4.5%。

粘土群では18.2%。

スライム群では36.4%。

通常の行動支援群では37.5%でした。

スライム群と通常の行動支援群は、痛み申告割合が近い結果になっています。

この違いについて、研究者たちは、それぞれの感覚刺激物が持つ特徴に注目しています。

粘土は、自分で形を変える物

粘土は、握ったり、押したり、伸ばしたりすることができます。

手を積極的に動かしながら、触った感覚を楽しむ物です。

指で力を加えると形が変わるため、自分で操作している感覚もあります。

こうした動作に注意を向けることで、歯科治療中の刺激への意識が変わる可能性があります。

スライムは、動き続ける感触を楽しむ物

スライムは、粘土とは違う、柔らかく流動的な感触があります。

手で伸ばしたり、握ったり、形の変化を楽しんだりすることができます。

ただし、そうした操作には、ある程度手を動かす必要があります。

歯科治療中は診療台に横になり、急に体を動かさないことが求められます。

そのため、手を積極的に動かしながら操作する物が、必ずしも治療中の状況に適しているとは限りません。

原著の考察でも、スライムのように継続的な操作を必要とする物が、動きを制限される治療中には適していなかった可能性に言及しています。

ただし、これは研究者たちの考察であって、今回の研究がその仕組みを直接証明したわけではありません。

ぬいぐるみは、抱いているだけでもよい

一方、ぬいぐるみは、積極的に形を変える必要がありません。

手で握ったり、腕で抱えたり、そのまま持っていたりすることができます。

しかも、ぬいぐるみは子どもにとって、単なる柔らかい物とは限りません。

好きな動物やキャラクターの形をしていたり、普段から親しんでいたりすれば、安心感と結びついていることも考えられます。

研究者たちは、ぬいぐるみには単なる触覚刺激だけでなく、情緒的な安心感が関係した可能性も考察しています。

ここで興味深いのは、手をたくさん動かすことと、安心できる物を抱いていることは、同じではないという点です。

何かを積極的に操作することで気が紛れる場合もあれば、柔らかい物を持っていることで落ち着く場合もあるかもしれません。

ただし、今回の研究では、こうした作用を個別に比較したわけではありません。

したがって、ぬいぐるみ群の結果がよかった理由を、安心感だけで説明することはできません。

8.ぬいぐるみは「気をそらす道具」なのか、「安心できる存在」なのか

ここで、もう少し深く考えてみたいと思います。

今回の研究で想定されている働きには、少なくとも二つの可能性があります。

一つは、触覚による注意転換です。

手で柔らかい物に触れ、その感触へ注意を向けることで、口の中の処置だけに意識が集中しなくなる可能性があります。

もう一つは、情緒的な安心感です。

例えば、小さな子どもが眠るときに、いつも同じぬいぐるみを抱いていることがあります。

その物に触れることが、安心できる経験と結びついているのかもしれません。

ただし、今回の研究では、子ども自身がお気に入りのぬいぐるみを持参した場合と、研究者が用意した物を持った場合を比較したわけではありません。

ぬいぐるみへの愛着の程度を詳しく評価したわけでもありません。

そのため、

「自分のお気に入りのぬいぐるみなら、もっと痛みが減る」

という結論を出すことはできません。

また、ぬいぐるみの柔らかさだけを取り出した比較も行われていません。

例えば、同じ柔らかさのクッションや、動物の形をしていない物と比べた場合にも、同じ結果になるかどうかは分かりません。

そもそも今回の研究では、ぬいぐるみが痛みを軽減したという因果効果そのものが確定していません。

それでも、この結果は興味深い問いを生み出しています。

子どもが歯科治療中に安心できるのは、何かに集中しているからなのでしょうか。

それとも、親しみのある物がそばにあるからなのでしょうか。

あるいは、その両方なのでしょうか。

将来、子どもが自由に選んだ物と、研究側が指定した物を比較する研究が行われれば、さらに新しいことが分かるかもしれません。

9.「歯医者さんが怖い」と「治療が痛い」は、同じではありません

今回の研究を理解するために、もう一つ大切なことがあります。

それは、痛みと歯科恐怖は同じではないということです。

例えば、注射をする前から怖くて緊張している子どもがいたとします。

まだ針が入っていなくても、注射器を見ただけで不安を感じることがあります。

これは、実際の痛みが発生する前の反応です。

反対に、落ち着いて治療を受けているように見える子どもが、まったく痛みを感じていないとは限りません。

声を出さずに我慢している場合もあるかもしれません。

また、子どもが泣いているからといって、必ず強い痛みを感じているとも限りません。

怖さや緊張、慣れない環境への戸惑いなど、さまざまな理由が考えられます。

だからこそ、子どもの表情だけで痛みを判断するのではなく、本人の訴えを尊重することが大切です。

研究では歯科恐怖を治療前に評価していた

今回の研究では、CFSS-DSという質問票を使い、子どもたちの歯科恐怖を評価しています。

これは、歯科治療に関係するさまざまな事柄への恐怖を調べるための方法です。

研究では、治療を開始する前に質問票を使用し、4群の歯科恐怖の程度を比較しました。

その結果、群間に統計学的な有意差は確認されませんでした。p=0.685です。

ただし、この質問票を使用したのは治療前の1回だけです。

治療後に同じ質問票で再評価したわけではありません。

つまり、今回の研究からは、

「ぬいぐるみを持った子どもは、歯医者さんへの恐怖心が減った」

とは言えません。

今回確認されたのは、治療後に回答された痛みの申告の違いと、治療中の心拍数、治療前後の唾液コルチゾールなどです。

歯科恐怖そのものが改善したかどうかは、別の研究で調べる必要があります。

10.麻酔のとき、子どもの心拍数はどう変わった?

