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「国民皆歯科健診」は何を変えるのか?2027年度から制度化に向けて進む「簡易歯科健診」と唾液検査を“診断”と混同しないために

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2026年8月08日

「国民皆歯科健診」は何を変えるのか?2027年度から制度化に向けて進む「簡易歯科健診」と唾液検査を“診断”と混同しないために

(院長の徒然コラム)

はじめに

先日、大阪大学歯学部同窓会の「歯科最新ニュース」を何となく眺めていたところ、ひとつの記事が目に留まりました。

「厚労省『簡易歯科健診』制度化へ 希望者に毎年」。

そこからYahoo!ニュースの記事を読み、さらに歯科専門メディアの記事を読み、結局、厚生労働省の資料まで遡って確認することになりました。

「希望する国民が毎年、歯科健診を受けられるようにする」。

歯科医師としては、当然気になります。

以前から「国民皆歯科健診」という言葉自体は耳にしていました。

ですから最初にニュースの見出しを見たときには、

「いよいよ全国民が毎年、歯科医師による歯科健診を受けるような制度が始まるのだろうか」

という印象を持ちました。

しかし厚生労働省の資料を読み進めていくと、どうも少し違います。

2026年7月23日に厚生労働省が公表した「U.E.N.O.Plan」では、生涯を通じた歯科健診、いわゆる国民皆歯科健診の実現に向けて、希望する国民が毎年歯科健診を受けられる環境を整備し、2027年度から自治体・医療保険者の双方で簡易検査ツールを活用した方法を「簡易歯科健診」として位置づけ、制度化に向けた取組を進める方針が示されています。

