2026年9月09日

(院長の徒然コラム)

はじめに
「口腔がんの中へ、酸素を運ぶナノ液滴を直接注射する。そして1064 nmの近赤外レーザーを当てる。」
文章だけを読むと、かなり未来的な治療に聞こえます。
2026年9月8日、Journal of Nanobiotechnologyに、口腔扁平上皮癌(oral squamous cell carcinoma:OSCC)を対象とした興味深い前臨床研究が公開されました。
研究チームが作製したのは、1064 nmの光を吸収して熱へ変換するCsxWO₃(セシウムタングステンブロンズ)と、酸素を溶かして運ぶことができるperfluorocarbon(PFC:パーフルオロカーボン)、そしてhuman serum albumin(HSA:ヒト血清アルブミン)を組み合わせたナノ液滴です。
PFCへあらかじめ酸素を保持させ、マウスに作ったOSCCモデルの腫瘍内へ直接注射する。そこへ1064 nmレーザーを照射すると、腫瘍局所の温度上昇、腫瘍酸素化の改善、一重項酸素(¹O₂)を含む酸素依存性の反応、癌細胞障害、さらに腫瘍内細菌量の低下まで観察されました。
この研究で目を引くのは、単に「ナノ材料で癌を熱した」という点ではありません。
低酸素(hypoxia)と、腫瘍内部に存在する細菌。
一見すると別々に見える二つの問題を、一つの治療系で同時に動かそうとしている点です。
ただし、最初に重要なことを確認しておきます。
これはヒト口腔癌患者を治療した臨床試験ではありません。
使用されたのはBALB/cヌードマウスで、ヒト舌扁平上皮癌由来のCAL27細胞を移植して作った腫瘍モデルです。ナノ液滴も静脈から投与したのではなく、形成された腫瘍へ直接注射しています。
さらに「細菌を伴う口腔癌モデル」についても、ヒトOSCCに自然に形成された腫瘍内マイクロバイオームをそのまま再現したものではありません。研究者が選んだ細菌を腫瘍内へ直接注入して作製した実験モデルです。
したがって、これは「新しい口腔がん治療が完成した」という話ではありません。
では、この研究の何が面白いのでしょうか。
それを理解するには、2026年の論文だけを見るのでは足りません。30年以上前から議論されてきたPDTと低酸素の問題、10年以上続くPFCによる酸素輸送、そして近年急速に進んできたOSCCと腫瘍内細菌の研究まで遡る必要があります。
まず「レーザー治療」を一括りにしない|PTTとPDTは別の反応です
今回の研究では、PTTとPDTという二つの言葉が登場します。
名前は似ていますが、基本原理は違います。
PTT(photothermal therapy:光熱療法)は、光を吸収する材料へレーザーなどを当て、その光エネルギーを熱へ変換して腫瘍組織を傷害する方法です。PTTによる熱傷害そのものは、PDTのように分子状酸素を必須とはしません。
一方、PDT(photodynamic therapy:光線力学療法)では、光によって励起された物質が光化学反応を起こし、活性酸素種(reactive oxygen species:ROS)を発生させます。
代表的なType II反応では、励起された光応答物質から分子状酸素へエネルギーが移り、強い酸化作用を持つ一重項酸素が生じます。
非常に単純化すると、次のように整理できます。
- PTT:光 → 熱 → 細胞障害
- PDT:光 → 光化学反応 → ROS・一重項酸素 → 細胞障害
歯科ではさまざまな治療で「レーザー」という言葉が使われますが、レーザーという機器名だけで作用を同一視することはできません。波長、出力、照射時間、光を吸収する標的、光増感剤や光応答材料の有無などによって組織作用は大きく変わります。

一般的な口腔内病変に対する歯科用レーザーについては、以前の口内炎のレーザー治療についての解説でも触れていますが、今回のCsWO@PFC+1064 nmによる実験治療とは目的も材料も照射条件も別です。
そして今回の話で重要なのは、PDTには酸素が大きく関係するという点です。
「PDTは酸素不足に弱い」――これは2026年に始まった話ではない
どれほど優れた光応答材料があっても、Type II型のPDT反応を考えるなら、反応に使われる分子状酸素が乏しければ一重項酸素の生成には制約が生じます。
これは2026年に初めて気づかれた問題ではありません。