今回の研究では、子ども自身が答えた痛みだけでなく、心拍数も調べています。

心拍数は、1分間に心臓が何回拍動するかを表す数値です。

運動したり、緊張したり、身体に刺激が加わったりすると変化することがあります。

研究では、子どもの右手の人差し指にパルスオキシメーターを装着し、心拍数を測定しました。

記録したのは、治療開始前、局所麻酔注射開始から10秒目、修復治療終了直後の3時点です。

ぬいぐるみ群の心拍数

ぬいぐるみ群では、治療前の平均心拍数は105.14回/分でした。

局所麻酔中には111.50回/分となり、治療終了後には102.45回/分でした。

粘土群の心拍数

粘土群では、治療前103.14回/分、局所麻酔中115.23回/分、治療後103.27回/分でした。

スライム群の心拍数

スライム群では、治療前96.82回/分、局所麻酔中107.36回/分、治療後99.45回/分でした。

通常の行動支援群の心拍数

通常の行動支援群では、治療前100.33回/分、局所麻酔中113.00回/分、治療後103.75回/分でした。

これらの数字から、どのグループでも局所麻酔中に平均心拍数が上昇していたことが分かります。

時間による変化は統計学的にも有意で、p<0.001でした。

しかし、ここで注目したいのは、グループごとに心拍数の変化パターンが違っていたかどうかです。

その比較では、群と時間の交互作用はp=0.150で、有意ではありませんでした。

つまり、ぬいぐるみを持つことで、局所麻酔中の心拍数上昇が明確に抑えられたとは確認できなかったのです。

心拍数が上がるのは、必ず痛かったから?

ここも誤解しやすい部分です。

心拍数が上がると、「緊張しているのかな」「怖かったのかな」と考えるかもしれません。

確かに、心拍数は自律神経の活動などと関係しています。

しかし、心拍数の上昇を痛みだけで説明することはできません。

注射への予期不安、身体への刺激、緊張、姿勢、個人差など、さまざまな要因が影響する可能性があります。

また、今回の局所麻酔薬にはエピネフリンが含まれていました。

ただし、注射開始から10秒目に観察された心拍数の変化に、その薬剤がどの程度影響したのかは、今回の研究では明らかにされていません。

したがって、

「心拍数が上がったから、子どもは強い痛みを感じた」

とも、

「心拍数があまり上がらなかったから、怖くなかった」

とも、単純には言えません。

今回の研究では、ぬいぐるみ群の痛みの申告割合が最も低かった一方、心拍数の時間変化については他のグループとの明確な違いが確認されませんでした。

このように、本人が感じた痛みと身体に現れる反応は、必ずしも同じ形では変化しない可能性があります。

ただし、今回の結果だけで「ぬいぐるみは痛みの感じ方だけに作用する」と断定することもできません。

痛みの申告と身体の反応は、異なる情報として丁寧に考える必要があります。

11.唾液で子どものストレスを測ることができる?

今回の研究では、もう一つ興味深い測定が行われています。

それが、唾液コルチゾールです。

コルチゾールは、副腎皮質から分泌されるホルモンの一つです。

身体がストレスに対応するときに関係するホルモンとして知られています。

血液中だけでなく、唾液から測定することもできるため、医療研究などで利用されています。

子どもから血液を採取する場合、採血そのものが不安や痛みを生じさせる可能性があります。

その点、唾液を使った方法には、身体への負担が比較的小さいという利点があります。

今回の研究では、治療開始前と治療終了直後に唾液を採取しました。

唾液中のコルチゾール濃度は、ELISAという検査方法で測定されています。

なぜ午前9時から正午に測定したの?

コルチゾールには、1日のなかで分泌量が変化する日内リズムがあります。

そのため、朝と夕方では測定値が異なることがあります。

今回の研究では、その影響を減らすため、唾液採取を午前9時から正午の間に行いました。

それでも、時間帯を揃えればすべての個人差がなくなるわけではありません。

ストレスへの反応や唾液の分泌量には、個人差があるからです。

治療前からグループごとのコルチゾールには差があった

今回の研究では、治療前の唾液コルチゾールに、すでにグループ間の違いがありました。

その比較はp=0.016でした。

つまり、粘土やぬいぐるみなどを渡す前の段階から、グループごとのコルチゾール値が異なっていたのです。

治療後の単純な群間比較でも、p=0.005という結果が出ています。

ここだけを見ると、グループによってストレス反応が違ったように感じるかもしれません。

しかし、治療前から数値に差がある場合には、その影響を考慮する必要があります。

研究者たちは、治療前のコルチゾール値を調整して、治療後の値を比較しました。

その結果、p=0.082となり、統計学的な有意差は確認されませんでした。

ぬいぐるみでストレスホルモンは減ったの?