そして2026年7月31日に公表された「歯科健診等のあり方等に関する検討会 中間とりまとめ」を読むと、制度の考え方はさらに明確になります。

そこでは、

簡易歯科健診は、歯科医師が口腔診査を行う歯科健診を代替するものではない。

そして、

歯科未受診者を、歯科医師による歯科健診や歯科受診へつなげる「入り口」とする。

という考え方が示されています。

私は、この「入り口」という言葉が今回の政策を理解するうえで非常に重要だと思います。

これは診断を簡略化する政策ではありません。

歯科医院で行う診査を唾液検査へ置き換える政策でもありません。

もちろん、

「唾液を調べれば虫歯も歯周病も分かる」

という話でもありません。

一方で、

「唾液検査だけでは歯周病を診断できないのだから、そんな検査には意味がない」

と切り捨てるのも違います。

今回の国民皆歯科健診を考えるには、診断の精度だけではなく、スクリーニングという仕組みが社会の中で何を担うのかまで考える必要がありそうです。

「国民皆歯科健診」とは、全国民に同じ検査をする制度なのか

「国民皆歯科健診」という言葉は非常に強い言葉です。

「国民皆保険」と似ているため、全国民を対象とした一つの統一制度をつくり、全員が年1回、同じ歯科健診を受けるようなイメージを持ちやすいかもしれません。

しかし現在示されている政策は、そこまで単純なものではありません。

大きな目的は、生涯を通じて歯科健診との接点を持てる環境をつくることです。

乳幼児期には乳幼児健診があります。

学齢期には学校歯科健診があります。

ところが学校を卒業すると、それまで半ば自動的に存在していた歯科健診との接点が急に弱くなります。

会社では毎年健康診断を受けている。

血圧も測る。

採血もする。

胸部エックス線撮影も受ける。

しかし、口の中については何年も誰にも診てもらっていない。

こうした人は決して珍しくありません。

厚生労働省の2026年7月31日の中間とりまとめでは、2024年の歯科疾患実態調査において、過去1年間に歯科検診を受けた人の割合は63.8%とされています。

一方、「歯科口腔保健の推進に関する基本的事項(第二次)」では、2035年度までにこの割合を95%にすることが目標とされています。

63.8%から95%。

これはかなり大きな差です。

この差を埋めようとするなら、すでに半年ごとに歯科医院へ通っている人に、

「これからも定期健診へ来てください」

と言い続けるだけでは足りません。

本当に考えなければならないのは、

今、歯科医院へ来ていない人にどう接触するのか。

ここです。

これは、通常の歯科検診がなぜ必要なのかという臨床的な問題から一段外側にある、公衆衛生上の課題です。

そもそも「健診」と「検診」は同じものなのか

今回の厚生労働省の中間とりまとめで興味深かったのが、「健診」と「検診」について改めて整理していることです。

一般に「健診」は、特定の疾患だけを発見することを目的とするのではなく、健康状態を把握し、その後の健康づくりや行動変容へつなげる性格を持ちます。

一方の「検診」は、特定疾患の有無を確認するという目的がより明確です。

ところが歯科医師が行う一般的な歯科健診では、う蝕や歯周病だけを見るわけではありません。

口腔粘膜。

口腔機能。

顎関節。

咬合。

口腔衛生状態。

そして必要に応じた受診勧奨や歯科保健指導。

歯科における健康診査には、「健診」と「検診」の両方の性格が含まれています。

これは今回の話を考えるうえで意外に重要です。

なぜなら、

「その場で病名を完全に確定できなければ健診として意味がない」

とは限らないからです。

自分の状態に気づいてもらう。

必要な行動を促す。

必要な医療へつなぐ。

これも健診の役割です。

この視点を持つと、「簡易歯科健診」が何を担おうとしているのかも見えやすくなります。

成人向けの制度はすでにある。それでも歯周病検診受診率は4.83%

では、日本にはこれまで成人向けの歯科検診制度がなかったのでしょうか。

もちろん、そんなことはありません。

自治体ではすでに歯周病検診が行われています。

2024年度には20歳と30歳も対象へ加わり、受診者総数は437,382人まで増えました。

ところが対象年齢人口から推計された受診率は、2024年度で4.83%です。

制度はある。

対象者もいる。

自治体も周知している。

それでも受診するのは約5%。

これは非常に象徴的な数字だと思います。

医療者側から見ると、

「せっかく検診制度があるのだから受ければいいのに」

と思ってしまいます。

しかし生活者側には事情があります。

仕事がある。

子育てがある。

歯が痛くない。

今は困っていない。

予約を取るほどではないと思っている。

「そのうち歯医者へ行こう」と思いながら、そのまま数年経つ。

現役世代を対象とした調査では、定期歯科検診を受けない理由として「時間がない」という回答が多いことも報告されています。

つまり、

歯科医院で待っているだけでは、今まで届かなかった人には届かない。

そこから今回の政策が始まっているように見えます。

2027年度から、何が変わろうとしているのか

2026年7月23日に公表されたU.E.N.O.Planでは、かなり具体的な工程が示されています。

2026年度には、事業主、医療保険者、自治体などを対象として、一般健診などと併せて簡易な口腔スクリーニングを実施し、その結果に応じて受診勧奨や歯科保健指導を行い、歯科医療機関へつなげるパイロット事業が進められます。

令和7年度補正予算として約8.8億円が計上されています。

そして2027年度からは、自治体・医療保険者双方で簡易検査ツールを活用する方法を「簡易歯科健診」として位置づけ、制度化へ向けた取組を進める。

自治体の歯周病検診についても、10歳ごとの節目から5歳ごとへの拡大を進める。

さらに節目年齢ではない住民についても、未受診者などが希望すれば簡易歯科健診を受けられる環境を整えていく。

職域についても、保険者による予防への取組を評価する仕組みに組み込む方向が検討されています。

2028年度からは、健康増進法上の制度としての普及も検討するとされています。

注意しておきたいのは、

2027年4月になった瞬間、全国一律の完成された制度が全国民へ一斉に適用される

という意味ではないことです。

2026年8月現在は、制度設計と実証を進めている途中です。

したがって、

「国民皆歯科健診を行えば歯周病が何%減る」

「医療費がいくら削減できる」

といった新制度のアウトカムは、まだ存在しません。

今、私たちが評価できるのは、

何をしようとしているのか。

そして、

その方法で何ができて、何ができないのか。

ここまでです。

「簡易歯科健診」は、唾液検査をして結果を返すだけではない

ここはニュースの見出しだけでは少し分かりにくい部分です。

2026年7月31日の中間とりまとめでは、「簡易歯科健診」の考え方がかなり細かく整理されています。

現時点では、体外診断用医薬品を用いた歯周病スクリーニングに加えて、質問票やアプリなどのチェックツールを利用し、う蝕、咬合状態、口腔機能などに関連する自覚症状や口腔状態を確認する。