1970年代には、photoinactivationにおける一重項酸素の細胞毒性が研究されていました。
さらに1994年には、International Journal of Oral and Maxillofacial Surgeryに“Shielding effects and hypoxia in photodynamic therapy”という論文が掲載されています。つまり、PDTにおける低酸素という問題は30年以上前から議論されていました。
OSCCへのPDT研究も古くからあります。
2012年、Ahnらはpheophorbide aを使ったPDTをOSCCモデルで検討し、ROS増加、ミトコンドリア膜電位低下、cytochrome c放出、caspase-3活性化などを追跡しました。マウスでも腫瘍増殖抑制が観察されています。
そしてPDTは、口腔癌で「まだ人に一度も使われていない治療」でもありません。
2004年にHopperらが報告した早期OSCCの多施設研究では121人がmTHPCを投与され、プロトコルに適合した114人中97人、85%で完全腫瘍反応が得られました。対象は選択された早期口腔癌であり、すべてのOSCCへ一般化できる数字ではありませんが、PDTそのものにはヒト口腔癌での臨床研究史があります。
したがって、2026年研究の新しさを「口腔癌へ光を当ててPDTを行ったこと」に置くことはできません。
むしろ昔から残っていた問いは、こちらです。
「PDTに必要な酸素が腫瘍内で足りないなら、酸素そのものを持ち込めないか?」

なぜ固形癌の中は低酸素になるのか
固形癌では、癌細胞が増殖する一方、それを支える血管構造は正常組織ほど整然としていません。
- 異常な腫瘍血管
- 不均一な血流
- 腫瘍細胞の高い酸素消費
- 血管から離れた腫瘍領域への酸素供給不足
こうした条件が重なることで、腫瘍内部には酸素の乏しい領域が形成されます。
しかも低酸素は、単に「PDTの材料である酸素が足りない」という問題だけではありません。
低酸素環境ではHIF-1αを中心とする低酸素応答が変化し、代謝、血管新生、浸潤、治療抵抗性、免疫環境など、さまざまな現象へ関係します。
そのため近年の癌研究では、癌細胞そのものだけではなく、癌細胞を取り囲むtumor microenvironment(TME:腫瘍微小環境)を治療対象として考える流れが強くなっています。
2023年にはすでに「PFCでOSCCへ酸素を運ぶ」研究があった
今回の2026年論文を評価するうえで、特に重要な先行研究があります。
Lanらが2023年に発表した“PFC@O₂ Targets HIF-1α to Reverse the Immunosuppressive TME in OSCC”です。
この研究ではHSAで被覆したPFCへ酸素を保持させたPFC@O₂を作製し、OSCCの低酸素環境へ介入しています。
4NQO誘発OSCCモデルでは、PFC@O₂投与後にHIF-1αの低下、MDSCやM2-like macrophageの減少、CD4+、CD8+ T細胞の増加が観察されました。
さらにヒトOSCC 55検体でも、HIF-1αやCA IXとCD68/CD163陽性macrophageとの関連が検討されています。
ここから重要なことが分かります。
「PFCで酸素をOSCCへ運ぶ」という発想そのものは、2026年の新規性ではありません。
むしろ2023年には、酸素供給によってOSCCの低酸素だけでなく免疫微小環境まで動く可能性が研究されていました。
PFCとは何か|酸素を「作る」のではなく、溶かして運ぶ
PFCは、レーザーを当てると酸素を化学的に産生する物質ではありません。
酸素を高濃度に溶解できる性質を利用して、酸素担体として研究されてきたfluorocarbon系材料です。
今回使用されたのはperfluoro-15-crown-5-etherです。
2026年研究ではCsxWO₃、PFC、HSAを組み合わせたCsWO@PFCを作製し、実験直前に酸素を10分間吹き込んでoxygen-preloaded formulationとしています。
したがって、今回の治療を「レーザーで酸素を作るナノ液滴」と表現するのは正確ではありません。
あらかじめPFCへ酸素を保持させ、その酸素供給と光熱作用を組み合わせる治療系と考える方が適切です。
今回のCsWO@PFCは何でできている?