今回の研究では、ぬいぐるみによって唾液コルチゾールが確実に減少したとは言えません。

なお、研究者たちは別の解析方法による感度分析も行っています。

順位に基づく解析ではp=0.039となり、解析方法によって結果が変わることも確認されました。

このような場合、都合のよい解析結果だけを取り上げて効果を断定するのは適切ではありません。

治療前の違い、個人差、解析方法による結果の変化を踏まえ、慎重に解釈する必要があります。

ストレスホルモンは、心拍数と同じ速さでは変化しない

心拍数は、緊張や身体への刺激に対して比較的短時間で変化することがあります。

一方、コルチゾールの分泌は、身体のホルモン調節の仕組みを通じて変化します。

そのため、ストレスを感じた瞬間に、唾液中のコルチゾール濃度がすぐ最大になるとは限りません。

急性ストレスに対するコルチゾール反応は、刺激からある程度時間がたってピークを迎えることがあります。

原著でも、15〜30分程度という時間経過について考察されています。

一方、今回の局所麻酔から治療後の唾液採取までの時間は、平均約20分でした。

この時間は、子どもの協力度や治療の状況によって多少異なっていました。

そのため、子どもごとに同じタイミングのストレス反応を捉えられていたとは限りません。

また、唾液を採取する際には、専用の綿状の器具を使用しています。

唾液の分泌量や器具の扱い方によって、測定値にばらつきが生じた可能性もあります。

心拍数もコルチゾールも、子どもの気持ちをすべて説明するものではない

今回の研究では、心拍数と唾液コルチゾールのどちらについても、ぬいぐるみによる明確な改善効果は確認されませんでした。

しかし、それは子どもが安心感を得ることは絶対にないという意味でもありません。

逆に、痛みの申告割合が少なかったからといって、身体的なストレス反応が確実に減っていたとも言えません。

子ども自身が感じる痛み、歯科治療への恐怖、心拍数、ストレスホルモンは、それぞれ異なる側面を捉える指標です。

今回の研究は、子どもの治療体験を理解することが、単純な数字だけでは難しいことも教えてくれます。

12.「痛かったら左手を挙げてね」という約束

今回の原著論文を読んでいて、歯科助手として特に印象に残った部分があります。

それは、研究に参加したすべての子どもに、不快なときには左手を挙げて知らせるという約束をしていたことです。

子どもが左手を挙げた場合、歯科医師は治療を一時的に中断しました。

これは、ぬいぐるみ群だけで行われたことではありません。

すべてのグループで共通して行われていた行動支援です。

歯科治療中は、言葉で伝えにくいことがあります

歯科治療中は、口の中に器具が入っています。

水を使ったり、バキュームで吸引したりすることもあります。

そのため、何かを伝えたくても、すぐに言葉で説明できない場合があります。

そんなとき、あらかじめ簡単な合図を決めておけば、子どもは不快なことを伝えやすくなります。

ただし、治療中に急に大きく動くことは危険な場合があります。

合図があったときには、歯科医師が安全を確認し、必要に応じて器具を口から離して処置を一時停止します。

どのような合図を使うか、どのように対応するかは、治療前に確認しておくことが大切です。

「自分で伝えられる」という感覚

米国小児歯科学会(AAPD)の行動支援指針では、患者さんが治療中に一定のコントロール感を持てるようにする方法が紹介されています。

英語では、Enhancing controlと呼ばれます。

子どもに「つらいときには、この合図で知らせてね」と説明し、合図が出たときに医療者が応じる方法です。

大切なのは、合図を教えるだけではありません。

実際に合図が出たとき、医療者が気づいて対応することです。

もし、合図をしても何も変わらないのであれば、子どもは「伝えても意味がない」と感じてしまうかもしれません。

ただし、今回の研究は左手の合図の効果を比較したものではありません。

また、こうしたコントロール感を高める方法についても、その効果を裏付ける研究は十分とは言えず、個々の患者さんに合わせた判断が必要です。

それでも、患者さんが自分の不快感を伝えられる関係を作ることは、歯科診療における重要な考え方です。

歯科助手として気を付けたいこと

歯科助手は、歯科医師が安全に診療を進められるよう、器具や材料の準備、診療補助などを行います。

その際、器具だけでなく、患者さんの様子にも気を配ります。

子どもの手が動いたとき。

急に肩に力が入ったとき。

表情が変わったとき。

それが何を意味するのかを、見た目だけで決めつけることはできません。

でも、気づいたことを歯科医師へ伝えたり、必要に応じて声をかけたりすることは、診療を支える大切な役割だと思います。

今回の研究では、ぬいぐるみなどの感覚刺激物だけでなく、こうした基本的なコミュニケーションも行われていました。

そのことを忘れずに、研究結果を理解したいと思います。

13.「説明して、見せて、実際に行う」Tell–Show–Do

今回の研究で、すべての子どもに行われたもう一つの支援方法が、Tell–Show–Doです。

日本語では、一般に「説明・提示・実施」といった意味で紹介されます。

Tellは、これから何をするのかを説明すること。

Showは、実際に使う器具や動作、感じる可能性のある感覚などを、怖さを与えない方法で示すこと。

Doは、説明した内容に沿って実際の処置を行うことです。

例えば、子どもが初めて歯科治療を受ける場合、いきなり器具を口の中へ入れられると、何が起こるのか分からず、怖く感じることがあります。

そこで、子どもの年齢や理解の程度に合わせて説明し、必要な範囲で見せてから処置を進めます。

ただし、すべての器具を必ず直接見せなければならないという意味ではありません。

注射器など、視覚的な恐怖を強く引き起こす可能性のある物については、見せ方や説明方法に配慮が必要です。

今回の研究でも、局所麻酔中には子どもが注射器を直接見ないようにする工夫が行われていました。

つまり、子どもが理解しやすいように説明することと、不必要な恐怖を与えないように配慮することを両立させようとしていたのです。

ぬいぐるみだけを渡せばよいわけではない

今回の研究では、ぬいぐるみを持った子どもたちにも、Tell–Show–Doや左手の合図などが使用されていました。

そのため、ぬいぐるみ単独の作用だけを、通常の行動支援から完全に切り離して考えることはできません。

研究で比較されたのは、通常の行動支援に感覚刺激物を追加することです。

この違いは、患者さん向けの記事でも大切にしたいところです。

14.世界では、子どもの注意転換はどこまで研究されている?

今回の90人研究だけを見ると、ぬいぐるみという少し変わった方法が、突然研究され始めたように感じるかもしれません。

しかし、子どもの歯科治療中の不安や痛みを、薬以外の方法で和らげられないかという研究は、以前から行われてきました。

2025年には、Kaurらが『Health Science Reports』に、非薬物的な行動支援に関する系統的レビュー・メタ解析を発表しています。

この研究では、76件のランダム化比較試験、合計6,723人の子どもが解析対象となりました。

かなり大規模な文献の整理です。

注意転換は、痛みに対してどのような結果だった?