そして、

その結果を踏まえて、必要な人を歯科医療機関への受診へつなげる。

そこまで含めた仕組みです。

さらに厚労省は、関連する方法を「口腔疾患スクリーニング」「歯周病スクリーニング」「口腔セルフチェック」などに整理しています。

質問票やチェックツール等も含め、精密検査の必要性を総合的に評価する。

体外診断用医薬品を用いて歯周病の疑いを評価する。

本人が質問票やチェックツールで自分の状態を確認する。

これらは役割が異なります。

そして、口腔セルフチェックだけでは簡易歯科健診には該当しないとされています。

つまり、

検査キットそのものが健診なのではありません。

検査する。

結果を解釈する。

必要な人を選ぶ。

受診を勧める。

そして歯科医院へつなぐ。

この一連の流れがあって初めて、政策として意味を持ちます。

唾液中ヘモグロビン検査は、何を見ているのか

今回注目されている簡易検査の一つが、唾液中のヘモグロビンを利用した歯周病スクリーニングです。

考え方そのものは比較的単純です。

ヘモグロビンは赤血球に含まれます。

歯肉に炎症が存在し、口腔内へ出血していれば、血液由来のヘモグロビンが唾液中へ混入する可能性があります。

そこで唾液中のヘモグロビンを検出し、歯周病の疑いを拾い上げようというものです。

健診会場で短時間に判定する方式だけではなく、自宅などで唾液を採取し、衛生検査所等へ郵送して測定する方法も想定されています。

歯科医師が診療台で一本一本プロービングする必要がない。

多数の人へ短時間で実施しやすい。

歯科診療所へ来ていない人にも届けられる。

スクリーニングとしては大きな利点があります。

しかし、ここからが重要です。

唾液中の血液は「歯周病そのもの」ではない

厚生労働省の中間とりまとめには、かなり明確な注意書きがあります。

現時点の体外診断用医薬品は、検査時点の唾液中に含まれるヘモグロビン濃度などから歯周病の疑いを調べるものであり、

歯周病に特異的な指標ではありません。

さらに、歯周病が存在していても採取時点の状態によってヘモグロビンが検出されない場合があります。

この検査だけで歯周病を診断したり、う蝕その他の口腔疾患を診断したりすることもできません。

臨床的に考えれば当然です。

「血液が唾液中に存在した」

という事実と、

「歯周炎である」

という診断は同じではありません。

口腔内で出血する理由は歯周炎だけではありません。

反対に歯周炎が存在していても、唾液を採取した時点で十分な出血がなければ陰性側へ入る可能性があります。

歯科医師であれば、ここはBOPとの違いを考えると分かりやすいでしょう。

BOP、Bleeding on Probingは、歯周プローブによる刺激によって生じる誘発性の出血です。

一方、唾液中ヘモグロビン検査は、採取した唾液の中に含まれていた血液由来成分を評価しています。

同じ「出血」に関係する指標ではありますが、観察している現象は同一ではありません。

そしてBOP自体も、一つの指標だけで歯周組織全体の状態を断定するものではありません。

以前、出血のない深い歯周ポケットは本当に安定しているのか――BOP陰性の限界と残存ポケットの長期予後でも書きましたが、歯周病の臨床判断ではPPD、CAL、骨レベル、炎症所見、病歴などを統合して考える必要があります。