CsxWO₃――1064 nmを熱へ変える
CsxWO₃は1064 nm近赤外光を吸収し、熱へ変換する光熱変換材料として使われています。
PFC――酸素を保持して運ぶ
PFCは酸素担体として働きます。
HSA――ナノ液滴を安定化する
HSAはPFCを含む液滴を水系環境で安定化させる構成要素です。
原著では、このCsWO@PFCの光熱変換効率は28.20%と算出されています。
1064 nmレーザーを当てると何が起きるのか

研究者の設計を単純化すると、二つの経路が同時に走ります。
1064 nmレーザー → CsxWO₃が光を吸収 → 局所発熱 → PTTとして腫瘍を傷害
その一方で、PFCが保持していた酸素の利用可能性が高まり、低酸素環境の改善と酸素依存性の¹O₂/ROS生成を支えることで、PDT側の作用を補強しようとしています。
つまり一つのナノ液滴へ、PTTと酸素供給を伴うPDTをまとめています。
ただし後述するように、「酸素を放出したからROSがこの量増え、その結果この割合の細胞が死んだ」という完全な因果関係まで分離して証明したわけではありません。
マウス実験を条件まで確認する|「効いた」の一言では足りない
今回使用された癌細胞は、ヒト舌扁平上皮癌由来のCAL27です。
雌BALB/cヌードマウスの右下口唇へ、CAL27を5×10⁶個、50 µL PBSに懸濁して皮下注射し、腫瘍を形成しています。
腫瘍体積が約200 mm³になった時点で、次の4群へ無作為に分けました。
- Control
- NIRのみ
- CsxWO₃+NIR
- CsWO@PFC+NIR
CsWO@PFCは6 mg/mL、100 µLを腫瘍内へ直接注射しています。
その4時間後に、
- 波長:1064 nm
- 出力密度:2 W/cm²
- 照射時間:10分
という条件で照射しました。
治療効果をみた主な観察期間は14日です。

ここで重要なのは、ナノ液滴を静脈内投与して「血流から選択的に腫瘍へ集積した」のではないということです。
形成された腫瘍へ100 µLを直接注射しています。
細菌を入れていないOSCCモデルでは90.5%の腫瘍抑制率
まず、細菌を人工的に加えていないbacteria-free OSCCモデルです。
1064 nmレーザー照射後、CsxWO₃+NIR群とCsWO@PFC+NIR群では、腫瘍局所温度が約50℃付近まで上昇しました。
14日後のtumor inhibition rateは、
- CsxWO₃+NIR:75.2%
- CsWO@PFC+NIR:90.5%
でした。
90.5%という数字だけを見ると非常に強い結果です。
しかしこれは、CAL27を使ったこのマウスモデルにおける14日間の短期腫瘍増殖抑制率です。ヒト口腔癌患者の治癒率でも生存率でもありません。
組織ではHIF-1α、4-HNE、γH2AX、cleaved caspase-3、Ki-67、TUNELなどが評価され、低酸素、酸化障害、DNA損傷、細胞増殖、apoptosisに関連する変化を複数方向から調べています。
さらに研究者は、腫瘍の中へ3種類の細菌を入れた
この研究のもう一つの柱が、bacteria-colonized OSCC modelです。
使用したのは、
- Porphyromonas gingivalis
- Fusobacterium nucleatum
- Streptococcus mutans
の3菌種です。
腫瘍体積が約200 mm³になった段階で、3菌種を1:1:1で混合し、総菌濃度5×10⁸ CFU/mLの懸濁液100 µLを腫瘍内へ直接注射しています。
その48時間後に治療を開始しました。
このモデルを「ヒトOSCCに自然に存在する腫瘍内マイクロバイオームを再現したモデル」と呼ぶのは適切ではありません。
研究者が選択した3菌種を高濃度で人工的に接種した、細菌負荷のある腫瘍で抗菌作用と抗腫瘍作用を同時に評価するための概念実証モデルと考える方が正確です。
細菌を入れたモデルでは93.6%|細菌量も大きく減少した
bacteria-colonized OSCC modelでも、レーザー照射後の腫瘍表面温度は約50℃まで上昇しました。
14日後の腫瘍抑制率は、
- CsxWO₃+NIR:48.9%
- CsWO@PFC+NIR:93.6%
でした。
さらに治療3日後、腫瘍組織を培養して算出した細菌量は、
- Control:7.5 log₁₀ CFU
