2026年8月18日

(院長の徒然コラム)

はじめに
小児歯科の診療をしていると、ときに言葉を失うほど多数のう蝕を抱えた子どもに出会うことがあります。
乳歯のほとんどに大きなう窩がある。歯冠が崩壊している歯がある。根だけになった歯がある。歯肉が腫れ、膿瘍を形成している。本人に聞くと「前から痛かった」と話す。
もちろん、今日突然こうなったわけではありません。
そんな口腔内を目の前にすると、歯科医師として当然、一つの疑問が浮かびます。
「なぜ、この子はここまで必要な歯科治療を受けられなかったのだろう」
そして、その先に「デンタルネグレクト」という言葉を考えることがあります。
これは決して考え過ぎではありません。多数の未処置う蝕や長期間放置された感染は、ネグレクトを考える重要な所見になり得ます。日本小児歯科学会の子ども虐待防止対応ガイドラインでも、未処置の多発性う蝕や感染症は、歯科医師が注意すべき所見として挙げられています。
しかし、ここで最初に強調しておきたいことがあります。
多発う蝕を見てデンタルネグレクトを「疑う」ことと、多発う蝕だけでデンタルネグレクトだと「判断する」ことは、まったく違います。
う蝕の本数だけを数えても、その子がどのような生活をしてきたのか、なぜ歯科医療につながらなかったのかまでは分かりません。
歯科医師が本当に問うべきなのは、
「なぜ、この子に必要な歯科医療が届かなかったのか」
ということなのだと思います。
そもそもデンタルネグレクトとは何か
必要な医療を受けられないこともネグレクトの問題になる
児童虐待には、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクトがあります。
必要な医療を受けさせない状態は、医療・福祉の領域で「医療ネグレクト」として論じられ、そのうち口腔・歯科領域に関わるものを「デンタルネグレクト」と呼ぶことがあります。
ここで注意したいのは、「医療ネグレクト」「デンタルネグレクト」という言葉そのものが、日本の児童虐待防止法に独立した法定類型として列挙されているわけではないことです。
大切なのは名称ではなく、保護者として必要な監護が著しく怠られ、その結果として子どもの健康や発達が損なわれている、あるいは損なわれる危険があるかどうかです。
米国は「必要な治療が受けられるのに受けさせない」ことを重視する
米国小児科学会(AAP)と米国小児歯科学会(AAPD)の考え方では、単に「虫歯がある」というだけではなく、いくつかの条件を確認しながらデンタルネグレクトを考えます。
- 歯科医療を受けないことで、子どもが現在害を受けている、または害を受ける危険がある
- 推奨される治療に、子どもにとって十分な利益がある
- 治療による利益が、治療に伴う負担を上回る
- 実際に歯科医療へアクセスできる
- 保護者が病状と治療の必要性について説明を受け、理解している
つまり、「治療を受けていない」という結果だけではなく、治療の必要性がどれほど大きいのか、受診できる状況だったのか、保護者がその必要性を理解していたのかまで見ています。
英国は「誰が悪いか」より「子どもに何が足りていないか」を見る
英国小児歯科学会(BSPD)の考え方には、さらに子ども側から問題を見る特徴があります。
中心に置かれるのは、「子どもの基本的な口腔保健上のニーズが持続的に満たされていない」という状態です。
ここでは、最初から「この保護者が悪い」と責任の所在を決めるのではなく、まず、その子に必要な歯科医療や日常の口腔ケアのうち、何が満たされていないのかを見ることが重視されます。
「誰が悪いか」を決める前に、「この子に何が届いていないのか」を確認する。
この順序は、小児のデンタルネグレクトを考えるうえで非常に重要だと思います。

Dental Neglect Scaleは児童虐待の診断検査ではない
海外論文では「Dental Neglect Scale(DNS)」という尺度がしばしば登場します。
これは、歯科受診を先送りする、セルフケアを十分に行わない、口腔健康を重要視しない、といった行動や態度を疫学的・心理学的に評価する尺度です。
有用な研究ツールではありますが、DNSの得点だけで児童虐待としてのデンタルネグレクトを診断するものではありません。
さらに、研究によって尺度の構成や得点方向が異なる場合もあります。したがって、「DNSが何点以上なら虐待」といった使い方や、異なる研究の平均点を単純に横並びにして比較することも適切ではありません。
「虫歯が何本あればネグレクト」という基準はない
多発う蝕は重要な所見だが、それだけでは判断できない
デンタルネグレクトについて話すと、「では、虫歯が何本あればネグレクトなのか」という発想になりがちです。
しかし、そのようなカットオフはありません。