唾液中ヘモグロビンも同じです。

一つのバイオマーカーへ、口腔内全体の診断を背負わせることはできません。

感度と特異度――「70%ならダメ」という話ではない

ここから少し、スクリーニング医学の話をします。

検査性能を見るときによく使われるのが、「感度」と「特異度」です。

感度は、疾患を持っている人を検査がどの程度陽性として拾えるか。

特異度は、疾患を持っていない人をどの程度正しく陰性と判定できるか。

Shimazakiらが日本で行った研究では、唾液潜血検査によって研究上定義された「不良な歯周状態」をスクリーニングした際の感度は0.72、特異度は0.52でした。

ここで注意したいのは、この研究でいう「不良な歯周状態」は、現在の歯周炎のStage/Grade分類によって診断された歯周炎そのものではないという点です。

研究では、BOPや歯周ポケット深さなどを用いて一定の条件を満たす状態を「poor periodontal status」と定義し、その状態をどの程度唾液潜血検査で拾えるかを評価しています。

つまり、この感度・特異度を、

「唾液検査で歯周炎を72%診断できる」

という意味に読み替えてはいけません。

Maengらの研究でも、唾液中ヘモグロビン単独による識別能だけではなく、年齢や質問票などを組み合わせたモデルが検討されています。

これらの研究は対象者、疾患の定義、検査条件も異なります。

したがって、得られた数値を2027年度以降の日本の簡易歯科健診へそのまま当てはめることはできません。

それでも重要なことがあります。

検査には必ず、

病気があるのに陰性となる人

と、

病気がないのに陽性となる人

が存在するということです。

ここで、

「感度72%なら約28%を見逃す。だから使えない」

と考えるのは少し早い。

反対に、

「7割以上拾えるから十分だ」

と考えるのも早い。

検査単体の性能だけでは、スクリーニング・プログラム全体の価値は決まらないからです。

同じ検査結果でも、「誰に使うか」で意味は変わる

ここでもう一つ重要になるのが、対象集団における有病率と、個々の受診者について考える事前確率です。

同じ感度・特異度を持つ検査でも、対象集団における疾患の頻度が変われば、陽性的中率や陰性的中率は変化します。

さらに個人レベルでは、

年齢。

喫煙。

糖尿病。

自覚症状。

過去の歯科受診歴。

口腔衛生状態。

などによって、検査を行う前に想定される疾患の可能性も一様ではありません。

したがって、同じ「陽性」という結果であっても、誰に、どのような状況で検査を行ったかによって意味が変わります。

これは今回の簡易歯科健診を考えるうえで非常に重要です。

厚生労働省の中間とりまとめでも、対象者を抽出する方法として、レセプトデータから一定期間歯科を受診していない人や、糖尿病がありながら歯科受診のない人を抽出する方法、特定健診結果から糖尿病リスクの高い人を抽出する方法などが例示されています。