- CsxWO₃+NIR:6.4 log₁₀ CFU
- CsWO@PFC+NIR:5.3 log₁₀ CFU
まで低下しました。

癌細胞を傷害しながら、腫瘍内の細菌負荷も下げた。
そのため原著では、単なるoxygen-enhanced PDTではなく、低酸素と細菌を伴う腫瘍微小環境へ介入する多機能治療系として位置づけています。
ただし「細菌を消した」のではない
5.3 log₁₀ CFUまで低下したことは明らかな減少ですが、完全除菌ではありません。
しかもCFU測定には非選択培地が使われているため、治療後に3菌種のうち、どの菌がどの程度残ったのかを菌種別に判定することはできません。
また、in vitroの抗菌評価は主として単一菌種の浮遊状態で行われています。
実際の口腔内で重要な、
- biofilm
- 多菌種微生物群
- 細菌間の代謝物交換
- 菌種間相互作用
- 宿主細胞・免疫細胞との相互作用
までは評価されていません。
したがって、
「人工的な3菌種モデルでCFUを減らせた」
ことと、
「ヒトOSCC内部の複雑なマイクロバイオームを制御できる」
ことの間には、まだ大きな距離があります。
そもそも本当に「口腔がんの中に細菌」がいるのか
「癌の中に細菌がいる」という表現は、少し奇妙に聞こえるかもしれません。
しかし、この研究分野は2026年に突然始まったわけではありません。
2006年、HooperらはOSCC組織内部から生きた細菌(viable bacteria)を分離・培養しています。
その後、16S rRNA sequencingなどが普及し、正常粘膜とOSCCで細菌叢が異なること、さらに腫瘍の外側と内部でも菌叢構成が同じではないことが示されてきました。
2022年のZengらの研究では、臨床病理学的解析に218人を含め、そのうち複数部位から検体を採取した27人について16S rRNA gene sequencingを行っています。腫瘍外側と腫瘍内部では、優位となる菌属が異なっていました。
さらに2025年のメタ解析では、23研究、1,718人を統合しました。
その結果、属レベルでは、
- Fusobacterium属:OSCC患者および癌組織で増加
- Porphyromonas属:OSCC患者および癌組織で増加
- Streptococcus属:OSCC患者および癌組織で低下
という傾向が示されています。
ただし、ここは非常に重要です。
Fusobacterium属が増えていたことをF. nucleatumという一菌種へ、Porphyromonas属が増えていたことをP. gingivalisへ、Streptococcus属が減っていたことをS. mutansへ、そのまま置き換えることはできません。
属レベルの菌叢変化と、今回2026年研究で選択された3菌種は区別して読む必要があります。
日本人OSCC23例では、腫瘍深部の細菌叢と免疫まで調べられた
日本人OSCCを対象とした研究として、大阪大学の2025年博士論文も重要です。
対象は、2022年1月から2023年5月までに根治手術を受けたOSCC一次症例23例です。
患者ごとに、
- 腫瘍表面
- 腫瘍深部
- 正常粘膜表面
- 便
から検体を採取し、細菌叢を解析しました。
さらに新鮮腫瘍組織から腫瘍浸潤免疫細胞を取り出し、flow cytometryによる解析まで行っています。
腫瘍表面と深部を比較すると、腫瘍深部ではFusobacterium属とParvimonas属が優位でした。
さらにParvimonas、Peptostreptococcus、SelenomonasとStreptococcusから算出した嫌気性細菌スコアが高い群では、pT、pN、pStageが高く、DOIが深く、RFSが短いという関連がみられました。
CD8+ T細胞ではPD-1+、PD-1+Tim3+細胞も多く、T細胞疲弊との関連が示唆されました。
ただし、この研究も限界を持っています。
症例数は23例で、単施設研究です。また腫瘍深部の採取は外科的操作を伴うため、採取過程での外部細菌混入や術野消毒による細菌叢変化の可能性も著者自身が指摘しています。
さらに16S解析から得られるのは主に細菌叢構成の情報であり、すべての菌が腫瘍内でどのような機能を果たしているのかまで直接証明したわけではありません。
それでも、実際のヒトOSCCでは「菌数」だけでなく、細菌群集の構成と免疫微小環境を同時に考える必要があることを示す興味深いデータです。