このメタ解析では、注意転換法をTell–Show–Doと比較した分析で、痛みの軽減が認められました。

標準化平均差は−0.43。

95%信頼区間は−0.76〜−0.10でした。

標準化平均差とは、異なる研究で使われた評価方法を一定の基準に揃えて比較するための指標です。

この結果は、注意転換法を使用した群で、痛みの評価が低くなる方向を示しています。

ただし、この研究では、さまざまな注意転換法がまとめられています。

ぬいぐるみ単独の効果を示したわけではありません。

不安への効果は、同じではなかった

一方、歯科不安については、注意転換法とTell–Show–Doの間に統計学的な有意差は確認されませんでした。

標準化平均差は−0.34。

95%信頼区間は−0.71〜0.04でした。

この信頼区間には0が含まれているため、統計学的な有意差は確認されていません。

つまり、こちらのレビューでも、痛みと不安では結果が異なっていたのです。

また、研究間には大きなばらつきがあり、バイアスの懸念も指摘されています。

したがって、

「注意転換をすれば、どんな子どもでも痛みと不安が減る」

という結論にはできません。

今回の90人研究も、こうした研究の流れの中で理解する必要があります。

2022年の123人研究では、ストレスボールを使っても有意差が出なかった

一方、注意転換を取り入れても、通常の行動支援より明確に優れた結果が得られなかった研究もあります。

2022年、Shekharらは『European Archives of Paediatric Dentistry』に、8〜12歳の子ども123人を対象としたランダム化比較試験を発表しました。

この研究では、下顎孔伝達麻酔を受ける子どもたちを、次の3つのグループに分けました。

  • ストレスボールを握るグループ
  • 映像と音声を利用した専用ゴーグルを使うグループ
  • 通常の行動支援だけを受けるグループ

ストレスボールを使う方法は、自分で手を動かして注意を向ける能動的な注意転換です。

一方、映像や音声を利用する方法は、主に見ることや聞くことへ注意を向ける受動的な注意転換です。

研究では、歯科不安、治療中の行動、痛みなどを評価しました。

その結果、3群の間で歯科不安に統計学的な有意差は認められませんでした。

治療中の行動評価や痛みの評価についても、有意な群間差は確認されませんでした。

つまり、ストレスボールや映像・音声による注意転換を追加しても、通常の行動支援より明確に優れているとは言えなかったのです。

ただし、この研究は下顎孔伝達麻酔中の注意転換を調べたもので、今回のトルコの90人研究とは治療条件が異なります。

そのため、両者の結果を直接比較して、ぬいぐるみがストレスボールより優れていると判断することはできません。

それでも、手で何かを握る方法なら、必ず痛みや不安が減るというわけではないことを考えるうえで、重要な研究です。

医学研究では、効果が認められた研究だけでなく、明確な差が認められなかった研究も合わせて検討する必要があります。

15.アメリカでは「重いぬいぐるみ」を使った77人研究も

実は、2026年には別のぬいぐるみ研究も発表されています。

2026年1月15日、米国のAlfailkawiらが『Open Access Library Journal』に発表したランダム化比較試験です。

研究に参加したのは、4〜14歳の子ども77人でした。

ここで使われたのは、普通のぬいぐるみではありません。

約2.27kg、5ポンドの重さがあるぬいぐるみです。

研究者たちは、重みによる身体への圧迫感を利用して、子どもの歯科不安や治療中の行動に違いが生じるかを調べました。

重み付きぬいぐるみとは?

柔らかい物に触れる感覚とは別に、一定の重さや圧迫感を利用する方法があります。

英語では、Deep Touch Pressure(深部圧迫刺激)という考え方があります。

ただし、どの程度の重さや刺激が適しているかは、子どもの年齢、体格、状態などによって異なります。

家庭で重い物を子どもに持たせることを勧める研究ではありません。

77人の研究では、どのような結果だった?

重み付きぬいぐるみを使用した39人と、使用しなかった38人を比較しました。

子どもの治療への協力度を示すFrankl行動評価では、ぬいぐるみ群の中央値が4、対照群が3で、p<0.001でした。

また、Venham Picture Testという子どもの不安を評価する方法でも、ぬいぐるみ群の不安スコアが低い結果でした。p=0.02です。

研究では、使用に伴う有害事象は報告されませんでした。

ただし、この研究には重要な条件があります。

子どもたちは亜酸化窒素による鎮静を併用した歯科治療を受けており、局所麻酔も使用されていました。

研究の主な評価項目は、治療中の協力度や不安であって、痛みそのものではありません。

また、通常のぬいぐるみと重み付きぬいぐるみを直接比較した研究でもありません。

そのため、

「普通のぬいぐるみでも同じように不安が減る」

「ぬいぐるみだけで麻酔や鎮静の必要がなくなる」

という結論は出せません。

なお、この研究にも、報告された群別人数と性別内訳の合計が一致しない部分があり、結果を読む際には記載の整合性に注意が必要です。

トルコの90人研究とは、何が違う?

トルコの90人研究では、通常のぬいぐるみを用い、治療後の痛み、心拍数、唾液コルチゾールなどを評価しました。

一方、米国の77人研究では、重み付きぬいぐるみを使用し、主に協力度と歯科不安を評価しています。

研究の対象、使用した道具、麻酔方法、評価項目が異なります。

したがって、両者を単純にまとめて、

「ぬいぐるみの効果が二つの研究で証明された」

とは言えません。

それでも、身近な感覚刺激を利用した行動支援について、さまざまな角度から研究が行われていることは分かります。

16.2026年の47研究レビューでは、感覚を利用した行動支援をどう評価した?

さらに、2026年10月14日には『Frontiers in Dental Medicine』で、感覚刺激を利用した非薬物的な小児歯科の行動支援に関する系統的レビューが発表されました。