多発う蝕は、デンタルネグレクトを考える重要な所見です。しかし、それだけでデンタルネグレクトと判断することはできません。
英国の資料でも、非常に多くのう蝕が存在するという事実だけでデンタルネグレクトとは判断できず、「○本以上ならネグレクト」という本数による閾値は設定できないとされています。
これは当然ともいえます。
う蝕は、一つの原因だけで発症する疾患ではありません。
糖の摂取量と頻度、プラーク、フッ化物の利用、唾液、歯の形態、萌出状況、本人の歯磨き能力、保護者による仕上げ磨きなど、多くの要因が重なります。う蝕が多因子性疾患であることについては、当院の虫歯になりやすい人の原因・体質・唾液・食生活と予防法を解説した記事でも詳しく取り上げています。
さらに小児では、その背景に家庭の経済状態、保護者の就労状況、生活時間、きょうだいの数、保護者自身の疾病、子どもの発達特性、歯科恐怖、地域の医療資源なども関係してきます。

歯の本数より「その子が受けている害」を見る
同じ5本のう蝕でも、すべてが初期病変で症状のない子どもと、1本しか問題歯がなくても感染が進行して顔が腫れ、食事も睡眠も妨げられている子どもでは、臨床的な意味が違います。
評価すべきなのは、単なる虫歯本数ではありません。
- 疼痛が続いていないか
- 歯髄感染や膿瘍、腫脹がないか
- 食べることが妨げられていないか
- 睡眠が妨げられていないか
- 学校や日常生活へ影響していないか
- 発音、審美性、心理社会的な問題へつながっていないか
未治療の乳歯う蝕については、「どうせ生え替わる歯だから」と軽視されることもありますが、疼痛や感染を起こした乳歯を放置してよいわけではありません。詳しくは乳歯の虫歯を放置してよいのかを解説した記事も参考になります。
デンタルネグレクトを考えるときには、「病気があるか」だけでなく、「その病気によって子どもの健康や生活がどれほど損なわれているか」を見なければなりません。
日本の一時保護児の口腔内は実際どうなっているのか
2012年・広島県268人――要保護児の口腔状態は悪かった
この問題について、日本には非常に興味深い研究があります。
広島大学小児歯科などの新里氏らは、広島県内の児童相談所・子ども家庭センターの一時保護施設に入所した要保護児268人を調査しています。
268人の内訳は、虐待を理由に保護された児童122人、虐待以外の理由で保護された児童146人でした。
要保護児では一般児童に比べて、う蝕経験者率、未処置歯所有者率、一人平均う蝕経験歯数、一人平均未処置歯数が多いことが示されました。
ここだけを見ると、「やはり虐待を受けた子どもには虫歯が多いのか」と考えてしまいそうになります。
ところが、結果はもう少し複雑でした。
虐待を理由に保護された児童と、保護者の疾病による養育困難など、虐待以外の理由で保護された児童の間では、う蝕罹患状況に大きな差が認められなかったのです。
つまり、口腔内状態が悪かったのは、「虐待」という理由で保護された子どもだけではありませんでした。
この研究からは、要保護状態に至るような不安定あるいは困難な生活・養育環境そのものが、子どもの口腔健康に影響している可能性が考えられます。
2016年・広島県493人――対象を増やしても同じ方向がみられた
その後、広島県内3か所の一時保護施設を対象に、493人を調べた報告が発表されています。
内訳は虐待244人、非虐待249人でした。
この研究でも、一時保護児は一般児童と比較してう蝕や未処置歯の負担が大きい一方、虐待を理由に保護された子どもと、それ以外の理由で保護された子どものう蝕罹患状況には明瞭な差が認められませんでした。
著者らは、虐待の有無だけで区切るのではなく、口腔健康上の問題を抱える要保護児に対して積極的な支援が必要だとしています。
これは2012年の広島研究とほぼ同じ方向を示す結果です。
2023年・534人――虐待を受けた子どもの中にも虫歯がない子はいる
さらに、一時保護児534人を対象にした研究では、虐待を理由に保護された児童323人と、虐待以外の理由による211人が比較されました。
一人平均う歯数は、虐待群2.7本、非虐待群2.9本で、統計学的有意差は認められませんでした。
そして非常に重要なのが、虐待群でも約4人に1人はう歯を有していなかった一方、一部の児童に非常に多数のう蝕が存在し、その子どもたちが虐待群全体の平均値を押し上げていたと考察されていることです。
ここからも、
「虐待を受けた子どもには、このような虫歯のパターンが現れる」
という単純な口腔像は成立しません。
虐待を受けた子どもの中にも虫歯のない子がいる。
逆に、虐待以外の理由で一時保護された子どもにも多くの未治療う蝕がある。
口腔内だけを見て「虐待児」「非虐待児」を振り分けることはできないということです。