単純に全国民へ同じ検査を同じように配ればよい、という話ではありません。

誰に、どこで、どの方法を使うと最も意味があるのか。

これは検査キット単体の性能ではなく、

スクリーニング・プログラムの設計の問題です。

さらに重要なのは「どこから要受診にするか」という判断

感度と特異度には一般にトレードオフがあります。

より多くの人を拾う方向へ判定基準を設定すれば、見逃しを減らせる一方で、疾患のない人も陽性側へ入りやすくなります。

反対に、陽性判定を厳しくすれば追加の精密検査を受ける人を減らせても、疾患のある人を拾えない可能性が高くなります。

そして今回の簡易歯科健診では、唾液検査だけではなく、質問票や自覚症状なども組み合わされます。

つまり政策として考えるなら、

「検査値がどこから陽性か」

だけではなく、

「どのような結果なら、歯科医院で詳しく確認してくださいと勧めるのか」

という受診勧奨の判断も重要です。

例えば唾液検査が陰性でも、

歯が痛い。

歯ぐきが腫れる。

歯が動く。

噛みにくい。

歯ぐきから頻繁に出血する。

という症状があれば、検査結果とは別に歯科受診を勧める必要があります。

厚労省の中間とりまとめも、歯周病スクリーニングが陰性であっても、歯や口腔に自覚症状がある場合には歯科医療機関への受診勧奨を行うとしています。

つまり簡易歯科健診は、

一つの検査値だけで0か1かを決める仕組みではありません。

検査結果。

質問票。

自覚症状。

対象者の背景。

こうした情報をどう組み合わせて「次の医療へ進むべき人」を選ぶか。

そこまで含めて初めて、スクリーニングとして成立します。

スクリーニングと診断は、そもそも目的が違う

この違いは、今回の記事で最も強調しておきたいところです。

歯周病を診断するとき、私たち歯科医師は唾液中の血液だけを見ているわけではありません。

プロービングデプス。

BOP。

臨床的アタッチメントレベル。

歯肉退縮。

動揺度。

根分岐部病変。

プラーク。

エックス線画像による歯槽骨の状態。

既往歴。

全身疾患。

喫煙。

そして時間的な変化。

こうした情報を統合して考えます。

さらに歯科医院で診ているものは歯周病だけではありません。

初期う蝕。

隣接面う蝕。

二次う蝕。

失活歯。

根尖性歯周炎。

歯根破折。

補綴物の不適合。

咬合性外傷。

口腔粘膜疾患。

口腔乾燥。

顎関節。

口腔機能。

患者さんの口腔内を一つの疾患、一つの数字、一つの画像だけで評価することはできません。

この考え方は、以前書いた「歯だけ診ていては、治療は完結しません」――かかりつけ歯科医が歯内・歯周・咬合・補綴・全身を統合して診る意味ともつながります。

だから、

「唾液検査だけでは歯周病を診断できない」

という批判は正しい。

ただし、その次が重要です。

簡易歯科健診に求められているのは、

その場で歯周病を確定診断することではない

からです。

一番避けたいのは「陰性だから今年は歯医者へ行かなくていい」

制度が広がったとき、私が特に心配する誤解があります。

簡易歯科健診を受ける。

結果が陰性になる。

すると、

「歯周病ではありませんでした」

が、

「口の中に病気はありませんでした」

へ変わり、

最後には、

「今年は歯医者へ行かなくていい」

へ変わってしまうことです。

これは避けなければなりません。

厚生労働省もこの問題を明確に認識しています。

歯周病スクリーニングが陰性で、自覚症状も乏しく、質問票上も疑いが少ない人であっても、歯周病は自覚症状の乏しいまま進行することがあります。

初期う蝕も無症状である場合が珍しくありません。

さらに、簡易歯科健診で評価できる口腔疾患には限界があります。

したがって、陰性だからといって口腔内に病気がないことが保証されるわけではなく、定期的な歯科健診や口腔健康管理へつなげることが重要です。

逆に陽性となった人についても、

「あなたは歯周病です」

と確定診断のように伝えるべきではありません。

正確には、

「今回のスクリーニングでは、歯科医院で詳しく確認した方がよい結果が出ています」

でしょう。

この結果説明を誤ると、歯科受診を増やすための制度が、一部の人には逆に

「受診しなくてもよい」

という安心材料になってしまう可能性があります。

検査性能と同じくらい、結果の伝え方は重要です。

では、なぜそんな「不完全な検査」を使うのか

ここまで読むと、

「そんなに限界があるのなら、最初から歯科医師が全員診ればいいではないか」

と思う方もいるでしょう。

臨床だけを考えるなら、その通りです。

患者さんがすでに診療台へ座っているのであれば、唾液中ヘモグロビンを測定して歯周病を推測する必要はありません。

口を診ればよい。

プロービングをすればよい。

必要ならエックス線写真を撮ればよい。

しかし国民皆歯科健診が対象にしているのは、

その診療台へ、まだ座っていない人です。

最後に歯科医院へ行ったのが5年前。

10年前。

歯ぐきから血が出るけれど、痛くないので放置している。

会社の健康診断は毎年受けるが、歯科健診は受けていない。

歯が欠けても、痛くなければそのままにしている。

こうした人へ、

「歯医者へ来てください」

と呼びかけるだけでは、既存の自治体歯周病検診の約5%という受診率を大きく変えられなかったわけです。

それなら、

会社の健康診断へ来たとき。

自治体の健診へ来たとき。

各種の健康診断を受けたとき。

あるいは自宅で。

本人がすでに存在している場所へ、歯科との接点を持っていく。

厚労省の中間とりまとめでは、特定健診、一般健康診断、がん検診との同時実施や、乳幼児健診時に保護者へ実施する方法、自宅で唾液を採取して郵送する方式なども想定されています。