このレビューでは、47研究が対象になりました。

内訳は、GRADEによるエビデンス評価に用いられた25件のランダム化比較試験・比較クロスオーバー試験と、記述的に検討された22件のその他の研究です。

研究者たちは、感覚を利用した方法を9つのカテゴリーに分けて検討しています。

例えば、診療室の光や音などを調整する方法、映像やVRを使用する方法、音楽、重みのある毛布、重み付きぬいぐるみ、絵を利用した説明などです。

その結果、感覚を利用した行動支援には有望な結果が報告されていました。

一方で、研究の質や結果のばらつきによって、エビデンスの確実性は異なっていました。

感覚に配慮した診療環境や、映像・VRを利用した注意転換では、比較的根拠が整っているものもありました。

しかし、重みのある物を利用する方法については、研究数が限られ、確実な結論を出せる段階ではありません。

77人の重み付きぬいぐるみ研究も、この47研究に含まれている

ここは重要な点です。

前の節で紹介した米国の77人研究は、この47研究レビューに含まれています。

つまり、77人研究とは別に47件の研究が、重み付きぬいぐるみの効果を確認したという意味ではありません。

47研究には、映像、VR、音楽、診療環境の調整など、さまざまな方法が含まれています。

また、レビュー同士では、同じ元研究が重複して含まれることもあります。

研究数をそのまま足し合わせて、独立した証拠が増えたと考えることはできません。

トルコの90人研究は、このレビューには含まれていない

この47研究レビューでは、2026年7月27日までに検索された文献が対象になっています。

今回紹介しているトルコの90人研究は、2026年10月31日に公開されました。

そのため、このレビューには含まれていません。

研究が少しずつ積み重なっている分野ですが、「どの感覚刺激が、どの子どもに最も効果的なのか」という問いには、まだ十分な答えがありません。

今後も、質の高い臨床試験が必要になります。

17.日本でも使われる「数を数える」「絵カードで説明する」という方法

ここまで、海外の研究を中心に見てきました。

では、日本の歯科医療では、子どもの不安にどのような工夫が行われているのでしょうか。

日本障害者歯科学会の学術用語解説集には、カウント法という行動調整法が紹介されています。

これは、「10数える間だけやってみよう」と伝え、数を数えながら器具を提示するような方法です。

子どもにとって、何をされるのかだけでなく、いつ終わるのか分からないことも不安につながる場合があります。

数を数えることで、終わりを予測しやすくすることが考えられます。

また、数えること自体に注意を向けるという側面もあります。

絵カードで、これから何をするのかを伝える

同じく、日本の障害者歯科では、診療の流れを絵カードなどで示す視覚支援も紹介されています。

例えば、診療台へ座る、口の中を見てもらう、器具に触れる、処置を受けるといった流れを、絵で説明する方法です。

これから何をするのかが分かることで、子どもが見通しを持ちやすくすることを目的としています。

第61回日本小児歯科学会大会でも、発達障害児に対する絵カードを使った歯科治療支援ツールの開発について報告されています。

そこでは、子どもの特性を理解したうえで、環境や説明の方法を調整することが重視されていました。

注意をそらす方法と、分かるように説明する方法

ぬいぐるみを持つことは、別の感覚へ注意を向ける方法として考えられます。

一方、絵カードを使う方法は、これから起こることを理解しやすくする支援です。

カウント法には、終わりの見通しを持たせることと、数字を数えることへ注意を向けるという両方の側面があります。

どれも子どもの治療体験を支えるための工夫ですが、目的や働きは同じではありません。

また、今回のぬいぐるみ研究で、これらの方法が直接比較されたわけでもありません。

どの方法が最もよいかを一律に決めるのではなく、その子が何に不安を感じ、どのような説明や支援なら理解しやすいのかを考えることが大切です。

18.ぬいぐるみが苦手な子どももいます

ぬいぐるみは柔らかくて、誰にとっても安心できる物。

そう考えたくなるかもしれません。

でも、実際には、人によって心地よいと感じる感覚は異なります。

例えば、柔らかい布を触ることが好きな子どもがいます。

反対に、特定の布の感触や、ベタベタする物、体に触れる刺激を不快に感じる子どももいます。

また、音に敏感な子ども、強い光が苦手な子ども、急に予定が変わることに不安を感じる子どもなど、必要な配慮は一人ひとり違います。

日本の小児歯科や障害者歯科に関する資料でも、こうした感覚や発達の特性に応じた個別対応の重要性が述べられています。

今回の研究では、神経発達症などのある子どもは対象外だった

今回の90人研究では、神経発達症などのある子どもは研究対象から除外されています。

そのため、感覚過敏がある子どもに対して、ぬいぐるみが有効なのか、それとも別の方法が適しているのかは、今回の結果だけでは分かりません。

また、柔らかい物を好むかどうかは、診断名だけで決まるものでもありません。

同じような特性があっても、好みや反応には個人差があります。

子どもが嫌がっているのに、「研究でよい結果だったから」と無理にぬいぐるみを渡す必要はありません。

大切なのは、研究で使われた方法をそのまま全員に当てはめることではなく、一人ひとりに合った支援を考えることです。

19.お気に入りのぬいぐるみを歯医者さんへ持って行ってもいい?