2025年・埼玉県383人――現在でも未処置歯の格差がみられる
2025年には、埼玉県内4か所の一時保護所で行われた歯科検診事業が報告されました。
2021年度に一時保護された996人のうち383人が歯科検診を受けています。
12歳児のう蝕有病者率は35.0%で、埼玉県平均21.8%より有意に高く、未処置歯を有する割合は22.5%で、全国11.6%、埼玉県11.3%より有意に高い結果でした。
もちろん、996人全員を検査した研究ではありません。そのため、この数値を埼玉県の要保護児全体へそのまま一般化することはできません。
それでも、近年の日本においても、一時保護される子どもたちの中に大きな未治療歯科疾患の負担が残っていることを示す重要な資料です。
一時保護児研究から何を読み、何を読みすぎないか
広島、新潟、埼玉の研究を並べると、二つのことが見えてきます。
一つは、困難な生活・養育環境に置かれた子どもでは、口腔健康が悪化していることが少なくないということ。
もう一つは、「虐待」というラベルだけでは、その子の口腔状態を説明できないということです。
口腔内は、「この子は虐待を受けています」と判定してくれる検査ではありません。
むしろ、
「この子の生活のどこかで、健康を守る仕組みがうまく機能していないのではないか」
と考えるきっかけになるものです。

重症う蝕でもデンタルネグレクトとは限らない
5歳10か月、ほぼ全顎的な重症う蝕を認めた症例
2013年に報告された、5歳10か月男児の症例があります。
保護者は2歳頃から全顎的にう蝕があることに気付いていました。しかし痛みがなかったため歯科受診には至らず、5歳10か月で初診となっています。
初診時には全顎的に重症う蝕があり、下顎両側中切歯を除くほぼすべての乳歯に、歯髄腔へ達する、または近接するう蝕像が認められました。
口腔内所見だけを見れば、
「ここまで放置されているのならデンタルネグレクトではないか」
と考えたくなる症例です。
背景にあったのは「無関心」だけではなかった
しかし、家庭背景を見ると状況は単純ではありません。
- 当初4人兄弟で、その後5人兄弟になった
- 祖父母と同居する9人家族だった
- 両親は共働きだった
- 後には母親が3つの仕事を掛け持ちしていた
- 夕食が21時を過ぎることがあった
- 間食時間も不規則だった
さらに、保護者は以前、近所の歯科医院へ子どもを連れて行ったものの、子どもが怖がり、うまく診察を受けられなかった経験もありました。
大学病院では行動調整を行うことで治療へ移行し、その後は長期的な口腔管理につながっています。
この症例が示しているのは、重症う蝕を見ても、「親が子どもの歯に無関心だったから」の一言では説明できないケースが存在するということです。
仕事、家族構成、生活時間、食生活、過去の歯科受診経験、子どもの歯科恐怖などが重なっています。
これは重症う蝕を見てネグレクトを疑ってはいけないという意味ではありません。
逆です。
疑うからこそ、口腔内だけで結論を出さず、その背景まで確認する必要があるのです。

「連れてこない」のか、「連れてこられない」のか
歯科受診を妨げるのは治療費だけではない
子どもが長期間歯科医院へ来ないとき、私たちはつい、
「どうして保護者は連れてこなかったのだろう」
と考えます。
しかし実際には、「連れてこない」ことと「連れてこられない」ことを分けて考える必要があります。
受診を妨げるものは、診療費だけではありません。
- 交通手段がない
- 保護者が仕事を休めない
- 休業すると収入が減る
- ほかのきょうだいを預けられない
- ひとりで多くの育児負担を抱えている
- 保護者自身が病気や精神的な問題を抱えている
- 家族が社会的に孤立している
- 子どもに発達特性や障害があり、対応可能な歯科医療機関が限られている
- 子どもや保護者に強い歯科恐怖がある
- 言語や文化の違いによって説明が十分伝わっていない
- 予約枠がなく、必要な時期に受診できない
- 地域に小児や障害児へ対応できる歯科医療機関が少ない
「歯科医院へ行く」という一つの行為の背後には、これだけ多くの条件があります。
ネグレクトは複数の要因の相互作用として形成される
安部計彦氏の博士論文「子どものネグレクト状態に関係する要因の相互作用に関する研究」は、この問題を考えるうえで参考になります。
同研究では、ネグレクト状態を単一の原因で説明するのではなく、養育力不足、子どもの放置、生活困窮、不適切な価値観、援助を受け入れることの難しさなど、複数の要因が子どもの年齢や発達、家庭環境、援助関係と相互作用するものとして捉えています。
もちろん、これは歯科用のデンタルネグレクト診断尺度ではありません。
しかし、家庭の背景を理解する枠組みとしては非常に有用です。