だからこそ「細菌まで標的にしたのにヌードマウス」なのが惜しい
2026年研究は、低酸素と腫瘍内細菌という、どちらも免疫微小環境と関係するテーマを扱っています。
ところが使用されたのはBALB/cヌードマウスです。
ヌードマウスではT細胞を中心とする獲得免疫の評価に大きな制約があります。
原著自身も、adaptive immune responses were not assessedと認め、長期追跡に加えて免疫能を保ったモデルでの評価が必要としています。
これは2023年のPFC@O₂研究と比較すると、さらに目立ちます。
2023年研究では4NQO誘発OSCCモデルを用い、PFC@O₂投与後にMDSC、M2-like macrophage、CD4+、CD8+ T細胞まで評価しています。
つまり2026年研究では、
「細菌量を減らせた」
ところまでは見えました。
しかし、
「細菌を減らした結果として、抗腫瘍免疫がどう変化したのか」
は、ほとんど答えられていません。
F. nucleatumやP. gingivalisを単純な「悪者」にしてはいけない
腫瘍内細菌を論じるとき、もう一つ注意したい点があります。
細菌が存在することと、その細菌が必ず癌を悪化させることは同義ではありません。
F. nucleatumについては、OSCC細胞の代謝やmacrophageとの相互作用を介して腫瘍進展へ関係する可能性を示した実験研究があります。
2023年のSunらは、F. nucleatumがGLUT1依存性の乳酸産生とtumor-associated macrophageに関係し、OSCC progressionへ影響する機序を報告しています。
一方で、ヒトOSCCを対象としたNeuzilletらの研究では、intratumoral F. nucleatum陽性がむしろ良好な生存と関連しました。
P. gingivalisについても、OSCC組織との関連を示す報告がある一方で、2021年のコホート研究では唾液中P. gingivalis量と予後の関係は単純な「多いほど悪い」という結果ではありませんでした。
したがって、
- 腫瘍内に細菌が存在する
- その細菌が腫瘍進展に関与する
- その細菌を減らせば患者の予後が改善する
という三つは、別々に証明しなければならない命題です。
今回証明されたのは、人工的に細菌を接種したマウスOSCCモデルで、CsWO@PFC+1064 nmによって細菌負荷が減少し、短期間の腫瘍増殖も強く抑制されたというところまでです。
では2026年研究の何が新しいのか|一つずつ分解すると先行研究が見える
今回の治療系を要素ごとに分解すると、ほぼすべてに先行研究があります。
2015年|PFCへ酸素を積んでPDTを補強
Chengらは2015年、PFC nanoparticleをoxygen reservoirとして用い、PDTにおけるROS生成と抗腫瘍効果を高める研究をNature Communicationsに報告しています。
つまり、PFC+O₂+PDTという基本思想は10年以上前からあります。
2022年|NIR-IIの熱でPFCから酸素を放出
2022年にはZhangらが、“NIR-II Photothermally Triggered Oxygen Bomb”を報告しました。
PFCへ酸素を保持させ、NIR-IIの光熱刺激によって酸素放出を制御する設計です。癌種は膵癌で今回とは異なりますが、PFC+酸素+NIR-II光熱刺激という概念も2026年が初ではありません。
2023年|OSCCへPFC@O₂
前述したLanらの研究では、すでにOSCCへPFC@O₂を用い、低酸素、HIF-1α、MDSC、M2-like macrophage、CD4/CD8 T細胞まで調べています。
2024年|OSCCでoxygen pump+PDT+NIR-II PTT
2024年にはLiらが、Au@Pt-Ce6-HN-1を用いて腫瘍内の酸素供給を補いながら、PDTとNIR-II PTTを組み合わせるOSCC研究をActa Biomaterialiaに報告しました。
したがって、OSCC+低酸素改善+PDT+NIR-II PTTという組み合わせも2026年が初ではありません。
2024年|bacteria-associated OSCC+PTT