ここまで読んで、

「うちの子も、お気に入りのぬいぐるみを歯医者さんへ持っていった方がいいのかな?」

と思われた保護者の方もいらっしゃるかもしれません。

今回の研究では、ぬいぐるみ群で痛みを申告した子どもが少ない結果でした。

しかし、すべての子どもにぬいぐるみを持たせるべきだと示したわけではありません。

また、子どもが自宅から持ってきたお気に入りのぬいぐるみと、研究側が用意したぬいぐるみでは、心理的な意味が違う可能性があります。

今回の研究では、その違いを比較していません。

治療中の安全も大切です

歯科治療中は、歯科医師が口の中で細かい操作を行います。

器具を使って歯を削ったり、修復材料を扱ったりするため、患者さんが急に大きく動くと危険な場合があります。

大きなぬいぐるみを持っていることで、治療器具の操作やスタッフの動きを妨げる可能性もあります。

また、子どもがぬいぐるみを口元へ持っていこうとする場合などには、注意が必要です。

そのため、ぬいぐるみを持ったまま治療を受けられるかどうかは、治療内容や子どもの状態を考えて判断する必要があります。

衛生管理も考えなければなりません

布製のぬいぐるみは、物によっては清掃や消毒が難しい場合があります。

特に、複数の患者さんで共用する場合には、感染対策上の配慮が必要です。

米国疾病予防管理センター(CDC)の医療施設向け感染対策資料でも、子どもが使用するおもちゃについて、清掃・消毒しやすい物を選ぶことなどが勧められています。

治療中に使用する場合には、衛生面と安全面の両方を考える必要があります。

まずは医院へ相談してください

実際にぬいぐるみを持ち込めるかどうかは、歯科医院によって対応が異なります。

また、同じ医院でも、検診なのか、虫歯治療なのか、麻酔を伴う処置なのかによって、対応が変わる場合があります。

お子さんが特定のぬいぐるみを持っていると落ち着く場合には、事前に相談してみてください。

一方、ぬいぐるみを持っていない子どもや、好きではない子どもが、無理に用意する必要はありません。

今回の研究結果だけを理由に、新しいぬいぐるみを購入する必要もありません。

20.子どもが歯医者さんを怖がるとき、保護者ができること

子どもが歯医者さんを怖がっていると、保護者の方も心配になると思います。

「ちゃんと口を開けられるかな?」

「泣いてしまわないかな?」

「治療ができなかったらどうしよう?」

そんな不安を感じる方もいらっしゃるでしょう。

ただし、子どもが怖がる理由は一人ひとり異なります。

歯を削る音が苦手なのかもしれません。

麻酔が怖いのかもしれません。

知らない大人に口の中を見られることが苦手なのかもしれません。

あるいは、何をされるのか分からないことが一番不安なのかもしれません。

そのため、まずは、どのようなことに不安を感じているのかを、できる範囲で知ることが大切です。

「絶対に痛くない」と約束しない

お子さんを安心させたくて、「大丈夫、絶対に痛くないよ」と言いたくなることもあると思います。

でも、歯科治療では必要に応じて麻酔をしたり、処置中に不快な感覚が生じたりすることがあります。

そのため、何も痛みがないと約束することは避けた方がよいでしょう。

代わりに、

「何をするか、先生に説明してもらおうね」

「怖いことがあったら教えてね」

「つらかったら、どうやって伝えるか聞いておこうね」

というように、子どもが実際にできることを伝える方が適切です。

もちろん、年齢や理解の程度に応じて、言葉の選び方は変える必要があります。

泣いてしまったことを責めない

子どもが泣いたからといって、必ずしも悪い行動をしたわけではありません。

怖さや緊張を感じている場合もあります。

ただし、治療中の大きな体動には危険が伴うこともあるため、状況によっては治療を中断し、安全を確認する必要があります。

歯科医師は、虫歯の状態や治療の緊急性、子どもの協力度などを考慮して、その日の治療をどこまで進めるか判断します。

保護者の方も、子どもが何を怖がっていたのかを伝えていただくことで、診療の助けになる場合があります。

予約時に伝えていただきたいこと

以前の歯科治療で怖い経験があったこと。

麻酔が苦手なこと。

大きな音や特定の感触に敏感なこと。

初めての歯科治療で、とても緊張していること。

こうした情報は、予約時や診療前に伝えていただくと役立ちます。

ブランデンタルクリニックの「受付さんの備忘録」でも、子どもの歯科予約時に伝えていただきたい内容を詳しく紹介しています。

子どもの歯医者予約で何を伝える?年齢・症状・泣きやすさを受付に伝えるコツ

子どもの不安を完全になくすことは難しいかもしれません。

でも、何が苦手なのかを事前に共有することで、診療の進め方を考えやすくなります。

ぬいぐるみは、麻酔の代わりにはなりません

最後に、もう一度はっきりお伝えしたいことがあります。

ぬいぐるみは、必要な局所麻酔の代わりになるものではありません。

今回の研究では、すべての子どもに局所麻酔が行われていました。

ぬいぐるみは、必要な麻酔や疼痛管理を行ったうえで、追加の行動支援として検討されたものです。

虫歯の状態や治療内容に応じた適切な麻酔を行うことと、子どもの不安や緊張に配慮することは、どちらか一方を選ぶ問題ではありません。

両方を大切にする必要があります。

21.この研究を読むときに知っておきたい限界と、原著の記載上の問題

ここまで、今回の90人研究を詳しく紹介してきました。

数字だけを見ると、ぬいぐるみ群の結果は非常に印象的です。

しかし、医学研究を評価するためには、良い結果だけでなく、研究方法や限界も確認する必要があります。

無作為化されていなかった

今回の研究では、子どもたちを来院順に従って交互に割り当てています。

コンピューターを用いた無作為割付ではありません。

割付の順番を予測できる方法だったため、選択バイアスの可能性を完全には排除できません。

子どもも評価者も、使用した物を知っていた

ぬいぐるみを持っているかどうかは、子どもにも医療者にも分かります。

痛みを評価した研究者も、子どもがどのグループに属しているかを知らない状態にはできませんでした。

このような研究では、期待や評価場面の違いなどが結果に影響する可能性があります。

各グループの人数が少なかった

最終的な解析人数は、各群22〜24人でした。

原著の検出力分析では、群間の中程度から大きな効果を検出できる一方、小さな効果については十分に捉えられない可能性が指摘されています。

そのため、統計学的な有意差が確認されなかったことが、必ずしも効果が完全に存在しないことを意味するわけではありません。

対象となった子どもと治療内容が限定されていた

今回の結果は、比較的協力的な6〜10歳の子どもたちについて得られたものです。

強い歯科恐怖や協力困難がある子ども、神経発達症などのある子どもへの効果は、別途検証が必要です。

また、対象となったのは上顎第二乳臼歯の象牙質までの虫歯修復でした。

抜歯や歯髄の処置など、異なる種類の治療にそのまま当てはめることはできません。

痛みの評価で0点が多かった

4群ともWong–Bakerスコアの中央値は0でした。

多くの子どもが0点を選んだことで、群間の違いを細かく検出しにくくなった可能性があります。