生活困窮だけなら何とか受診できていた家庭でも、そこへ保護者の疾病、長時間労働、交通手段の不足、きょうだいの養育負担、子どもの歯科恐怖などが重なれば、必要な歯科医療へ到達することが難しくなることがあります。
だからこそ、
「原因は貧困だ」
あるいは、
「原因は保護者の無関心だ」
と、一つの原因に還元しないことが大切です。


「乳歯だから治療しなくてよい」という価値観もある
保護者自身が、子どもの頃から「乳歯はいずれ抜ける」「歯医者は痛くなってから行くところ」という環境で育っている場合があります。
その価値観が、次の世代の医療行動へ影響することも考えられます。
これは「そのような考えを持つ保護者はネグレクトをする」という意味ではありません。
むしろ歯科側が、乳歯のう蝕をなぜ治療する必要があるのか、痛みがない段階で受診することにどのような意味があるのかを、理解できる形で説明する必要があります。
歯科恐怖や保護者の口腔保健行動も無視できない
子どもの歯科不安と口腔状態
2024年に110組の親子を対象として行われた研究では、子どもの歯科不安とDMFTの間に弱い正の相関が認められました。また、過去の歯科治療で感じた痛みと、子どもの歯科不安にも関連が認められています。
横断研究ですから、
「痛い治療を経験したから歯科恐怖になり、その結果として虫歯が増えた」
という因果関係まで証明したものではありません。
それでも臨床では、
怖いから受診しない。受診しない間に疾患が進行する。疾患が進行することで処置が大きくなる。大きな処置を経験して、さらに歯科治療が怖くなる。
という悪循環が起こり得ることは考えておく必要があります。
お子さんの年齢、症状だけでなく、過去の受診経験や泣きやすさ、歯科への恐怖について予約時に伝えることは、歯科医院側が受け入れ方を考える助けになります。当院でも子どもの歯医者予約で伝えてほしいポイントをまとめています。
親自身の口腔保健行動と子どもの行動には関連がみられる
同じ研究では、保護者自身のDental Neglect Scaleと子どものDental Neglect Scaleにも、弱いながら統計学的に有意な関連が認められました。
一方、親の歯科不安と子どもの歯科不安には、直接的な有意な関連は認められませんでした。
したがって、
「歯医者嫌いの親だから、子どもも歯医者嫌いになる」
と単純化することはできません。
むしろ、口腔健康を後回しにする生活習慣や受診行動が家庭の中で共有される可能性に目を向ける方が適切でしょう。
保護者は「デンタルネグレクト」という概念を知っているのか
2025年には、3~18歳の子どもを小児歯科へ連れてきた390人の保護者を対象とした研究が報告されています。
「児童虐待」という言葉を知っていた保護者は91.3%、「ネグレクト」を知っていた保護者も83.6%でした。
ところが、具体的なネグレクトの種類の中で、Dental neglectを知っていた保護者は18.7%にすぎませんでした。
さらに、この研究では保護者のデンタルネグレクトに関する認識と、子どもの実際の口腔内指標との間にいくつかの関連が認められています。
たとえば、「子どもが定期的に歯磨きを行うことを保護者が確実にするのは保護者の責任である」という考えに否定的だった家庭では、未治療う蝕の重症な臨床的帰結を示すpufaが高く、繰り返す予約遅刻・欠席をネグレクトのサインとして認識していない家庭ではDMFTが高いという結果でした。
これも横断研究であり、「知識不足が虫歯を作った」という因果関係を証明するものではありません。
しかし、保護者が口腔健康をどのように理解しているかと、子どもの口腔状態がまったく無関係ではないことを示す資料にはなります。
だからこそ、歯科医院側には単に「説明した」だけで終わらず、保護者が病状と治療・予防の意味を実際に理解できているかを確認することが求められます。
歯科医師は口の中以外に何を見るべきなのか
小児歯科外来で用いられた9つの観察領域
鶴見大学の小児歯科外来で行われた研究は、臨床で何を見るべきなのかを考えるうえで興味深いものです。
初診患者1,344人のうち、多発う蝕やスタッフが虐待・ネグレクトを疑った187人について、独自のアセスメントシートを用いて評価しています。
評価したのは、次の9領域でした。
- 全身状態
- 頭部・顔面の損傷
- 皮膚症状
- 口腔周囲・軟組織の損傷
- 歯・歯周組織の損傷
- う蝕
- 子どもの行動・心理特性
- 養育者・家庭環境の特徴
- 子どもの話す内容
「虫歯が多いか」だけを見ていないことが重要です。
子どもの表情・行動・清潔状態も情報になる
この研究で、最終的にスタッフ間の合議へ進んだ8人では、着衣の汚れや臭いなどの不衛生が6人、疲労感・無気力・無表情が3人、虐待を疑わせる発言が3人など、口腔以外の所見も観察されていました。
ただし、これは8人という非常に小さな集団です。