さらに、これまでのモデル事業では、薬局のような生活に近い場所を利用した試みも行われています。

この発想に立つと、

「精密ではない」

という簡易検査の弱点が、

「多くの場所で使える」

という強みに変わります。

診断するために簡易なのではありません。

診断を受ける場所まで来てもらうために簡易なのです。

過去のモデル事業を見ると、検査キットより「その後」が面白い

もちろん、2027年度以降の新しい制度そのものについて、まだ実績はありません。

ただし、その前段階となるモデル事業はすでに行われています。

例えば2025年度に福岡市薬剤師会が行った事業では、薬局来局者543人が簡易スクリーニングに参加しました。

結果は低リスク52%、中リスク31%、高リスク17%でした。

そのうち1か月後アンケートに回答した249人では、34.5%がすでに歯科を受診し、「今後受診予定」と答えた46.6%まで含めると81.1%でした。

ただし、ここは慎重に読まなければなりません。

543人全員の81.1%ではありません。

1か月後のアンケートに回答した249人における数字です。

「受診予定」は実際に受診したこととも違います。

参加者選択やアンケート回答者の偏りも考える必要があります。

したがって、

「簡易歯科健診をすれば81.1%が歯医者へ行く」

などと一般化することはできません。

しかし、このモデル事業には非常に興味深い点があります。

検査キットを渡して終わりではなかったのです。

歯周病についての啓発資料を提供し、さらにフォローアップ時に歯科受診を勧奨しています。

つまり、

人を動かしたのは検査キットだけではない可能性があります。

検査を受ける。

自分の結果を見る。

説明を受ける。

「一度歯科医院で診てもらった方がいいですよ」と勧められる。

さらに、その後もう一度声をかけられる。

この一連の介入が行動変容につながった可能性があります。

これは今回の国民皆歯科健診を考えるうえで、非常に重要なヒントだと思います。

スクリーニングを評価するなら「検査性能」だけではなく、カスケード全体を見る

ここまで来ると、今回の記事で最も言いたかったことが見えてきます。

簡易歯科健診を評価するとき、

感度。

特異度。

陽性率。

参加人数。

だけを見ても不十分です。

政策として本当に見なければならないのは、

歯科未受診者
→簡易歯科健診
→リスクの認識
→受診勧奨
→実際の歯科受診
→歯科医師による精密検査・診断
→必要な治療
→治療完了
→継続的な口腔健康管理

という一連のカスケードです。

例えば100万人が簡易歯科健診を受けたとしても、

要受診者の大半が歯科医院へ行かなければ、そこでカスケードは切れます。

歯科医院へ行っても治療を始めない。

治療を途中で中断する。

治療が終わっても、再び何年も受診しなくなる。

そのたびに政策の効果は小さくなります。

反対に、検査自体は簡便でも、

10年間歯科医院へ行っていなかった人が初めて受診し、

疾患が見つかり、

必要な治療を受け、

その後定期的なメインテナンスへ移行したなら、

その一人については非常に大きな行動変容が起きたことになります。

厚生労働省の中間とりまとめも、受診勧奨後の歯科受診状況を可能な範囲で確認し、未受診者へ再度働きかけるなどのフォローアップが望ましいとしています。

つまり制度設計の段階から、

スクリーニングの出口まで見る

という発想が入っています。

これは非常に重要だと思います。

「何人が受けたか」だけを成果指標にしてはいけない

行政施策では、どうしても実施人数が分かりやすい成果になります。

「今年は100万人が簡易歯科健診を受けました」。

非常に立派な数字に見えます。

しかし本当に知りたいのは、その次です。

そのうち、これまで歯科を受診していなかった人は何人だったのか。

何人が要受診となったのか。

何人が実際に歯科医院へ行ったのか。

そこで何人に治療が必要な疾患が見つかったのか。

何人が治療を始めたのか。

何人が治療を完了したのか。

そして1年後、2年後にも歯科医療との接点を維持しているのか。