Baiらは2024年、P. gingivalisを伴うOSCCモデルに対してinjectable adhesive hydrogelを用い、photothermal ablationと抗腫瘍免疫活性化を狙った研究を報告しています。
つまり、細菌を伴うOSCCを光熱治療で狙うという研究路線もすでにありました。
2025年|P. gingivalis感染OSCCで細胞内細菌まで標的に
2025年にはDaiらが、P. gingivalis感染OSCCに対し、photothermal therapy、細胞内細菌除去、免疫活性化を組み合わせたnanotherapyを報告しています。
なお、この2025年論文については2026年に図とキャプションの不一致を訂正するErratumが掲載されています。研究論文そのものが撤回されたわけではありませんが、図を詳細に引用する際には訂正版を確認する必要があります。
ここまで並べると、2026年研究の位置づけがかなり明確になります。

個々のアイデアが初めてなのではありません。
今回の特徴は、
- PFCによる酸素輸送
- CsxWO₃による1064 nm光熱変換
- NIR-II
- PTT
- 酸素依存性PDT
- 抗菌作用
- bacteria-colonized OSCC
という、すでに別々に育っていた研究路線を一つのナノ液滴へ統合したことにあります。
NF-κBも変化した|ただし「主要機序が証明された」とまでは言えない
原著タイトルにはNF-κB signaling modulationという言葉も入っています。
実験ではp-p65の低下、Baxやcleaved caspase-3の増加、Bcl-2やBcl-xlの低下などが観察されました。
またLPSを用いたrescue experimentも行われ、NF-κB経路との関連を支持する結果が示されています。
ただし、LPSはTLR4を介してNF-κBだけに限定されない複数の生物学的反応を動かします。
したがって、「NF-κBを抑制したことが今回の抗腫瘍効果の主要な原因である」と特異的に証明したとまでは言えません。
熱、ROS、DNA damage、mitochondrial dysfunction、apoptosis関連経路などが同時に動く複合的な治療系の中で、NF-κB関連シグナルにも変化が観察された、と読むのが妥当です。
ROSも「多ければ多いほど良い」わけではない
今回の治療ではROSや一重項酸素を発生させることが治療作用の一つです。
すると「ROSは癌細胞を殺す良いもの」と単純化したくなりますが、biologyはそれほど単純ではありません。
慢性的なoxidative stressはDNA、タンパク、脂質を傷害し、発癌や癌進展に関与する可能性があります。
一方、PDTでは短時間かつ局所的にROSや一重項酸素を発生させ、その毒性を治療へ利用します。
同じ「ROS」でも、
- どの種類なのか
- どこで発生するのか
- どの濃度なのか
- どのくらいの時間続くのか
- どの細胞が曝露されるのか
によって意味は変わります。
2024年には、正常口腔粘膜、口腔白板症、OSCC由来のmesenchymal stem cells(MSC)と上皮系細胞でPDTへの反応が異なることを調べた研究が報告されています。
興味深いことに、一部の低濃度5-ALA条件ではOSCC由来MSCの相対細胞活性が未処置controlを上回り、0.125 mMで約129.9%、0.25 mMで約120.6%となりました。
これは「低用量PDTなら癌が増える」と臨床的に断定できる結果ではありません。in vitroの特定条件で観察された現象であり、サンプル数にも限界があります。
しかし少なくとも、腫瘍を構成するすべての細胞が、光・熱・ROSへ同じ反応を示すわけではないことを考えさせるデータです。
「酸素が増えた→ROSが増えた→癌が死んだ」も完全な一本線ではない
2026年研究ではphotoacoustic imagingを用いて、治療中の腫瘍sO₂変化を評価しています。
CsWO@PFCを用いた群では、NIR照射に伴う腫瘍酸素化の改善が観察されました。
またDPBF、SOSG、ESR/TEMPなどを用いて、一重項酸素関連反応を複数の方法で検討しています。
しかし原著自身が、PA-derived sO₂だけではPFCからの酸素放出速度を定量的に証明できず、
O₂ release → ROS generation → cell death
という因果の鎖そのものを完全に証明したわけではない、と慎重に述べています。