「虐待を受けている子どもの75%は不衛生である」という疫学的な意味で使える数字ではありません。
重要なのは、歯科診療の場でも、
- 極端に疲れていないか
- 大人の顔色ばかりうかがっていないか
- 保護者がいる時といない時で表情や行動が大きく変化しないか
- 本人の説明と外傷所見に不自然な点がないか
- 清潔状態や生活状況に気になる点がないか
といった情報を、口腔所見と合わせて見ることです。
保護者の反応も、疾患の重症度と合わせて見る
同じ研究では、合議へ進んだ8人の養育者について、「発症から受診までの期間が1か月以上」と「歯の重症度にそぐわない態度・関心の乏しさ」がそれぞれ4人に認められていました。また、経済状態や夫婦関係などの生活上のストレスも3人で指摘されていました。
これも、「1か月受診しなければネグレクト」という基準ではありません。
疾患によって緊急度は違います。
見るべきなのは、子どもの病状の重さと、保護者の反応や受療行動との間に大きな不一致がないかということです。
歯科衛生士や受付の「気付き」も重要になる
鶴見大学の研究では、歯科医師だけでなく、歯科衛生士や受付などのスタッフの視点も評価に組み込まれています。
診療室では普通に見えても、待合室では親子関係が違って見えることがあります。
受付では、何度も予約変更が続いていること、治療が必要なのに中断が繰り返されていることに気付くかもしれません。
歯科衛生士は、毎回の口腔衛生状態や子どもの表情、保護者との関係の変化に気付くかもしれません。
大河内氏らが小児歯科医21人、歯科衛生士5人へ行った質的研究でも、「子どものケアを怠っている」「子どもの健康を守り支えることが難しい」「親子関係に問題がある」といった複数の観点が抽出されています。
一人の歯科医師の印象だけで判断するより、医院全体で得られた情報を、時間の経過とともに確認することの方が重要です。

予約をすっぽかしたのは、本当に「子ども」なのか
「Did Not Attend」ではなく「Was Not Brought」
英国の小児歯科・児童保護では、小児の予約不履行について象徴的な考え方があります。
Did Not Attend(来院しなかった)ではなく、Was Not Brought(連れて来てもらえなかった)。
考えてみれば当然です。
5歳児は、自分で歯科医院へ電話して予約を取りません。
予約日をスケジュール帳へ書き、自分で仕事を調整し、電車に乗って歯科医院へ来ることもできません。
したがって、「5歳児が無断キャンセルした」と子ども自身の行動のように扱うのは適切ではありません。

もちろん、1回のキャンセルをネグレクトとは呼ばない
家庭には急病もあります。仕事もあります。きょうだいの都合もあります。交通トラブルもあります。
1回予約をキャンセルした、あるいは予約を忘れたというだけで、デンタルネグレクトとは判断できません。
問題になるのは、
治療が必要な疾患がある。子どもに痛みや感染などの害がある。保護者へ十分に説明している。それでも予約欠席や治療中断が繰り返され、必要な歯科医療がいつまでも行われない。
という経過です。
単発の事象ではなく、持続性と経過を見る必要があります。
では、どこからデンタルネグレクトの懸念が強くなるのか
① 子どもに現在の害、または明確な害の危険があるか
最初に見るのは、病名よりも子どもへの影響です。
疼痛、感染、膿瘍、腫脹、摂食障害、睡眠障害、進行する歯科疾患などが存在するのか。
「虫歯があります」という状態と、「痛みや感染に耐えながら生活しています」という状態では緊急度が違います。
② 推奨する治療が子どもへ明確な利益をもたらすか
感染源を除去する、疼痛を軽減する、食事ができるようにする、保存可能な歯を治療するなど、推奨治療によって得られる利益が明確なのかを確認します。
治療しないことで生じる害と、治療そのものが子どもへ与える負担も比較する必要があります。
③ 保護者は病状と治療の必要性を理解しているか
歯科医療者が専門用語で一方的に説明しただけなのに、
「説明したのに治療へ来なかった」
と評価するのは危険です。
病状、放置した場合のリスク、必要な治療、その治療をどこでどのように受けられるのかまで、保護者が理解できる形で説明する必要があります。
④ 本当に歯科医療へアクセスできるのか
費用、交通、仕事、家庭事情、障害への対応、歯科恐怖、言語、予約枠などを確認します。
「歯科医院が町に存在する」ことと、「その家庭が現実に治療へ到達できる」ことは同じではありません。
⑤ 障壁を減らすための支援を行ったか
予約時間を調整する。治療回数を現実的に組む。子どもの歯科恐怖へ対応する。必要なら小児歯科、障害者歯科、病院歯科などへ紹介する。社会的支援が必要なら関係機関へつなぐ。