ここまで追わなければ、

「検査事業が大きくなった」のか、「口腔健康が改善した」のか

を区別できません。

私は、今後この制度の評価を見るとき、受診者数以上に、

受診カスケードの各段階で、どこに脱落が生じたのか

を見たいと思います。

それが分かれば、

検査法が問題なのか。

結果説明が問題なのか。

受診勧奨が弱いのか。

予約へのアクセスが悪いのか。

歯科医院側の受け皿が不足しているのか。

どこを改善すべきかも見えてくるはずです。

2026年8月現在、まだ分からないことは多い

逆に言えば、現在はまだ分からないことがたくさんあります。

全国でどれほどの人が実際に利用するのか。

本当に歯科未受診者へ届くのか。

どの対象集団に行うのが最も効率的なのか。

どのような受診勧奨が最も実受診につながるのか。

偽陰性となった人が安心しすぎないか。

偽陽性に伴って、結果として疾患が確認されない追加受診や精密検査、心理的負担がどの程度生じるのか。

簡易歯科健診をきっかけに受診した人のうち、実際にどの程度治療が必要になるのか。

都市部と地方で同じように機能するのか。

自治体、企業、保険者によって成果に大きな差が出ないか。

費用対効果はどうなるのか。

長期的に歯周病の重症化や歯の喪失を減らせるのか。

こうした結果は、制度開始後に検証するしかありません。

したがって現時点で、

「国民皆歯科健診で医療費が大幅に削減される」

「簡易歯科健診で歯周病が激減する」

とまで断定するのは早いと思います。

政策として期待することと、科学的に実証されたことは分けるべきです。

今後必要なのは、

実施する。
測定する。
問題点を見つける。
修正する。

という循環でしょう。

そして、入口を広げた後に「誰が診るのか」

もう一つ、歯科医療側から見て無視できない問題があります。

国民皆歯科健診が成功し、これまで歯科を受診していなかった人が歯科医院へ来るようになったとします。

それ自体は非常に良いことです。

しかし当然、その先には医療需要が生まれます。

何年も歯科未受診だった人が全員、

「異常ありません。また来年」

で終わるとは考えにくい。

歯周治療が必要になる。

う蝕治療が必要になる。

根管治療が必要になる。

抜歯が必要になる。

補綴治療が必要になる。

治療終了後にはメインテナンスが必要になる。

つまり簡易歯科健診が生み出すのは、

「健診需要」だけではありません。

その後の、

診断需要、治療需要、継続管理需要

まで増える可能性があります。

一方で、歯科医療提供体制には地域差があります。

歯科医師の年齢構成や地域偏在、今後の需給についても、厚生労働省で別の検討が進められています。

これは以前書いた「歯医者はコンビニより多い」の次に来る問題――歯科医師数の減少と治療技術の継承を考えるとも直結する話です。

歯科医師の全国総数だけを見ても十分ではありません。

必要な地域に、必要な歯科医療を提供できる歯科医師がいるのか。

継続的な歯周治療や口腔健康管理を担う歯科衛生士がいるのか。

高齢者や全身疾患を持つ患者まで受け止められるか。

健診後に発見された疾患を治療し、その後まで継続管理できるか。

入口だけを広げて、

「要受診者は増えました。しかし診てもらえる場所がありません」

では困ります。

入口政策と歯科医療提供体制の整備は、本来セットで考える必要があります。

国民皆歯科健診の成否を決めるのは、検査キットではないのかもしれない

今回、一連の資料を読んで、私自身の見方は最初とは少し変わりました。

ニュースの見出しを見た段階では、

「国民全員に毎年何か歯科検査をする制度」

という印象でした。

しかし詳しく見ていくと、中心にあるべきものは検査そのものではないように思えてきます。

重要なのは、

今まで歯科医院へ来なかった人へ接触できるか。

そして、

接触した人を本当に歯科医療へつなげられるか。

さらに、

一度つながった人を、継続的な口腔健康管理まで持っていけるか。

ここです。

そのために使える入口の一つが、唾液検査などの簡易スクリーニングなのでしょう。