酸素利用可能性が高まった。一重項酸素関連反応が増えた。腫瘍増殖抑制が強くなった。
これらのデータは同じ方向を向いています。
ただし、治療効果全体のうち何%がPTTで、何%がPDTで、何%が酸素供給によるものかまで完全に分離されたわけではありません。
腫瘍内へ100 µL注射する治療は「非現実的」なのか
今回の投与法は腫瘍内直接注射です。
この一点だけを見て「臨床では使えない」と切り捨てるのも適切ではありません。
口腔癌は病変によっては外部から比較的アクセスしやすく、局所投与には局所濃度を高くしながら全身曝露を抑えやすいという合理性があります。
実際、今回とは材料も作用機序も全く異なりますが、頭頸部扁平上皮癌では、腫瘍内へ注射するhafnium oxide nanoparticleであるJNJ-90301900(NBTXR3)を放射線治療と組み合わせる第III相試験が進行しています。
つまり、「腫瘍内へナノ粒子を直接投与する」という投与経路そのものが臨床開発不可能な発想というわけではありません。
一方で、局所注射できることと、頸部リンパ節転移、微小転移、深部進展、遠隔転移まで治療できることは別問題です。
2026年原著自身も、将来的に全身投与へ広げる場合には表面修飾など新たな設計と安全性評価が必要としています。
約50℃まで熱する|正常組織への熱損傷はどうするのか
今回のマウス実験では、1064 nm、2 W/cm²、10分の照射によって腫瘍表面温度は約50℃まで上昇しました。
PTTとしては、この熱が治療作用になります。
しかし実際の口腔癌周囲には、
- 正常口腔粘膜
- 血管
- 神経
- 筋
- 骨
- 唾液腺
などがあります。
腫瘍だけへ十分な熱を加えながら周囲正常組織を保護するには、温度分布、照射範囲、照射時間を精密に制御しなければなりません。
原著も、隣接正常組織へのthermal injuryについて追加の安全性評価が必要だとしています。
「14日間大きな異常なし」と「人体で安全」は全く違う
今回の研究では短期安全性も調べています。
- 体重
- routine hematology
- 心臓・肝臓・脾臓・肺・腎臓のH&E
では、評価期間内に明らかな全身毒性を示す所見は確認されませんでした。
しかし、それだけで「安全なナノ材料」とは言えません。
特に注目すべきなのがCsとWの体内分布です。
腫瘍内注射後1日、7日、14日に肝臓と脾臓のCs、W濃度を測定すると、肝臓では研究期間中に蓄積する方向の変化が観察されました。
原著自身も、このデータだけでは排泄・消失動態や全身安全性を判断できず、追加の長期安全性評価が必要だとしています。
ナノ材料では、
- どの臓器へ分布するのか
- どこで分解されるのか
- どの程度残留するのか
- どの経路から排泄されるのか
- 慢性炎症を起こさないか
- 遅発毒性がないか
まで確認する必要があります。
14日間のマウス観察で明らかな急性毒性がなかったことと、長期的にヒトへ安全に使用できることは同じではありません。
今回分かったこと/まだ分からないこと

この研究を臨床へ近づけるうえで残っている問題を整理すると、次のようになります。
- ヒト患者を対象とした研究ではない
- CAL27を用いたcell-line-derived xenograftである
- BALB/cヌードマウスで獲得免疫の評価に制約がある
- ナノ液滴は100 µLを腫瘍内へ直接注射している
- 細菌も3菌種を人工的に腫瘍へ接種している
- 自然なヒトOSCCマイクロバイオームを再現していない
- in vitro抗菌試験は主に単一菌種の浮遊状態である
- biofilmや複雑な多菌種微生物群を評価していない
- 14日評価の主要治療群は各群n=5
- 細菌量・組織評価の独立cohortは各群n=3
- 長期再発を評価していない
- 頸部リンパ節転移や遠隔転移への治療効果を示していない
- 腫瘍表面温度は約50℃まで上昇する
- Cs/Wの長期的な排泄・残留が不明
- 酸素供給・ROS・細胞死の因果関係を完全には分離していない
- 細菌を減らすことがヒトOSCC患者の予後を改善するとは証明していない
原著自身も、今回の結果を臨床効果の証明ではなく概念実証(proof-of-concept)として位置づけています。
それでもこの研究が面白い理由|癌を「癌細胞だけ」で見なくなっている
これだけ限界を並べると、「では大した研究ではないのか」と感じるかもしれません。