こうした対応によって治療へつながる家庭であれば、最初から「治療する意思がなかった」と評価するのは適切ではありません。
⑥ 支援後も必要な治療が持続的に行われないか
ここまで確認し、支援してもなお、子どもに必要な歯科医療が受けられず、健康への害が続く。
その場合、デンタルネグレクトとしての懸念はより強くなります。
米国AAPのClinical Reportでも、医療アクセス上の障壁に対応した後にも保護者が必要な治療を受けさせない場合、児童保護機関への報告を行うべき状況として整理されています。

最初にすることは「保護者を責めること」ではない
軽度から中等度の懸念がある場合、歯科医院の中でできることがあります。
英国小児歯科学会では、まず歯科チーム内での対応を行い、それだけでは不十分な場合には他職種・他機関との連携へ進み、さらに重大な懸念があれば児童保護へつなぐという段階的な考え方が示されています。
もちろん、子どもの生命や身体に差し迫った重大な危険が疑われる場合に、悠長に順番を踏むという意味ではありません。
しかし、そうではない段階では、
「なぜ連れてこなかったのですか」
と責める質問より、
「通院するうえで、何か困っていることはありませんか」
と聞く方が、必要な情報を得られることがあります。
治療そのものが怖いのか。
子どもが診療室へ入れないのか。
仕事を休めないのか。
受診方法が分からないのか。
「乳歯は抜けるから治療しなくてよい」と考えているのか。
原因によって必要な対応はまったく違います。
そして、本当に養育放棄が存在するケースであっても、その背景に保護者自身の疾病、孤立、精神的困難などが存在することがあります。
子どもの安全を守ることと、家庭の背景を理解することは対立するものではありません。
日本にも「受診してください」から一歩進んだ支援がある
子ども食堂・行政・歯科医院による同行受診
2025年の中本氏・相田氏らの報告では、歯科医院と子ども食堂、行政などが連携した取り組みが紹介されています。
歯科保健教育を行い、歯ブラシやフッ化物配合歯磨剤を提供するだけではありません。
ボランティアスタッフが子どもを歯科医院へ同行し、実際の受診につなげる取り組みも行われています。
これは大きな意味を持ちます。
学校健診などで「歯科医院を受診してください」という紙を渡すことはできます。
しかし、本当に歯科医療へアクセスすることが難しい家庭に対して、「受診してください」と何度伝えても、受診できない原因が解決されなければ受診にはつながりません。
受診を勧めることから、受診できる状態をつくることへ。
ここまで考えることが、デンタルネグレクトへの対応では重要です。
「虐待児を探す」だけでなく「歯科医療に届いていない子ども」を見る
この視点に立つと、歯科医師の役割も少し変わって見えます。
「虐待を受けている子どもを見つける」ことだけが目的ではありません。
「必要な歯科医療へたどり着けていない子どもを見つける」と考える。
その中には、本当のデンタルネグレクトもあります。
貧困によって受診できない子もいます。
保護者の疾病によって受診できない子もいます。
障害や歯科恐怖によって、受け入れてくれる歯科医院が見つからない子もいます。
必要な子どもには歯科医療を届け、家庭に支援が必要なら福祉へつなぎ、子どもの安全や健康が脅かされているのであれば児童保護へつなぐ。
この考え方であれば、デンタルネグレクトを見逃さず、同時に背景を確認しないまま保護者を断定的に評価することも避けられます。

デンタルネグレクトは「保護者だけの問題」なのか
Foláyan氏らは、26か国と香港の政策を比較し、デンタルネグレクトを法律だけでは解決できない問題として論じています。
児童ネグレクトを扱う法律があることと、国全体の未治療う蝕が少ないこととの間には、単純な対応関係は示されませんでした。
著者らが重視したのは、法律だけではありません。
- 子どもが歯科医院へアクセスできること
- 治療費を負担できる、または公的支援を利用できること
- 歯科医療者がデンタルネグレクトを理解していること
- 保護者が口腔健康や治療の必要性を理解できること
- 予防システムが整っていること
- 必要な家庭へ社会的支援が届くこと
- 必要なときに児童保護や司法が機能すること
こうした環境を総合して整える必要があるとしています。
論文ではこれを「social ecosystem」という言葉で論じていますが、日本語で考えるなら、「子どもが必要な歯科医療へたどり着ける支援環境」と捉える方が分かりやすいでしょう。
地域全体に歯科医療が届いていないのに、家庭だけの責任にはできない
歯科医院そのものがほとんどない。
公的な治療を受けようとしても長期間待たなければならない。
小児や障害児を診療できる歯科医療機関がない。