Wong–Bakerの採点方式について、原著の説明に不明確な部分がある

ここは、今回の論文を詳しく検証するうえで重要な点です。

Wong–Baker FACES Pain Rating Scaleは、6種類の顔のイラストを使って、本人が痛みの程度を伝える評価方法です。

現在広く知られている採点方式では、0・2・4・6・8・10点という6段階を使用します。

しかし、Wong–Baker FACES Foundationの公式資料によると、この尺度は開発当初、0・1・2・3・4・5という6段階で使用されていました。

その後、0〜10点方式が広く使用されるようになったのです。

つまり、0〜5点方式が存在すること自体は誤りではありません。

問題は、今回の原著で実際にどの方式を用いたのかという点です。

原著の方法欄には、Wong–Bakerスコアを0〜10点として記録したと説明されています。

一方、結果の表1には、粘土群の最大値が5という記載があります。

さらに、平均値などの集計結果も、0〜5点方式で集計した場合と整合的な部分があります。

そのため、実際にどの採点方式を使用したのか、原著の説明だけでは十分に確認できません。

もし0〜5点方式を使用していたのであれば、方法欄で0〜10点と説明していることとの整合性を確認する必要があります。

これは痛みスコアの解釈や、他研究との比較に影響する可能性があります。

ただし、今回の記事で紹介した1/22人、4/22人、8/22人、9/24人という痛み申告人数は、原著に記載された実人数です。

採点方式に不明確な部分があるからといって、それだけで研究のすべての結果が間違っていると断定することはできません。

大切なのは、分かっていることと、原著の説明だけでは確認できないことを区別することです。

なお、Wong–Baker尺度の採点方式の歴史については、開発元の公式資料でも確認できます。

Wong-Baker FACES Foundation:尺度の開発と採点方式の歴史

歯科恐怖の質問票も、一般的な採点方式とは異なっていた

今回の研究では、CFSS-DSの15項目を3段階で評価し、合計15〜45点としていました。

一方、広く用いられているCFSS-DSは、通常15項目をそれぞれ5段階で評価する15〜75点方式です。

そのため、今回のスコアを他のCFSS-DS研究と単純に比較することは適切ではありません。

3段階に変更したこと自体が直ちに誤りというわけではありませんが、一般的な方式との違いや、その妥当性を考慮する必要があります。

原著の図表で、最終解析人数の記載が一致しない

原著の図1と図2には、グループ別の最終解析人数について異なる記載があります。

図1では、粘土23人、スライム22人、ぬいぐるみ22人、対照23人となっています。

一方、図2の研究経過図と本文、表1では、粘土22人、スライム22人、ぬいぐるみ22人、対照24人です。

今回の記事では、本文と表1に一致する後者の人数を採用しています。

このような記載上の不整合は、研究結果のすべてが間違っていることを直ちに意味するものではありません。

ただし、原著を正確に読むうえでは確認しておきたい点です。

臨床試験登録と論文の研究方法にも相違がある

今回の研究は、ClinicalTrials.govにNCT07445594として登録されています。

臨床試験登録は、研究の目的や方法、評価する項目などをあらかじめ明らかにし、研究の透明性を高めるために重要な仕組みです。

ただし、今回の研究では、臨床試験登録情報を転載した公開資料と、原著論文の実施方法との間に、いくつかの相違が見られます。

例えば、登録情報の転載記録には、参加者を無作為に割り付ける方法が記載されています。

一方、原著論文では、来院順の交互割付による非ランダム化研究であったことが明記されています。

また、歯科恐怖を評価するCFSS-DSについても、登録情報の転載記録では治療前後の評価と15〜75点の方式が記載されていますが、原著論文では治療前の1回のみの評価と15〜45点方式になっています。

これは、研究の計画と実施内容を比較するうえで注意したい相違です。

ただし、今回確認できた登録情報は主に転載記録によるものであり、公式登録ページの完全な変更履歴までは十分に検証できていません。

そのため、これらの相違が研究途中の計画変更によるものなのか、登録情報や論文の記載上の問題なのかについては断定できません。

今回の記事では、実際に行われた研究方法について、原著論文の記載を優先して紹介しています。

ClinicalTrials.gov:NCT07445594

長期的な効果は分からない

今回調べたのは、その日の修復治療に関連する痛みや生理的ストレス反応です。

ぬいぐるみを持った経験によって、次回の歯科受診への恐怖が減ったのか、将来の通院行動が変わったのかは分かりません。

これらの問題を踏まえると、今回の研究は、ぬいぐるみの効果を確定した研究というよりも、今後の研究につながる興味深い結果を示したものと理解するのが適切です。

22.それでも、今回の研究に意味があると思う理由

ここまで、研究の限界をいくつも挙げてきました。

それなら、今回の研究には意味がないのでしょうか。

私は、そうは思いません。

もちろん、今回の結果だけで、ぬいぐるみを歯科治療中の標準的な痛み対策として勧めることはできません。

でも、子どもの治療体験について、こうした具体的な疑問を科学的に検討したことには意味があります。

歯科医療では、虫歯を取り除くことや、歯を修復することが大切です。

同時に、その治療を受ける患者さんが何を感じているのかも大切です。

それは大人でも子どもでも同じだと思います。

今回の研究では、ぬいぐるみを持った群で痛みの申告が少ない結果が得られました。

しかし、心拍数や唾液コルチゾールでは、明確な改善効果は確認されませんでした。

また、痛みのスコアの多重比較補正後には、特定の2群間で有意差が確認されていません。

つまり、研究の一つの数字だけを取り出して結論を出すのではなく、複数の情報を合わせて考える必要があります。

次の研究では、何を調べる必要がある?

原著の研究者たちは、十分な参加者数を確保したランダム化比較試験が必要だと述べています。

例えば、子どもたちを無作為に割り当て、評価方法をあらかじめ明確にして研究を行えば、今回より確かな結果が得られる可能性があります。

また、次のような疑問も考えられます。

  • 子ども自身が選んだお気に入りのぬいぐるみと、研究者が指定したぬいぐるみでは違いがあるのでしょうか。
  • 柔らかいクッションやストレスボールなど、別の物でも同じ結果になるのでしょうか。
  • 手で触る感覚と、愛着のある物を抱く安心感は、どのように関係するのでしょうか。
  • 強い歯科恐怖がある子どもや、抜歯など別の治療を受ける子どもにも役立つのでしょうか。
  • ぬいぐるみを持って治療を受けた経験は、次回の歯科受診に影響するのでしょうか。

これらは、今回の研究で答えが出た問題ではありません。

しかし、今後の研究で何を明らかにする必要があるかを考えるうえでは、重要な問いです。

23.よくある質問

Q1.子どもが歯医者さんへぬいぐるみを持って行ってもいいですか?