むしろ逆です。
この研究が面白いのは、単に新しい癌細胞毒を一つ作ったのではなく、癌を癌細胞だけの塊として扱わなくなっている点にあります。
実際の腫瘍には、
- 癌細胞
- 異常血管
- 低酸素領域
- cancer-associated fibroblasts
- tumor-associated macrophages
- T細胞
- MDSC
- extracellular matrix
- 代謝物
- 細菌
などが存在し、互いに影響し合っています。
腫瘍は、一種類の癌細胞が集まった単純な塊というより、一つの生態系として考えた方が理解しやすい側面があります。
今回のCsWO@PFCは、
- 熱で癌細胞を傷害する
- 酸素を供給する
- PDT側の酸素依存性反応を支える
- 低酸素環境を変える
- 細菌負荷を減らす
という複数の作用を一つへまとめました。
そして本来その先には、免疫微小環境までどう変化するのかという問いがあります。
皮肉なことに、今回の研究ではヌードマウスを使ったため、その非常に面白い問いを十分には評価できませんでした。
次に必要なのは「もっと高い腫瘍抑制率」だけではない
93.6%という数字は目を引きます。
しかし次の研究で95%、97%という数字だけを競っても、それだけで臨床へ近づいたとは言えません。
次に重要なのは、
- 免疫能を保ったOSCCモデル
- 自然に近いtumor microbiome
- biofilm/多菌種モデル
- 細菌量変化後のTAM・MDSC・CD4/CD8・PD-1・Tim-3などの評価
- 長期再発
- 頸部リンパ節転移
- 遠隔転移
- 正常口腔組織への熱損傷
- 疼痛・粘膜障害
- Cs/Wの長期体内分布と排泄
- 全身投与へ展開する場合の標的化
- 製造再現性と品質管理
といった部分でしょう。
実際のヒトOSCCで嫌気性菌優位と疲弊したCD8+ T細胞との関連が示唆されている以上、細菌量を変化させた後に腫瘍免疫がどう変わるのかは、特に興味深い課題です。
そこまで進んで初めて、
「抗菌作用も持つ光治療」
から、
「腫瘍微小環境そのものを再構築する治療」
へ話が進むのではないでしょうか。
院長のまとめ|“酸素を運ぶナノ液滴”は突然現れたわけではない
2026年9月8日の論文だけを見ると、「酸素を運ぶ未来のナノ液滴が発明された」というニュースに見えるかもしれません。
しかし研究史を遡ると、違う景色が見えてきます。
- PDTで一重項酸素を作る研究
- 低酸素がPDTを妨げるという研究
- PFCで酸素を運ぶ研究
- NIR-IIの熱でPFCの酸素放出を制御する研究
- OSCCの低酸素と免疫微小環境を変える研究
- 口腔癌の内部に細菌が存在するという研究
- F. nucleatumやP. gingivalisと腫瘍免疫を結ぶ研究
- bacteria-associated OSCCを光熱療法で狙う研究
それらが何年も、何十年も別々に積み重なってきました。
そして2026年、
CsxWO₃+PFC+O₂+1064 nm+PTT+PDT+抗菌
という形で、複数の研究路線が一つのナノ液滴へ合流しました。
今回の本当の面白さは、そこにあるのだと思います。
もちろん、まだヒトへ使える治療ではありません。
しかし、
「癌細胞だけを殺す」のではなく、低酸素、細菌、免疫まで含めて腫瘍微小環境をどう動かすのか。
癌治療研究がその方向へ進んでいることを、非常に分かりやすく示す論文です。
新しい材料を見て「効いた」「すごい」で終わらせず、その技術がどこから来たのか、何を解決しようとしているのか、そして何がまだ解決されていないのかまで辿る。
最新研究を読む面白さは、そこにあります。
なお、この記事は口腔癌に対する実験的治療研究を扱ったものであり、現在の標準治療を置き換えるものではありません。実際の口腔内病変では、新しい治療法を検討する前に正確な診断が必要です。口の中の潰瘍、白斑、紅斑、硬結などが長く残る場合には、悪性病変を含めた鑑別が重要です。詳しくは口腔がんの早期発見についての解説もご覧ください。
また、口腔癌領域では治療だけでなく診断・トリアージ技術の研究も進んでいます。AIを利用した画像評価については、口腔がんAIとMucosightのトリアージ研究でも紹介しています。
参考文献
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