だから、

「この検査だけでは診断できない」

という理由だけで政策全体を否定するのは違います。

一方、

「簡単に検査できるから、これで歯科健診は十分」

と考えるのも違います。

簡易であることと、代替できることは同義ではありません。

簡易検査には簡易検査の役割がある。

歯科医師による口腔診査には、歯科医師による口腔診査の役割がある。

両者を正しくつなぐことが重要です。

まとめ――「国民皆歯科健診」の本当の価値は、検査した人数ではなく、接点を取り戻した人数にある

大阪大学歯学部同窓会のニュース欄で見かけた短いニュースから始まり、ずいぶん深いところまで調べることになりました。

2026年7月31日に公表された厚生労働省の中間とりまとめを読むと、「簡易歯科健診」が何を目指しているのかはかなり明確です。

歯科医師による歯科健診を代替するものではない。

そして、

歯科未受診者を、歯科医師による歯科健診や歯科受診へつなげる入り口である。

私は、この方向性そのものには期待しています。

歯科医師が診療室の中で、

「定期健診は大切ですよ」

と何度説明しても、その診療室へ来ない人には届きません。

ならば、歯科医院の外へ入口を持っていく。

職場。

自治体。

各種健康診断。

自宅。

そして、これまでのモデル事業で試みられてきた薬局のような、生活に近い場所。

そうした場所で自分の口腔状態を考えるきっかけを作り、必要なら歯科医院へつなぐ。

これは十分合理的な考え方だと思います。

ただし、その入口に置かれる検査を「診断」と混同してはいけません。

陽性だから歯周病確定ではない。

陰性だから健康証明ではない。

簡易歯科健診を受けたから、歯科医師による歯科健診が不要になるわけでもない。

そして制度の成果も、

「今年は何百万人が簡易歯科健診を受けました」

だけで評価してはいけないと思います。

私が数年後に見たいのは、

その制度によって、それまで歯科医院へ行かなかった人のうち何人が歯科医療との接点を取り戻したのか。

そして、そのうち何人が、

診断を受け、

必要な治療を受け、

治療を終え、

その後も継続的に口腔健康管理を受けるようになったのか。

そこまでつながったとき、

「国民皆歯科健診」は単なる大規模な検査事業ではなく、日本の歯科医療のあり方を変える政策になったと言えるのではないでしょうか。

私は2027年度以降、

検査を受けた人数よりも、「歯科医療との接点を取り戻した人数」を見てみたい。

今のところ、それがこの制度を見るうえで最も重要な指標なのではないかと考えています。

参考文献

厚生労働省.歯科健診等のあり方等に関する検討会「中間とりまとめ」.2026年7月31日.

厚生労働省.U.E.N.O.Plan~攻めの予防医療厚生労働省関係施策~.2026年7月23日.

厚生労働省.歯科健診を取り巻く現状と検討会の今後の進め方について.2026年5月11日.

厚生労働省.令和6年歯科疾患実態調査.

厚生労働省.全世代向け歯科健康診査等実施事業・簡易な口腔スクリーニング等の実施事例.

一般社団法人福岡市薬剤師会.令和7年度 全世代向け歯科健康診査等実施事業 成果報告.2026年.

Shimazaki Y, et al. Effectiveness of the Salivary Occult Blood Test as a Screening Method for Periodontal Status. J Periodontol. 2011;82:581-587.

Maeng YJ, et al. Diagnostic accuracy of a combination of salivary hemoglobin levels, self-report questionnaires, and age in periodontitis screening. J Periodontal Implant Sci. 2016;46:10-21.

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