歯科医院によって対応が異なります。

治療内容や安全面、衛生管理などによって、持っていられる場合と難しい場合があります。

お子さんがお気に入りのぬいぐるみを持つと落ち着く場合は、事前に歯科医院へ相談してみてください。

ただし、今回の研究でぬいぐるみの効果が確実に証明されたわけではないため、無理に用意する必要はありません。

Q2.ぬいぐるみがあれば、麻酔なしでも虫歯治療を受けられますか?

いいえ。

今回の研究では、すべての子どもに局所麻酔が行われていました。

ぬいぐるみは、必要な麻酔や疼痛管理の代わりになるものではありません。

虫歯の状態や治療内容に応じて、適切な麻酔や痛みへの対応が必要です。

Q3.ぬいぐるみより、スライムや粘土の方が好きな子どもでも大丈夫ですか?

子どもの好みは一人ひとり違います。

今回の研究では、ぬいぐるみ群の痛み申告割合が最も低くなりましたが、粘土やスライムよりも確実に優れていると証明されたわけではありません。

どのような物が適しているかは、子どもの好みだけでなく、治療中の安全や衛生面も考える必要があります。

Q4.歯医者さんが怖くて泣いてしまう子どもにも、ぬいぐるみは役立ちますか?

今回の研究からは分かりません。

対象となったのは比較的協力的な6〜10歳の子どもたちで、強い歯科恐怖や協力困難がある子どもへの効果は確認されていません。

そのような場合には、子どもの状態に合わせて、説明や練習、休憩、治療計画の調整などを検討する必要があります。

Q5.治療中に痛かったら、子どもが手を挙げてもいいですか?

治療前に、歯科医師と合図の方法を確認しておくことが大切です。

今回の研究では、左手を挙げることが不快感を伝える合図として使われていました。

ただし、安全に器具を離す必要があるため、治療中に急に大きく体を動かさず、決められた合図で知らせることが重要です。

痛みや気分の悪さを無理に我慢する必要はありません。

24.歯科助手さんのまとめ――ぬいぐるみより大切なこと

今回紹介したのは、2026年10月31日に発表された、子ども90人を対象とした臨床研究でした。

粘土、スライム、ぬいぐるみを手に持ってもらい、通常の行動支援だけを受けた子どもたちと比較しました。

その結果、ぬいぐるみ群では、22人中1人、4.5%が痛みを申告しました。

通常の行動支援群では、24人中9人、37.5%でした。

この数字は、とても印象的です。

でも、研究では無作為化が行われておらず、痛みのスコアの補正後の2群間比較でも有意な差は確認されていません。

心拍数の変化や、治療前の値を調整した唾液コルチゾールにも、明確な群間差は確認されませんでした。

そのため、ぬいぐるみが歯科治療中の痛みを減らすと証明されたわけではありません。

それでも、今回の研究を通して、改めて考えたことがあります。

大切なのは、今日の治療を終えることだけではない

2026年の日本歯科麻酔学会の解説では、患者さんの将来的な歯科受診への適応を考慮した、「次につながる診療」の重要性が述べられています。

子どもはこれから成長していきます。

乳歯が永久歯へ生え変わり、虫歯の予防や歯並びの確認など、将来も歯科医院へ通う機会があります。

もし、幼い頃の歯科治療が非常につらい経験として残ってしまった場合、その後の受診にも影響する可能性があります。

もちろん、今回の90人研究では、将来の歯科受診や長期的な歯科恐怖の変化を調べたわけではありません。

それでも、その日の治療を終えることだけでなく、子どもが次の受診へ向かえるような体験を大切にするという考え方には、意味があると思います。

子どもができたことにも目を向ける

例えば、今日は診療台に座れた。

先生の説明を聞くことができた。

口の中を見てもらうことができた。

痛いときに合図で伝えられた。

こうした具体的な行動を振り返ることも大切です。

米国小児歯科学会の行動支援指針でも、具体的な行動を認めて褒めることや、治療体験を振り返る支援などが紹介されています。

ただし、これらは今回のぬいぐるみ研究で直接効果を検証した方法ではありません。

別の行動支援に関する知見として理解する必要があります。

歯科助手として考えたこと

歯科助手は、歯科医師の診療を支える立場です。

治療器具の準備や片付け、吸引などの診療補助、患者さんへの声かけなど、さまざまな仕事があります。

その一つひとつは、患者さんから見ると小さなことに感じられるかもしれません。

でも、子どもがどんな気持ちで診療台に座っているのかに目を向けることも、診療を支える大切な要素だと思います。

ある子どもには、これから何をするのかを説明することが役立つかもしれません。

別の子どもには、数を数えたり、絵カードを見たりする方法が合っているかもしれません。

そして、ぬいぐるみの柔らかい感触が、安心感につながる子どももいるかもしれません。

ただし、どの方法も万能ではありません。

大切なのは、ぬいぐるみを持つことそのものではなく、その子が何を怖がり、何に安心できるのかを知ろうとすることです。

歯科助手として、器具や材料の準備だけでなく、患者さんの小さな表情の変化や、伝えようとしている気持ちにも目を向けていきたいと思います。

ぬいぐるみは、歯科治療の痛みを消してくれる魔法の道具ではありません。

でも、子どもが少しでも安心して治療を受けられるように、いろいろな工夫を考えること。

そして、痛みや怖さを我慢させるのではなく、安心して伝えられるようにすること。

そんな小さな積み重ねが、今日の治療だけでなく、これからの歯科受診にもつながっていくのではないでしょうか。

今回の90人研究は、歯科助手としての私に、そんなことを考えさせてくれる研究でした。

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※本記事は2026年11月4日時点で確認できる研究・資料に基づいています。紹介した研究結果は、個々のお子さんに同じ結果が得られることを保証するものではありません。必要な麻酔や治療中の行動支援については、歯科医師が患者さんの状態を確認して判断します。

※中心となるBMC Oral Health論文は、2026年10月31日に公開された早期公開版(Article in Press)を基にしています。今後、最終編集版への更新によって図表や記載が修正される可能性があります。

※原著の臨床試験登録情報との相違については、公開されている登録情報の転載記録と論文本文を照合したものであり、公式登録記録のすべての変更履歴を確認したものではありません。

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