そのような社会で、未治療う蝕のある子どもの家庭をすべて「ネグレクト」として扱っても、問題は解決しません。
一方で、社会的な事情があることを理由に、子どもが疼痛や感染を抱えたまま必要な医療を受けられない状態を放置してよいわけでもありません。
必要なのは、
「保護者を処罰するか、何もしないか」
という二択ではなく、支援、公衆衛生、医療、福祉、そして必要な場合には児童保護を組み合わせることです。
日本の歯科医師には、児童虐待の早期発見に努める役割がある
「虐待だと証明できてから」でなければ動けないわけではない
日本の児童虐待の防止等に関する法律第5条では、歯科医師が明記されています。
歯科医師を含む児童の福祉に職務上関係する者は、児童虐待を発見しやすい立場にあることを自覚し、児童虐待の早期発見に努めなければならないとされています。
さらに第6条では、「児童虐待を受けたと思われる児童」を発見した者は、速やかに市町村、福祉事務所、児童相談所などへ通告しなければならないとされています。
ここで重要なのは、法律が「虐待であることを証明できた児童」としていないことです。
また同条では、刑法上の秘密漏示罪その他の守秘義務に関する規定は、この通告義務の履行を妨げるものと解釈してはならないことも定められています。
したがって、歯科医師が家庭全体を調査し、児童虐待を一人で最終認定してからでなければ相談・通告できないという制度ではありません。
全国共通の児童相談所虐待対応ダイヤル「189」も設けられており、「虐待かもしれない」と思ったときに地域の児童相談所へ通告・相談することができます。こども家庭庁は、189への通告・相談は匿名でも可能で、通告・相談者や内容に関する秘密は守られると案内しています。
歯科医師の役割は、家庭の事情をすべて自分で解明することではありません。
気付いた異変を、必要な支援へつなげること。
そこまでが歯科医療者に求められる重要な役割です。
診療録には「印象」ではなく「観察した事実」を残す
こうした症例では、診療録の記載も重要になります。
「母親が怪しい」「ネグレクトっぽい」といった主観的な評価だけを残すのではありません。
- 未治療歯の部位と重症度
- 疼痛、腫脹、膿瘍などの症状
- 本人や保護者が説明した発症時期
- 口腔内写真やエックス線所見
- 歯科医療者が説明した内容
- 保護者の反応や理解
- 予約日と欠席・中断の経過
- 医院側が提案した支援や紹介
- 子どもの発言や行動で客観的に確認した事項
こうした事実と経過を記録します。
それは子どもを守るためだけではありません。
保護者を根拠なく評価しないためにも、客観的な記録が必要です。
歯科医院は「虐待を見つける場所」だけではない
同じ子どもを何度も見られることは歯科の強みである
歯科医療には、一つ大きな特徴があります。
同じ子どもを何度も診ることができることです。
初診だけではありません。
治療、予防、定期健診と、数か月、数年にわたり接することがあります。
鶴見大学の研究でも、対象となった子どもについて複数回の観察を行ってから評価しています。
一度の診療では分からないことがあります。
初診時には治療に無関心に見えた保護者が、病状を理解すると、その後は毎回きちんと通院するかもしれません。
反対に、初診時には大きな問題がないように見えても、治療中断や予約欠席が繰り返され、子どもの口腔疾患だけが進行していくこともあります。
経時的に見るからこそ分かることがあります。
1,344人から通告4人――「気になる」と「虐待として対応する」の間
鶴見大学の研究では、小児歯科初診患者1,344人のうち、多発う蝕やスタッフが虐待・ネグレクトを疑った187人がアセスメント対象となりました。
そこからスタッフ間の合議へ進んだのは8人で、児童相談所への通告に至ったのは4人でした。
この数字は「児童虐待の有病率」を示すものではありません。
しかし、臨床的には非常に象徴的です。
「何か気になる」と思うことと、「児童虐待として外部機関との対応が必要だ」と判断することの間には、丁寧に情報を集める過程がある。
多発う蝕を見逃してはいけません。
しかし、多発う蝕だけで保護者を決めつけてもいけません。
この二つは両立します。
多発う蝕から何を読み、何を読みすぎないか
最初の問いに戻ります。
虫歯だらけの子どもは、デンタルネグレクトなのでしょうか。
答えは、
口腔内だけを見ても分からない。
です。
しかし同時に、
「分からないから何もしなくてよい」でもありません。
多数の未処置う蝕がある。
膿瘍を繰り返している。
子どもが長期間痛みを我慢している。
治療が必要だと説明しても受診が途絶える。
予約欠席を何度も繰り返す。
子どもの表情や行動に気になる点がある。
保護者の説明と臨床所見が一致しない。
家庭が大きな困難を抱えている。
一つ一つは、児童虐待に特異的な所見ではありません。
しかし、それらを組み合わせ、時間の経過とともに見ていくことで、
「この子に必要な医療が届いていない」
という事実が見えてくることがあります。
そして、そのとき歯科医師が問うべきなのは、
「この保護者はネグレクトをしているのか」
という問いだけではないと思います。
それより先に、
「なぜ、この子に必要な歯科医療が届かなかったのか」
を考える。
そして、
「どうすれば、この子に必要な歯科医療を届けられるのか」
を考える。
家庭への説明で解決することもあります。
歯科恐怖への対応が必要なこともあります。
小児歯科、障害者歯科、病院歯科などの専門医療機関への紹介が必要なこともあります。
行政や福祉との連携が必要なこともあります。
そして、子どもの安全や健康が損なわれる状態が続くのであれば、児童相談所への相談・通告をためらうべきではありません。
歯科医院の役割は、虫歯の多い子どもを見て家庭を断罪することではありません。
一方で、
「家庭には事情がある」
という一言ですべてを見過ごすことでもありません。
口腔内に現れた異変をきっかけに、その子の生活と受療の過程まで見て、必要な医療と支援につなぐこと。
小児のデンタルネグレクトを考えるとき、歯科医師に求められているのは、その姿勢なのだと思います。
参考文献・資料
- 日本小児歯科学会:子ども虐待防止対応ガイドライン
- American Academy of Pediatrics:Oral and Dental Aspects of Child Abuse and Neglect: Clinical Report. Pediatrics. 2024.
- British Society of Paediatric Dentistry:Dental neglect in childrenに関するPolicy Document. 2024.
- 新里法子ほか:一時保護された被虐待児童の口腔内状況について.小児歯科学雑誌.2012;50(3):237-242.
- 海原康孝ほか:一時保護所における歯科支援活動の概要および要保護児童の齲蝕罹患状況に関する検討.日本歯科医療福祉学会雑誌.2016;21(1):6-14.
- 野上有紀子ほか:一時保護所に保護中の被虐待児童の歯種別う蝕罹患状況に関する報告.障害者歯科.2023;44:10-18.
- 望月司ほか:埼玉県内一時保護所での歯科検診事業報告~児童虐待と歯科との関わりを考察する~.口腔衛生会誌.2025;75:230-234.
- 長岡悠ほか:小児歯科外来での被虐待児早期発見のための取り組みと支援.小児歯科学雑誌.2020;58(3):123-131.
- 稲田絵美ほか:幼児期に多数歯齲蝕を有した患児に対し包括的な長期管理を行った1例.小児歯科学雑誌.2013;51(4):447-455.
- 大河内彩子ほか:大学病院小児歯科外来従事者の認識する「気になる母親」.熊本大学医学部保健学科紀要.2021;17:67-74.
- 安部計彦:子どものネグレクト状態に関係する要因の相互作用に関する研究―ネグレクト状況の変遷と要因分析を通して―.日本社会事業大学大学院博士学位論文.2016.
- 中本知之,相田潤:デンタルネグレクトを超えて:歯科保健医療が受けられない子どもたちへの対策の一提案.口腔衛生会誌.2025;75:97-101.
- Foláyan MO, et al. Child dental neglect and legal protections: a compendium of briefs from policy reviews in 26 countries and a special administrative region of China. Front Oral Health. 2023;4:1211242.
- Shapira J. Dental Neglect. In: Treatment Dilemmas for Vulnerable Patients in Oral Health. Springer; 2022.
- Aydınoğlu S, et al. Do Parents’ Dental Neglect and Anxiety Affect Their Children’s Dental Neglect and Anxiety? NEU Dent J. 2024;6:79-88.
- Yıldız G, Ceyhan D. Knowledge, awareness, attitudes and experiences of parents of dental patients regarding child abuse and neglect. BMC Oral Health. 2025;25:305.
